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エッセイ140:藍 弘岳「新しい台中関係の時代と日本(その1)」

今年の3月20日に、私は選挙権を得てから4回目の総統選挙に投票しました。しかしながら、今回ほど自分の一票の重さを感じたことがありませんでした。約3年前から、台湾の陳水扁前総統の親族までを含む民進党政権関連の汚職疑惑と、総統の有力候補だった馬英九氏が汚職で起訴された事件などのニュースが毎日のように続いて、海を隔てる日本にまでなだれ込んで来ました。そんなニュースを見るたびに、台湾の将来への焦燥感が押し寄せてきます。このような焦燥感に駆られて、私は一票を投じました。この一票の力が功を奏したか、台湾は2回目の政権交替を実現しました。果たしてこれで台湾がよりよい民主国家になれるかどうかはわかりませんが、私は焦燥感から解放されました。

 

 
この新しい政権への期待感が膨らむ中、5月20日に、馬英九氏が台湾の新総統に就任しました。この日を境に、台湾は新しい時代に入りました。この日から、対中協調を重視する国民党が8年ぶりに政権に復帰して、新しい台中関係への模索が始まったのです。これと同時に、民進党政権が中国と縁を切るために遂行しようとした脱中華・中国的なものの文化革命も挫折しました。この意味で、馬英九氏のこのたびの選挙の勝利は台湾の民主主義を深化させただけではなく、台湾内部における脱中国主義の勢力の成長を鈍化させました。

 

 
実は、早くも、総統の就任式典前の5月12日に、台湾の次期副総統(当時)蕭万長氏は中国海南省の博鰲で行なわれたボアオ・アジア・フォーラム(Boao Forum for Asia)で、中国の胡錦濤国家主席と会談しました。これは戦後、中国大陸(中華人民共和国)と台湾(中華民国)当局間では最高レベルの首脳会談といえます。この会談で、蕭副総統はこれからの台湾の対中姿勢として「現実を直視し、未来を開き、争いを棚上げし、相互利益を求める」(「正視現實、開創未來、擱置爭議、追求雙贏」)原則を示し、台湾と中国の直行チャーター便や中国本土からの観光客の受け入れ解禁などを求めました。この蕭副総統が示した経済優先の現実主義的な対中姿勢は、多数の台湾人の期待に沿うものだし、これからの台中関係の基調になると思われます。現に、この2ヶ月間に、中国大陸と台湾当局との間の交流が頻繁になっています。台湾側の人事問題などによって多少の波乱が生じましたが、台湾側が求めた台湾と中国の直行チャーター便や中国大陸からの観光客の受け入れ解禁などはそれぞれ、今年の7月に実現されることになっています。

 

 
そもそも、馬英九氏が今回の選挙で、58.45%の得票率で大差をつけて選挙に勝ったのは、この台中関係の改善という選挙の公約にも関わっています。就任式典で行われた所信表明演説の重点も台中関係の改善にあります。彼は演説の中で、次の四つの台中関係の改善に関わることを述べました。(1)「三つのノー(独立せず、統一せず、武力を行使せず)」の理念で台中の現状を維持すること。(2)台中が「ひとつの中国」をそれぞれ解釈するとの「1992年の合意」を基礎に、対話再開を求めること。(3)7月からの週末チャーター便の運航と中国観光客受け入れ解禁で、台中は新時代に入ること。(4)中国大陸と台湾の人民はともに「中華民族」に属しており、平和共存の道を見つけることができることです。

 

 
この宣言で、特に注意すべきなのは、「中華民族」という言葉です。この言葉は、これから、「一つの中国」という原則に代わって、台湾と中国が共有する最大の枠組みとして使われるようになると思われます。実際、馬氏の就任して間もない5月26日、呉伯雄国民党主席は、香港を経由してチャーター機で中国を訪問して胡錦濤国家主席と会談を行いました。会談の過程で呉胡の両氏は「中華民族」を10回以上言及したそうです。このように、中国大陸当局は主権に関わる「一つの中国」という基本原則をひそかに棚上げにしました。これは確かに大きな変化でしょう。この変化は各社説にも論じられたように、台湾の政権交替と関わるほかに、今年3月に起こったチベット騒乱で国際社会から非難を受け外交面で孤立した共産党政権が中国のイメージアップを図ろうとした狙いがあることと、四川大地震の際、台湾が積極的に義援していたことなどにも関わっています。

 

 
しかし、「中華民族」は近代から創出された一つの虚構にすぎません。「中華民族」は梁啓超と章太炎といった近代中国の大思想家たちが日本で使い始めた言葉です。だが、当初、彼らがいう「中華民族」は漢族だけを指していました。それ以後、孫文が自ら提唱した五族共和説を修正して中華民国の国民を創出するために「中華民族」という概念枠組みを選びました。また、中国共産党の創始者の一人である李大釗は日本帝国の大アジア主義に抗して、「新中華民族主義」を提出しました。孫文と李大釗が使う「中華民族」はもはや漢族だけではなく、中国の主権統治範囲内のほかの少数民族をも含む政治概念になっています。さらに、中国共産党は、国民党と、日本帝国という共通の敵をもったから、後に結党当初採用したプロレタリア民族論に基づく「中華連邦共和国」の建設という目標に修正を加え、孫文の民族主義から批判的に摂取・継承しつつ、中国内部のさまざまな民族集団を含む全ての人々を「中華民族」と呼ぶことにしました。このように、日本という共通の敵があるからこそ、「中華民族」という国民党と共産党が共有できる概念枠組みが形成しました。とはいえ、さかのぼって見れば、戦前の日本のアジア主義も「中華民族」という概念の根底にある中国中心の天下の秩序観・世界観から離れるためもあり、さまざまな視点から提唱されていました。そして、1990年代以後、日本だけではなく、台湾と韓国と中国にもアジア主義的な考えが再び流行するようになっています。なぜなら、アジア(ないし東アジア)という概念は西洋中心の世界と中華民族及び国民国家の枠組みを同時に超える思想の可能性を持っているからでしょう。

 

 
ともかく、日本、アジア、中華、台湾、西洋などの概念が歴史的に複雑に絡まっていますので、これ以上、深く立ち入って論じることはしません。私がこのようにあえて「中華民族」という概念の略史を述べたのは、台湾政治が抱える根本的な問題の一つを考えてみたいからです。(続く)

 

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<藍 弘岳(らん・こうがく)☆ Lan Hung-yueh >
中華民国の台湾南投生まれ。現東京大学総合文化研究科博士課程に在籍するが、博士論文の審査が通ったばかり。関心・研究分野は荻生徂徠、日本思想史、東アジアの思想文化交流史、日本漢文学など。博士論文のテーマは「荻生徂徠の詩文論と儒学――「武国」における「文」の探求と創出」。現在は、二松学舎大学COE研究員、SGRA会員。