SGRAかわらばん

エッセイ153:マキト「マニラレポート(2008年夏):母国における再接続完了」

2008年8月5日から25日までのマニラの滞在の最大の成果は、渡日する前の古いネットワークにほぼ再接続できたということである。大学、大学院、職場で一緒だった古い仲間と再会して、そのネットワークをフルに活躍できるように再起動できたと思う。これは海外にいる人がだれでも望むことであろう。これからの課題はこの母国のネットワークを活用しながら、どのように日本のネットワークと有効的につなげていくかということだ。SGRAの研究員であるだけでも自動的に日本と母国との懸け橋を整備できるが、SGRAを重要なパイプにして、日本にいる仲間たちを向こうの仲間たちに接続できればと思っている。

 

 
その第1歩として、自動車産業の共同研究では、SGRAの仲間(李鋼哲さん)を通して出会えた名古屋大学の平川均教授を、僕の大学院(修士課程)とその後の職場でも一緒だったフィリピンのアジア太平洋大学(UA&P)の経済学部の仲間と接続した。平川さんは、今年の夏は海外の出張が多いためマニラ訪問を控えられたが、また12月に行かれる予定です。

 

 
北京オリンピックの開会式の前日、UA&PとSGRAの共催で、自動車産業についての第8回目の共有型成長セミナーを開催した。このセミナーで自動車産業の共同研究の第1ラウンドは終了することになった。しかし、僕は政府の関係者や自動車産業組合と引き続き連絡をとっている。政府との交渉という第2ラウンドに研究を発展させるための準備作業だ。第1ラウンドの研究の委託者である大手日系自動車企業と政府の関係者は僕たちの研究内容を高く評価してくれているが、今は、今後のラウンドについて産業側の決断が出てくるまで待機状態である。

 

第2歩としては、僕が東京大学の博士課程の時に、チューターだった東京大学の中西徹教授を、UA&Pで都市と地方における貧困問題を研究する仲間たちと接続できた。前回に引き続き、今回の滞在でも中西さんはUA&Pの貧困問題の研究班長と会議して、12月にUA&Pの定期出版物に共同記事を投稿し、2009年の4月にUA&Pでワークショップを開催し、さらに来年の後半にはフォーラムを開催するという予定ができた。この共同プロジェクトについては、将来的に共同研究資金助成を申請して研究員の交換を想定している。

 

 
ちょうどスペインから一年半ぶりにフィリピンに帰ってきた、SGRA軽井沢フォーラムにも参加したことがあるUA&Pの経営経済学・IT研究部の運営委員会の会長になったヴィリエガス先生にもお会いすることができ、中西さんと僕の指導教官であった高橋彰教授が今年亡くなったことを彼に伝えることができた。僕たちは東京大学で高橋先生に大変お世話になって、ヴィリエガスさんにも紹介したことがある。フィリピンの資金によりフィリピン大学へ留学され、フィリピンを対象とする研究をされた最初の日本人の研究者ともいえる高橋先生のために、敬虔なカトリック教徒のヴィリエガスさんは、お祈りをささげてくださると約束してくださった。

 

第3歩として、大学時代とその後の職場の仲間たちと連絡を取り合い、3つ目のプロジェクトである船舶工学の教育プログラムのプロジェクトを今後どうするか、更に細かく話し合った。マニラに到着した翌日、すぐにスービックの元上司のところに行って研究用のデータの収集を始めた。日本のODAで実施した2005年12月の分厚い調査研究報告書をお借りできた。元上司はマニラにあるマラカンヤング宮殿から帰ってきたばかりでちょっと遅れてきたが、面談の時間をたっぷり割いていただいた。そして、僕の活動を正しものだと認めてくださり、お手伝いしますよ、という心強い言葉をあらためていただいた。大統領からスービックをMARINATE(船舶産業を中心に発展させるというちょっとした駄洒落)せよという命令をいただいたそうである。

 

 
12月には、またスービックに行く予定である。今度はフィリピン大学の機械工学部の仲間たちを連れて行こうと企画している。フィリピン大学の機械工学部における船舶工学の教育プログラムの設立について提案を発表させていただくためである。まだ発表の内容は準備中だが、発表日の午前中に政府関係者であるスービック湾管理局と、午後には民間の造船所の幹部たちと会議をする予定にしている。自動車産業と同様にここでも共有型成長に貢献し、NGO・NPO(政府でもなく、企業でもなく)という発想を生かしたいと思う。ただ、今回はUA&P・SGRAではなくUP(フィリピン大学)・SGRAの活動としてやりたい。無論、経済学の僕の専門も利用するが、工学の仲間たちとやっているので、僕の工学の側面をもう少し復活させながら活動するつもりである。(嬉しいことに、こんなに工学から離れていたのに、ここで教えないかという誘いを受けている)

 

 
東京に帰る数日前に、もう一人の造船所時代の上司(当時社長)と再会できた。これで母国での古いネットワークとの再接続が完了したと考えてもいい。彼はなんとUA&Pから歩いて5分ほどにあるところで、船の乗組み員の人材会社の社長として務めている。しばらく造船産業から離れたが、彼の同僚の誘いで改めて造船所(スービックになるかもしれない)を立ち上げるという企画もあるようである。自動車産業と同様に、フィリピンの造船産業には潜在的な可能性があるのだが、いろいろな問題があって、本来の力がなかなか発揮できない状態にあるようである。彼もこの産業についての僕の活動の進展を期待してくれている。

 

 
先の第1歩と第2歩と同じく、この第3歩にも日本と母国のネットワーク接続を試みたいと思う。しかし、日本側のパートナーは、今までと違って大学ではなく、できれば民間部分と接続したい。以前、フィリピン大学が船舶プログラムの立ち上げについてフィリピンに進出した韓国の大手造船所から接触されたことがあったが、どうやら上手くいかなかったようだ。もう一回その可能性を探りにスービックへ行くが、日本の造船所あるいはその関係者ともこの可能性を一緒に展開してみたいと思う。みなさん、心当たりがあれば、ご紹介ください。

 

 
考えてみれば東アジアで太平洋に面する列島と呼ばれる国は日本とフィリピンである。世界経済の重点が西から東へシフトしても、状況が良くなっても悪くなっても、西と東を結んで干満する海と昔からつきあっている二つの列島国は、この「水球」における海の重要さについてきっと共通の認識を持っているだろう。船舶の分野においても、お兄さんである日本からの協力を期待したい。

 

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<マックス・マキト ☆ Max Maquito>
SGRA運営委員、SGRA「グローバル化と日本の独自性」研究チームチーフ。フィリピン大学機械工学部学士、Center for Research and Communication(現アジア太平洋大学)産業経済学修士、東京大学経済学研究科博士、テンプル大学ジャパン講師。
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