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エッセイ154:シム・チュン・キャット「なんでシンガポールだけ中国と同じ簡体字なの?」

前回のエッセイ「ところでシンガポール人は何語を喋るの?」が掲載されたあと、僕はすぐさま上のタイトルのような質問を受けました。「実験国家」であるシンガポールで生まれ育った僕が国のことでいろいろ質問されるのにはもう慣れっこなのですが、こんなに早く反応が出るなんていささか驚きを覚えると同時に、嬉しくも思いました。

 

そうなのです。世界広しといえども、漢字の簡体字が使われているのは、中国と国連以外に、シンガポールだけなのです。同じ東南アジアのマレーシアやタイの華人社会でも簡体字が使われていますが、それほど徹底的ではないようです。したがって、政府の公文書まで漢字の簡体字が完全に使用されている国は、中国とシンガポールだけということになります。そこへタイトルの質問です。

 

「東南アジアの中国」と見られるのを恐れ、シンガポールが中国と国交正常化を果たしたのは、意外にも1990年になってからのことであり、アセアン原加盟国(シンガポール、インドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン)の中では一番遅かったのです。ただ、それはあくまでも1990年になってやっと中国と国交を結んだ「アセアンの兄貴分」であるインドネシアの顔を立ててあげなければならないという小国ならではの諸事情があるためで、シンガポールと中国との関係が悪いからということでは決してありません。それどころか、中国系住民の多いシンガポールと中国との関係は戦前から非常に親密であり、日中戦争が勃発したときも、シンガポールは東南アジアの抗日運動や中国への献金運動の拠点となり、それゆえにその後シンガポールを占領した日本軍がまずおこなったのが中国系に対する粛清であったという話についてはシンガポール人なら皆学校で学んでいます。また1975年にシンガポールの外相が初めて中国へ公式訪問したときにも、中国側がシンガポールを「親戚国」と呼んで大いに好意を示したことも有名な話です。ところが、独立後のシンガポールはすでに「遠い親戚より近くの友人」と決めており、そのため1976年に訪中した当時のリー・クアンユー首相はシンガポールの「中国性」を否定し、両国がもはや「親戚」ではなく、「友人」であると中国側に強調しました。「親戚」であれ「友人」であれ、国交がなくても中国とシンガポールは常に友好関係にあり、長らく貿易の拡大が図られたり、政府要人の相互訪問が重ねられたりしてきたことは明らかです。国交正常化なんて建前に過ぎず、共存共栄関係を保ち、商売ができればそれでよしという逞しい商魂が見え見えです(笑)。

 

さて、簡体字の話に戻りましょう。親密なる「友人国」であるうえ、アジアの大国でもある中国に小国のシンガポールが文字の使用において追随するのは合理的なことだといえましょう。実際に、シンガポールが簡体字の全面使用に踏み切ったのは独立した4年後の1969年であり、ジャーナリストの友人の話によれば、当時の二社の華字紙(中国語新聞)「星洲日報」と「南洋商報」の紙面もそのすぐあとの1970年の1月5日から簡体字への転換を図りました。そして言うまでもなく、独立した当時から進められた二言語政策のもと、簡体字の使用が中国系生徒の負担を軽減することにも当然つながりました。ところで、シンガポールの中国系の中に福建系が多数を占めていることから、そもそも北京語はそぐわないのではという質問も受けましたが、福建系が多数を占めるといっても中国系全体の半数にも満たない四割程度です。2000年の国勢調査によれば、シンガポールの中国系に占める福建系の比率は41%であり、残りについては潮州系21%、広東系15%、客家系8%、海南系7%、その他8%となっていますから、福建語が中国系同士の共通語になるはずもなく、標準語である北京語が共通の言葉としての役割を担うしかありませんでした。また、たとえ福建語が共通語になれたとしても、書き言葉として簡体字が選択されたのであろうと考えられます。

 

簡体字に対して好き嫌いがあるようですが、漢字を簡略化することによって、非識字者の一掃と中国語の普及に大いに効果があったと僕は思います。また僕はこの分野の専門家ではないのですが、『中国の漢字問題』(1999年・大修館書店)という日本と中国の学者が編著した本によると、漢字の簡略化の歴史は非常に古く、千数百年もの間に民間で実に多くの簡体字が使われてきたようで、それらの簡体字の統制を中国が1950年代に強化し規範化したのが現行簡体字の原型だそうです。もっとも、コンピュータ技術の進歩に伴って漢字が簡単にワープロで打ち出されるようになり、漢字を手書きする機会もぐんと減った今とあっては、果たして漢字を簡略化することに対してこれからもこだわりを持つ必要があるのかという意見もありますが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

 

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<シム・チュン・キャット☆ Sim Choon Kiat☆ 沈 俊傑>
シンガポール教育省・技術教育局の政策企画官などを経て、2008年東京大学教育学研究科博士課程修了、博士号(教育学)を取得。現在は、日本学術振興会の外国人特別研究員として同研究科で研究を継続中。SGRA研究員。
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