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エッセイ134:オリガ・ホメンコ「周りの人からもらう夢」

彼はとても明るく微笑んでいる。慎重な目線と粘り強い性格のおまけにその明るい微笑がある。たくさん苦労をしたように見えない。言葉がとにかく多いのだ。言葉で「足りない部分」は体の動きで表す。話す時はよく動いている。その動きで言葉を伸ばそうというかのように。もしかしたら、その動きでよりたくさんの空間を獲得しようとしているかもしれない。小柄で、歳をとっても少年のようだ。見学で博物館に連れてこられた少年のように、何もかも面白くてすべてに触って見たいというような強い好奇心をもっている。だが「博物館」の代わりに「周りの世界」だ。人々は彼のエネルギーがどこから生まれてくるのかと考えている。毎日、朝から患者さんを診療して、午後は医学部で講義をやっているくらいエネルギーに溢れる人に見える。

 

 
ある日、彼の子どもの頃の話を聞いてその理由が良く分かった。彼は1930年代の後半にウクライナの中部の小さな村で生まれた。彼の名前は、伝統に従って、その日の聖人に因んでミハイローになった。5歳にならないうちに母親が病気で他界し、父親は別の女性と再婚した。継母には自分の子供がいて彼には冷たかった。

 

 
ミハイローがまだ小さかった時にある人にすごく強い印象を受け、それが将来の職業にもつながったようだ。ある日、彼の村に町から医者が来た。村は小さかったので看護婦しかいなかった。誰かが重い病気になり、医者を呼んだのだ。その「町から訪れた」医者は医療道具が入ったぴかぴかの茶色い皮のカバンを持ち、パチパチという音がするほどのりをつけた白衣を着ていた。彼の白衣は本当に太陽の光よりもぴかぴかに見えた。小さいミハイローにはそのように見えた。緑がいっぱいだった村で、白衣が白かった。ミハイローはその白衣をきた医者が「違う世界」の人に見えた。その「世界」には、畑仕事、牛の世話、そして冷たい継母がいなかった。また大好きだった母親を救えた職業だった。その人を見て10歳のミハイローは医者になることを決めた。医者という仕事の内容も良く分からなかったけど、絶対医者なると決めた。

 

 
15歳になった時に家を出て遠くに行った。その行き先の町にはぼた山が多く、仕事帰りの男性は皆疲れて顔が黒くなっていた。その東部の町で、彼は医科短大に入学し、3年間パンと水ばかり食い、熱心に医学を学んだ。実家にはあまり帰らなかった。誰も待っていなかったし。彼はこの知らない町で自分の新しい居場所を探していた。炭鉱の給料が良いと聞き、そこでアルバイトをしようとした。炭鉱夫として。だが年齢や身体的な理由で炭鉱夫になれなかった。しかし夜間講座を受けて測量士になり石炭を計ることになった。一日3時間だけ寝て、短大の朝の授業にも必ず出た。そして授業にでる時も顔が黒くなっていることを誇りに思っていた。誰も「顔をちゃんと洗いなさい」とは言えなかった。なぜならその町では炭鉱の仕事で顔が黒くなっているのは、「仲間入り」したと同じことだったから。彼は、遠い町での居場所も見つけ、「仲間入り」もできた。

 

 
短大卒業後、医学部に入学できたので炭鉱のアルバイトを辞めた。6年間医学部で勉強し医者になった。彼の村では初めての医者だったみたいだ。それからもう46年間医者として勤めている。今までいろいろな患者さんを診て多くの人を救った。

 

ミハイローは私の友達の父親だ。学生時代の仲の良い友達だったから、病院に遊び(見学)に行ったことがある。その時、どうしてパチパチするぐらい白衣にのりを付け過ぎるのか疑問に思った。彼が歩くとそののりをつけすぎた白衣が変な音をたてていた。それに、まるで誰かの古い靴を借りてきたように、サイズの合わない靴をずるずるひきずるような音を立てて歩いていた。だが彼はそれを気にしていなかったみたいだ。逆にそれが好きだったようだ。こんな変な質問は、聞きたくても聞けなかった。

 

 
そんなある日、彼が子どもの頃の話を聞かせてくれた。その話を聞いて感動した。その時に初めてそのパチパチとする音は、彼の子どもの頃の夢をかなえた音だったと知った。そして、小さい時に自分の周りにいる人から、その人が知らなくても<夢>をもらうことができるのだと知った。そして夢は原動力となり人生を変えることもできると感じた。友達の父親を見て、夢に向かって努力を尽くせば何でもかなえるとも思った。

 

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<オリガ・ホメンコ ☆ Olga Khomenko>
「戦後の広告と女性アイデンテティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。キエフ国立大学地理学部で広告理論と実習の授業を担当。また、フリーの日本語通訳や翻訳、BBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍していたが、2006年11月より学術振興会研究員として来日。現在、早稲田大学で研究中。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。
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