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エッセイ115:範 建亭「上海における人の国際化」

上海は中国の最大都市として、国際化が急速に進んでいる。それは外資系企業の進出、国際ビジネスまたは外国人の数などに限らず、街の景観、ファッションや食べ物、娯楽などの日常生活、そして人間そのものにも反映されている。前回は上海に住む日本人の状況を紹介したが、今回は現地人の国際化について話したい。

 

上海が国内で最も国際的な都会となったのは今だけの話ではない。1930年代、上海はすでに近代的国際都市となり、「東方のパリ」とも呼ばれた。だが、50年代以降は計画経済体制の下で、内向きの都市に変身した。70年代末からの改革開放によって、再び国際化の道を歩み始めたが、活発化したのは近年のことである。

 

しかし、海外留学や移民といった人の外向き国際化においては、上海はほかの地域に及ばないところがある。中国では、広東省や福建省は人の海外移住が伝統的な地域として知られており、世界各地で暮らす華人の殆どがこれらの地域出身である。上海ではかつて海外に出るという風潮は根付いていなかったが、80年代以降は海外留学がブームとなり、沢山の若者が夢を胸に出国した(私もその中の一人)。「せっかく海外に出たので、故郷に帰ることを考えるな」と家族や友達に言われるばかりではなく、心の中でそう決心して留学した人も非常に多かったに違いない。

 

ところが、近年では事情が一変し、留学先から帰国して仕事に就く人数がますます増えている。新聞報道によると、1978年以降出国した留学生は昨年末で約100万人、そのうち帰国して就業している人は全体の三分の一に達しているが、大半はここ数年帰国したのである。そして、これらの留学生が帰国するときに、上海を選ぶ傾向が強いと見られるという。その理由は様々であろうが、沢山の元留学生(私もその中の一人)がまた夢をみて上海で新たな生活をスタートさせたことで、この都市の国際化は内面から進められるようになっている。

 

ここで、統計データや新聞報道に見えてこない人の国際化の一面を紹介したい。海外留学から帰国した人のうち、日本からの元留学生の人数が相当の割合を占めていると思う。上海で発行されているいろいろな日本語のフリーペーパーをみれば、同窓会やOB会の情報が非常に多く、また出身大学もほぼ日本全国に及んでいることがわかる。私は日本の二つの大学で勉強したことがあるから、今は二つの同窓会の運営に携わっている。メンバーたちは同じ留学経験を持っているので、お互いに交流しやすく、普段もよく集まっている。

 

でも奇妙なことは、同窓会の仲間の中には実際日本人に帰化した者も多いことである。彼らは身分上もう中国人ではないが、ずっと上海で暮らしている。日本には何も残っていないから、戻ることはもうないだろうと思う。そして、中国の国籍に戻ることも不可能である。当初は日本で暮らすために帰化したのに、今は外国人として祖国で暮らす。その現象は日本留学の仲間に限らず、親戚や周りの人々にもそのような「日本人」や「アメリカ人」などがよく見られる。昔はみんな逃げるような気分で出国したことを思い出すと、その変化は本当に感慨無量である。

 

一方、私が勤めている大学においても、留学から帰国した人数が絶えず増加している。現在、海外で博士号を取得した教員の数は80人を超え、教員全体の約15%を占めている。帰国者のうち、やはり外国で永住権を獲得した人も少なくない。また、留学先を見ると、アメリカと日本が一番多く、合わせて帰国者全体の半数以上を占めている。日本からの元留学生同士として親しみがあるから、人数が増えることは嬉しいが、逆に学内で重視される程度も低くなり、普段の仕事では日本語を使う機会がほとんどなくなってしまった。そのせいで、私の日本語能力も見る見るうちに低下している。それは、私にとって帰国してから一番残念なことだ。

 

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<範建亭(はん・けんてい)☆ Fan Jianting>
2003年一橋大学経済学研究科より博士号を取得。現在、上海財経大学国際工商管理学院助教授。 SGRA研究員。専門分野は産業経済、国際経済。2004年に「中国の産業発展と国際分業」を風行社から出版。
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