SGRAかわらばん

エッセイ142:金 雄煕「牛肉デモと韓国の民主主義」

李明博(イ・ミョンバク)大統領の国民への談話、米国との牛肉追加交渉の終結、そして牛肉輸入条件の官報への掲載に伴い、韓国の牛肉デモが新しい局面を迎えている。4月18日に韓国政府が米国産牛肉の輸入制限撤廃を発表して以来、輸入再開への反対デモは、拡大の一路を辿ってきた。韓国MBCのテレビ番組『PD手帳』が米国産輸入牛肉の安全性に疑問を投げかけ、韓国人は遺伝的要因から欧米人よりもBSEの影響を受けやすいと主張したことがきっかけと言われている。当初米国産牛肉の危険性をめぐる議論が主だったキャンドル集会は次第に反政府デモの色合いを帯びるようになり、6月10日には、これまでの最大規模となる約20万人もの市民が抗議デモに参加した。

こうした状況を踏まえ、李大統領は6月19日、国民への談話として事実上の謝罪会見を行った。米国産牛肉の輸入制限撤廃に端を発した政府批判に対し、「子どもの健康を心配する母親の気持ちを思いやれなかった」などと述べ、国民に謝罪した。また、6月10日には、大規模の反政府キャンドル集会の模様を、青瓦台裏手の山から眺めていたと告白し、「暗闇の中、街を埋めたろうそくの火の行列を1人で見ながら、国民を安心させられなかった自分を責めた」と語った。そのうえで、「国民が望まない生後30カ月以上の米国産牛肉が決して食卓に上らないようにする」とした。そして談話の数日後、李大統領は閣僚級にあたる青瓦台首席秘書官などの人事刷新を行い、内閣改造にも踏み切った。

牛肉デモに表れる韓国国民の怒りの原因は、食の安全に直結する狂牛病への不安だけではない。牛肉問題にとどまらず、韓半島大運河構想、教育制度改編など李政権が進める他の政策への不満が複雑に絡み合う。原油価格や物価の急激な上昇に加え、貧富の格差が広がり、庶民の暮らしは厳しいのに李政権の閣僚や高官には億万長者がずらりというのも国民から大きな反発を買った。また、政府の拙速ぶりや国民との意思疎通の不足、李大統領の強引な統治スタイルなどを指摘する声も大きい。さらに韓国独特の愛国主義やお祭りのような集会文化が背景にあるのは特筆すべきであろう。

今回のキャンドル集会の火付け役になったのは中高生や大学生であり、この若い世代が敷いた流れに往年の386世代(民主化闘争世代)や市民団体などが合流する形となった。牛肉デモに参加した大多数の人は純粋な動機を持った普通の市民であり、決して特定勢力が計画したものではない。この意味で既成政治に不信感を抱く若い世代や一般市民が直接政治の場に参加したというのが今回の牛肉デモの本質なのである。

 

また、インターネットを通じた市民の情報共有が政権批判に大きな役割を演じたことも重要である。牛肉デモの現場にはいつも賢い大衆(Smart Mob)の存在があり、彼らは携帯電話、カメラ、ビデオカメラで集会の現場を生々しく撮影し、すぐに写真や動画がウェブサイトに投稿され、それがさらなる参加を呼びかけた。この意味で牛肉デモはネットという新しいメディアが作り出したウェブ2.0時代の新しい民主主義の可能性を示す事例でもあるといえよう。

 

これに対し、キャンドル集会はデジタル・ポピュリズムとして「浅民民主主義であり、生命を楯にとって理念を売り出す生命商業主義である」との批判があるのも事実である。彼らは反政府デモの色合いを帯びるキャンドル集会は民主主義を支える「法の支配」に対する挑戦であり、直接民主主義を悪用した世論の歪曲や扇動が飛び交う「民主主義の逸脱」だと警告する。

 

牛肉デモから新しい民主主義の可能性を見いだすか、さもなければそれを民主主義の逸脱と見るかをめぐっては議論の余地があるが、今回の牛肉デモに大きく影を落としているのは正しい代議制民主主義の失踪である。一般に民主主義のための制度の中で代議制より効果的なものはないとされる。しかしながら、政党やマスコミが機能しなければ代議制はうまく働かないものである。牛肉デモに際して既存の政党やマスコミは本来の機能を果たすことができなかったように思われる。今回の牛肉デモをきっかけに、社会を構成する各部門が代議制の定着のために何をいかにすべきかを真摯に自問しなければ、韓国における民主主義の発展は遠い未来の話になってしまうかもしれない。
————————–
<金 雄熙(キム・ウンヒ)☆ Kim Woonghee>
ソウル大学外交学科卒業。筑波大学大学院国際政治経済学研究科より修士・博士。論文は「同意調達の浸透性ネットワークとしての政府諮問機関に関する研究」。韓国電子通信研究院を経て、現在、仁荷大学国際通商学部副教授。未来人力研究院とSGRA双方の研究員として日韓アジア未来フォーラムを推進している。今年度は独協大学外国語学部交換客員教授として日本に滞在。
————————–