SGRAかわらばん

エッセイ111:包 聯群「母語の喪失(その1)」

ダニエル・ネトルとスザンヌ・ロメインの研究によると、使用頻度のもっとも高い100言語を、世界総人口の90%が話しています。そして、少なくとも6000の言語が、地球上の約10%の人々によって話されています。10万人を超える話者をもつ言語を含めて、「安全」であるのはせいぜい600言語であり、他の5400言語で安全な未来をもつものは皆無に近いということです。言い換えれば、世界の言語の圧倒的多数が死滅の危機にあると言ってもよいわけです。言語学者の推計では、少なくとも世界の言語の半数は、次の100年のあいだに死滅するであろうということです。

 

話者人口が最も多い言語は、中国語、英語、スペイン語・・・の順で、日本語は8番目に入っています。私の母語であるモンゴル語の話者数と比べると、日本語の話者数は遥かに多いわけです。

 

私が母語であると言っているモンゴル語は現在、モンゴル系諸言語の一つに過ぎません。1950年代に、中国政府の言語学研究機関をはじめ、多数の研究者から構成されたチームが大規模な現地調査を行い、文化や習慣、言語等を基準として民族の分類、言語の認定を行いました。その結果、モンゴル族以外に、中国領内にあるモンゴル系諸言語を話す話者は五つの民族に分けられ、正式に認められました。

 

モンゴル系諸言語は中央アジアのモンゴル高原を中心に広く分布し、一つのモンゴル系言語同士のグループに属します。モンゴル系の民族として、モンゴル国や中国領内のモンゴル族をはじめ、ロシア領内の、カルムイク族、ブルヤート族、中国領内のダグル(達斡爾)族、バオアン(保安) 族、ドゥンシャン(東郷)族、シラ・ユグル(裕固)族、モングォル(土族)族、アフガニスタンのモゴール族などが含まれます。

 

2000年の中国の統計で、中国領内の各民族の総人口は以下のようになります(HP:中国国家民族事務委員会による)。ダグル族の人口は132,394人、バオアン族は16,505人、ドゥンシャン族は513,805人、ユグル族は13,719人、そして、モングォル族は241,200人以上に達したということです。栗林均によれば、ロシア領内のカルムイク族は約12万人、ブルヤート族は30万人ですが、アフガニスタンのヘラート州に点在するモゴール族のモンゴル系言語の話者数は推定で数百人ということです。

 

モンゴル系諸言語の起源について様々な論説がありますが、モンゴル語研究者たちの多数は、チンギス・カーンがモンゴルを統治していた13世紀ごろには、一つの祖語=モンゴル語であっただろうという推定をしています。

 

現在、皆さんが言うモンゴル語は、モンゴル国と、中国領内の内モンゴル自治区および黒龍江省、吉林省、遼寧省、青海、新彊ウイグル自治区などの地域に分布しています。モンゴル国内に約253万3100人(モンゴル国大使館ホームページ:2004年統計年鑑による)の話者がいます。2000年の中国の人口統計によると、中国領内のモンゴル族は581万人を超えています。これは1990年の480万人より100万人も増えた数字であります。

 

しかし、中国領内のモンゴル語話者数は、実は人口数よりもはるかに少ないというのはとても悲しい事実です。例えば、内モンゴルにおいては、1990年時点でモンゴル族総人口は337万5千人でしたが、モンゴル語を話せる人は65.1%しか占めていないことが他の研究者の調査によってわかりました。つまり、内モンゴルでは、10人のモンゴル人のうち、4人はモンゴル語を話せないという状態になっています。中国の東北地域で暮らすモンゴル人および他の地域で暮らす中国語で授業を受けているモンゴル人の状況をみると、さらにひどい状態に置かれています。中国経済の高度成長期において、モンゴル人の若者の中には、多数の話者をもつ中国語を自分の将来に有利だと考え、中国語を第一言語とし、母語であるモンゴル語を話せなくなっている人が増えています。また、一部の児童、生徒が母語であるモンゴル語を学びたいという希望があっても、学習する環境が整備されていない地域が多数あるため、学ぶことができないこともあります。

 

もし日本で、日本人の若者が母語である日本語を話せなくなったと考えると、言語の喪失がどれほど悲しいものであるか、みなさんも容易に想像していただけると思います。中国東北地域に居住するモンゴル人の多数の若者は母語であるモンゴル語を自主的に放棄し、中国語を重視する傾向にあります。私が一番よく知っている中国東北地域に位置する黒龍江省のモンゴル人(約15万人)の若者の多数は自分の母語であるモンゴル語を話すことができなくなり、母語であるモンゴル語を失いつつあります。(続く)

 

————————————
<包聯群(ホウ・レンチュン)☆ Bao Lian Qun>
中国黒龍江省で生まれ、1988年内モンゴル大学大学院の修士課程を経て、同大学で勤務。1997年に来日、東京外大の研究生、東大の修士、博士課程(言語情報科学専攻)を経て、2007年4月から東北大学東北アジア研究センターにて、客員研究員/ 教育・研究支援者として勤務。研究分野:言語学(社会言語学)、モンゴル系諸言語、満洲語、契丹小字等。
————————————