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エッセイ113:包 聯群「母語の喪失(その3)」

中国黒龍江省において、モンゴル語による教育が徹底的に実行されていなかったことは、すでにみなさんにご紹介した通りですが、モンゴル語教育の歴史をみると、清朝、中華民国、満洲においても、モンゴル語による教育が積極的に行われたとは言えません。新中国建国以来、少数民族の教育を重視したとは言え、様々な政治運動が続く中、モンゴル語を話せる、あるいはモンゴル語を使用する環境が整備されておらず、モンゴル語を放棄して中国語を話せることを社会に適応した一種の「能力」とみる人が徐々に増え、モンゴル語ができなくても、生活には何の支障もなく、モンゴル語ができなくても当たり前のことだと考える人が多くなっています。この状況をさらに詳しく知るために、地域に使われている言語の状況を見てみましょう。

 

黒龍江省における唯一のモンゴル族自治県である杜爾伯特(ドルブット)地域では、政府の言語政策としてモンゴル語と中国語が平等に扱われています。公務員の試験、進学の試験などにおいては、モンゴル人はモンゴル語による受験を受けることができると明確に定められています。しかし、実際に公務員の試験では、中国語による受験しか受けられません。というのは、モンゴル語で受けても(実際にモンゴル語のレベルはそれほど高くないのも事実です)、中国語ができなければいけないからです。

 

次に、黒龍江省においてはモンゴル語による新聞、一般誌、出版社、テレビ局などはありません(モンゴル語による学術雑誌が一つだけあります)。杜爾伯特モンゴル族自治県に、土日の夜、中央テレビのニュースが終わったあと、10分程度のモンゴル語による放送があるだけです。4万を超えるモンゴル人がこのような新聞メディアの環境に置かれています。私が自治県所在地の町をちょっと回ってみたところ、個人が経営している店の看板はモンゴル語と中国語の両方で書かれていますが、その文字の大きさがあまりにも対照的でした。モンゴル文字は、はっきり見えないほど小さく、漢字がモンゴル文字の何十倍も超える大きさで書いてありました。

 

さらにある店では、モンゴル文字の方向が逆になっていました。そこで、店の経営者に聞いてみると、意外な事実が明らかになりました。看板をつくる際、最初はモンゴル文字を入れなかったが、政府の民族教育委員会から検査をするという情報があったため、後に貼り付けたということでした。しかし、モンゴル文字の方向を逆転してしまったのに誰もが気がついていなかったのはあまりにもひどい話ですね。先日のテレビ放送の情報によると、中国ではある会社が日本の食品であれば「安全」だというイメージを利用し、包装袋にはひらがなの「点」がなかったりする間違った日本語の標記をし、商品を販売していたという事実がありました。日本語は外国語だからたくさんの人が読めないのは仕方がないと言えますが、モンゴル族自治県であり、4万人のモンゴル人が暮らしているにもかかわらず、たくさんの人が気づいていないのは何故でしょう。これは多くの人がモンゴル文字さえ読めないことの現れでもあると読み取れるかもしれません。

 

モンゴル人が日常生活で使用している言語をみてみましょう。私が観察したところ、この地域で暮らしているモンゴル人は少なくとも三種類の言葉を話しています。年を取った人とモンゴル語教育に従事している人、あるいはそれと関係がある仕事をしている少数のモンゴル人は場合によって、たまにモンゴル語で話しています。それ以外の多くのモンゴル人は日常生活ではモンゴル語の文法をベースにし、多数の中国語語彙を取り入れたいわゆるモンゴル語と中国語を混ざった混合語を話しています。一部の人は中国語を日常言語として用いています。特に若者の多くは中国語を母語とし、モンゴル語ができなくなっています。

 

中国の経済発展に伴い、「中国語の市場」がますます拡大し、あらゆる分野において中国語の必要性が高まってきました。少数民族の地域において、民族政策が出されましたが、少数民族の言語による「市場」の開発が遅れ、経済的に少数民族言語話者が不利とならない措置を取っていないため、自主的に多数言語の中国語へ切り替える人が増えつつあります。それに従い、少数民族の言語を学ぶ人も減少してきたとも言えます。モンゴル人保護者も自分の子供の将来を考え、中国語による教育を受けさせる人が多くなっています。私のまわりにいる親族、知人、友人ほぼ全員が自分の子供を中国語による教育を受けさせています。一部の人にはモンゴル語による教育を受ける機会がありませんが、一部の人はモンゴル語による教育を受ける機会があっても中国語による教育を選択しています。中国語による教育を選択するのはよくないとは言えませんが、自分の母語を忘れないようにしてほしいと思います。

 

以上のように、この地域の子供たちは母語を喪失しつつあります。モンゴル語を話せない人が日に日に増えているのが現状であります。この子たちは、母語の大切さ、言語の大切さをいつか実感し、わかってくれるのでしょうか。世界の多くの言語が消滅しつつある中、誰でも自分の母語を大切にし、母語を愛してもらいたいと考えております。

 

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<包聯群(ホウ・レンチュン)☆ Bao Lian Qun>
中国黒龍江省で生まれ、1988年内モンゴル大学大学院の修士課程を経て、同大学で勤務。1997年に来日、東京外大の研究生、東大の修士、博士課程(言語情報科学専攻)を経て、2007年4月から東北大学東北アジア研究センターにて、客員研究員/ 教育・研究支援者として勤務。研究分野:言語学(社会言語学)、モンゴル系諸言語、満洲語、契丹小字等。SGRA会員。
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