SGRAかわらばん

SGRAからの質問:聖火リレーは続けるべきでしょうか(1)

SGRAから、購読者の皆さんに質問しました。
「聖火リレーは続けるべきでしょうか」

 

■ 聖火リレー問題について意見を申し上げます。
チベット問題について一定の理解があるものの、今回のように聖火リレーを妨害することは下作だというしかありません。もともと聖火リレーは国際オリンピック委員会によるものであり、聖火は世界の平和を象徴するもので、聖火等を奪うようなテロ行為は本来なら世界が許すものではありません。ダライ・ラマ氏が言うように、暴力等をふるって問題を解決するものではありません。オリンピックを自分たちの政治に利用するのも卑怯です。中国政府に問題があるとしても、世界が望む四年に一度の平和の象徴のオリンピックを侮辱するのは決して許せるものではありません。平和的にオリンピックを行われることを祈っています。今回のような事件は、チベット問題を解決するのに何も役に立つことがないと思います。聖火リレーを妨害するのは得策ではないです。

 

■フランスで車椅子のランナーの手から聖火を奪う場面を見て、本当に驚きました。自由の国のフランスで、不自由な方にこのような恐怖を与えるのはわれわれ普通の人から見れば不思議でならないです。地球市民って難しいですね。いろいろな国々があって、それぞれの立場・利益からものの見方が変わってきます。日本のメディアも中国への非難一色で、聖火リレーを妨害する過激な行動が民主的ではないことは誰も批判しませんね。ま、どっちもどっちでよくわかりません

 

■私は縮小、或いはやめた方がいいと思います。本来の目的は達成しませんので、聖火リレーを続ける意味はないと考えます。

 

■今回の聖火リレーについては、本当にいろいろと考えさせられました。中国国内では、ナショナリスティックな意見も少なくないですが、マスコミは意外と冷静でした。リレーのトラブルに関する報道は規制されているせいか、衝撃な映像などはあまり流されていないです。

 

それに関連して、日本の報道ぶりに驚きました。上海の自宅で日本のNHKのニュースが見られるので、 聖火リレーの様子をキャッチできますが、昨日は衝撃を受けました。NHKの報道によると、インドネシアでの聖火リレーは中国政府の要請で専ら現地の運動場の中で行われたということでしたが、その直後、中国国内のニュースをみると、リレーは明らかに街の中でも行われている映像が流されていたのです。NHKも欧米のメディアと同じく、過大報道、中立でない報道、意図的な報道などといった問題を抱えているといわざるを得ないです。

 

チベットで起きた暴動事件などについても、真実はまだ見えないですが、マスコミの報道を単純に信じるのは危ないと強く感じました。中国政府を代弁するつもりはまったくないですが、今回の聖火リレー事件を通じて、中国国民が欧米諸国を見る目が変わったと思います。

 

日本での聖火リレーはどうなるか、注目したいです。

 

■北京に行ってきました。海外のテレビで流れている聖火リレーとそれをめぐる数々の騒動、およびそれによって出来上がっている北京五輪のイメージと、北京空港や北京街頭で体感した北京五輪の雰囲気とはだいぶ異なるような気がします。もちろん、私は今北京に住んでいないし、あくまでもこの4日間だけの滞在でしたので、私の「体感」もある意味ではこの4日間だけの私個人の感覚に過ぎないと思います。

 

しかし、昔に比べるとさわやかな緑(昔なら埃を被った緑)がずいぶん増えたなあとまず感心しました。まっすぐで大きい道路や立派な建物、そしてあの広々した開放感のある空間作り(それは昔もそうだったが、今はより広く感じられます)に癒されました。そして何よりも接してきた人々のあの親切さ、ホテルの人、タクシーの運転手、空港のスタッフ。みんな自然に笑顔があって心のゆとりを感じました。「ずいぶん変わったなあ」と感心しました。

 

海外のメディアはやはり海外のメディアらしく、彼らの意図や想像によって情報を取捨選択して流していると思います。もちろん、中国のメディアもそれなりの取捨選択で報道していると思いますが、しかしCNNの報道や、時には日本の民放の報道ぶりをみていると、彼らに中国のメディアを批判する権利はないなぁと思います。やり方はよりソフトに見えるかもしれませんが、情報操作とは言わなくても先入観があまりにも甚だしい。

 

私は普通の北京の人々が自然に笑顔で優しく接してくれるのが何よりも嬉しく思いました。もちろん中国にはまだ人権問題や環境問題など数多くの問題があります。程度の差はあるが、それはパリでも東京でもあると思います。しかし、中国人にも、北京オリンピックも含めて世界の人々と交流を深める中、自然な笑顔が溢れる「幸せ」を追求する権利はあります。そして北京で確実にそれが見えてきたのが何よりも嬉しいです。

 

海外のメディアは“洗練”されているかもしれませんが、その“洗練”の下には「アジア蔑視」「偏った先入観」が隠されているときもあります。“洗練”したカッコウをした「行き過ぎ報道」より、私にはタクシーの運転手や空港の若いスタッフ等の素朴な北京の人々のほうが正直で良いと思いました。