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エッセイ130:林 泉忠「聖火リレーと中国ナショナリズム」

北京五輪の聖火が混乱を巻き込んだ海外でのリレーを終え、ようやく「安全地帯」の中国に入った。だが、CNNへの抗議デモ、仏系スーパー・カルフールへのボイコット、そして中韓間の罵声合戦といった動きはすぐ収まりそうもない。

 

3月以来、中国と欧米諸国との一連の軋轢はチベット暴動に起因するが、その中で3年ぶりに高まりを見せている中国ナショナリズムにおいて中心的な役割を果たしたのは、欧米などにおける聖火リレーをめぐる摩擦であった。チベット独立支持派の妨害、およびそれを「容認」する西側に対する中国人若者の反発という構図である。

 

では、聖火と中国ナショナリズムの関係をどう考えればいいのか。そしてその影響は?
聖火は五輪の象徴と関連している点が重要であろう。オリンピックにおける聖火リレーの導入は1936年に開催されたベルリンオリンピックであったが、聖火は戦後もオリンピックのシンボリックな存在として重要視されてきた。

 

14万ほどの亡命チベット人にとって、聖火リレーを妨害する理由は、長い間国際社会そして中国人まで届かなかった自らの訴えをアピールすると同時に、メンツを大切にする中国人を傷付ける絶好のチャンスと見ることにある。一方、北京五輪は多くの中国人にとってかつての東京とソウルのオリンピックと同様、国威の発揚にとどまらず、近代以降味わってきた民族的屈辱を晴らし尽くすには欠かせないプロセスなのである。言い換えれば、中国人から見れば、聖火リレーへの妨害は民族的自尊心の回復を妨害することを意味する。そのため、中国人の民族感情はこれで一気に爆発したのである。

 

ただし、今回の新たな中国ナショナリズムの高揚は国際社会から理解を得ていないようだ。これは、中国人のイメージをダウンさせてしまうばかりか、オリンピックへの影響もむしろマイナスである。CNNニュースキャスターの「失言」や西側の一部の報道の偏りへの批判には一理あるものの、仏製品の不買運動は理性的批判の枠を超えており、毎週日曜日に一か月もアメリカにおいて行われるCNN批判に対する大規模なデモは、「成熟した大国の国民に相応しくない」というイメージを与えてしまいかねない。というのは、民主主義の国において行なわれるデモは、多くの場合、自国政府の政策への不満であるが、外国への反発に向けた大規模デモは希だからである。しかも、今回の場合、自国でのデモが許されずホスト国でのデモであるだけに、民主主義の「実践」の合理性が疑われても仕方がない。さらに、チベット騒乱における暴徒の暴力行為を非難せず、むしろ中国政府の「鎮圧」と伝える西側メディアの偏向に対する批判にもダブルスタンダードが見られる。というのは、「真相の究明」のはずだが、どうも3月14日に暴動が発生する前の三日間の真相を中国人が追求しなかったからである。

 

チベット事件そして聖火リレーに絡んだ中国ナショナリズムの高揚に対する西側のマイナス的評価は、4月15日に発表されたイギリスのフィナンシャル・タイムズの調査結果にも反映されている。調査はイギリス、フランス、ドイツ、スペインそしてイタリア五カ国で行なわれ、その結果、35%の回答者が中国を国際社会の安定における最大の脅威とみなしており、その数字はアメリカやイランおよび北朝鮮を上回ったことが示された。

 

また、今年のゴールデンウイークを利用した中国への旅行者数は前年比で20%減少したという調査(JTB)もあり、北京五輪へのマイナス的な影響はすでに出ているようだ。
ナショナリズムは両刃の剣であると言われている。今回の中国ナショナリズムの波も例外ではない。
(2008年5月3日ケンブリッジより)

 

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<林 泉忠(リム・チュワンティオン)☆ John C. T. Lim>
国際政治専攻。中国で初等教育、香港で中等教育、そして日本で高等教育を受け、東京大学大学院法学研究科より博士号を取得。琉球大学法文学部准教授。4月より、ハーバード大学客員研究員としてボストン在住。
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