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エッセイ126:葉 文昌「差別問題とグローバル化」

「ヘアスプレー」というミュージカル映画を見た。60年代の黒人差別がまだ濃く残っていて且つ白人がメディアを牛耳っていたアメリカで、黒人のダンスの人気とは裏腹に舞台上演のチャンスを奪われたことをきっかけに、体形で差別されていた白人の女の子と、差別を良しとしない仲間の協力を得て、ついに黒人R&Bが大衆の支持を得て優勝したという内容である。この映画の中で、その頃は一般的であったであろう黒人や肥満などへの差別に対して、黒人と白人、肥満と普通、それぞれ多様であると訴えているところが印象的であった。

 

アメリカ社会は人種問題が激しい。それがない日本や台湾の方が住みやすいと日本と台湾に住む人々は言う。自分もかつてはこのような場所に生まれて良かったと胸を撫で下ろしていたものである。しかしエネルギー消費が増大すれば、地理的な活動範囲が拡大するは自然の摂理である。人間の歴史は、これまで幾度もそれを経験してきた。何らかの技術革新により人々の行動範囲は郷から県に広がり、また何らかの技術革新(例えば鉄砲)により県から国、そして何らかの技術革新(例えば発動機)により国から地球に広がった。そしてそれぞれの時代の中で、それまで郷内しか知りえなかった者が「よそ者」に抱く感覚や差別と、それまで国内しか知らなかった者が他国人に抱く感覚や差別は同じものだったと思う。だとすると単一民族とはある時点の特別な状態であって、差別問題はいつでも起こりうる。したがって60年代に社会の多様性を訴えて差別をなくす努力をしてきたアメリカは、グローバル時代を先取りしていたと言える。

 

昔、日本は単一民族国家だから外国人との付き合いに慣れていないと聞いたことがある。しかしグローバル化が進めば外国人との往来は益々増える一方で、それを拒むのは不可能である。また資源のない日本は外国との関わりを持つことによって豊かさを得ている面もある。開国する以上、一人よがりの中途半端な対応ではアジアからの人望を失う。人望を失えば人と金は集まらない。人と金が集まらなければ活気を失う。日本は開国することを選択した以上、中途半端な対応は許されず、今以上に外国人に対する意識の変革が求められているのだ。台湾人が日本に抱く感情の一つに「電子製品が優れている」ということがあるが、同時に「閉鎖的」とも聞く(多くは2~30年前のことが言い伝えられているが…)。日本はアジアからの人望がまだ不足しており、一流の人材は日本よりアメリカを選ぶようだ。そしてアメリカの影響力は強まり、電子製品ではアメリカと(日本を除く)アジアのグローバルスタンダードが出来上がる。そして日本の企業の業績に影響がでる。アジアと日本は近所なのに残念な話である。

 

ここで実例として産業に近い国際学会Aを紹介したい。この産業は日本が切り開いてきたが、その後韓国がトップの地位を確立したX産業に関する学会である。A学会は日本で設立され、毎年日本で開催される。組織委員会は大勢が日本の関連企業のお偉い役員で固められているが、その後韓国でこの産業が発達してきて研究レベルも向上したので、韓国人が主催を求めるのは当然の流れである。しかしこの学会の委員は頑なに外国での主催を拒んでいた。堪りかねた韓国人と日本人は、共同で同じ分野のB学会を設立し、毎年日本、韓国と台湾で掛け持って開催することにした。その際には、旗振り役の日本人研究者はA学会の人からクレームがついたそうである。また、B学会はその後ヨーロッパ人の要請でヨーロッパでも開催することになった。そしてこれをきっかけに、以前はアジアまで来なかったヨーロッパ人の参加者が増え、当然学会は益々盛り上がり、レベルが上昇するようになった。一体日本人組織委員だけで固められた学会に外国人が喜んで参加すると思うのであろうか?人が集まらねば当然高いレベルは維持できない。そして当然A学会はしぼんでいくことになろう。これは独善的な対応が行き詰ったことの実例である。このような状況はここで挙げた学会だけの話ではなく、他の分野でも起こっていると思う。日本では若い人ほど国際化に慣れている。国際化に彼らはうまく対応できよう。しかし問題は今会社の舵取りをしている世代なのである。グローバル化という時代の変革に適応していない人が少なからずいるのではないかと思う。

 

日本に牽引力がないのであれば、中国やアセアン諸国の一流人材を台湾に吸い込めたらどんなにいいかと思ったことがある。しかし一筋縄には行かないようだ。「台湾は外国人に親切と思うか」と台湾人に聞いてみると、「とても親切に接している」と言う。しかし彼らの言う「外国人」とは実際は自分より豊かな欧米諸国や日本からの外国人で、実は自分より貧しいアジアの国々の人に対しては「外国人」ではなく「外労」(外国人労働者の略称)として差別しているのである。6年前に台湾でかなりの規模の企業の工場を見学したことがあったが、本国人社員と外国人労働者の食堂が別々にあるのに気づいた。これは誰が見ても非効率である。そこで案内してくれた管理職の方に理由を聞いたところ、平然と「外国人労働者にはある種の寄生虫がいるから」と真顔で答えられた。このように日常的に差別が存在し過酷な搾取を受けているので、台湾ではこれまで外労の暴動が起きたこともある。日本人や欧米人にはやさしいが自分より貧しいアジアの国の人たちには厳しい。これでは弱い立場の平社員には厳しいが上司にはへつらう中間管理職と一緒である。当然部下からの人望は集められないし、偉くもなれない。たまたまリーダーになってしまったら、それは災の始まりである。だから台湾が他の国の人材を吸い込むのは難しい。

 

弱い立場の人間には厳しいので、皆学歴や家柄や人脈を強調して、自分を強く見せていじめられないようにする。台湾で路上の果物売りから果物を買っていた時に近所の人が通りかかったことがあった。後で「そんなやさしい顔をしていたら高く買わされるよ」とアドバイスを受けた。僕としては、相手は貧しい農民なのだから少しくらい高く買わされてもいいと思っていたのであるが、台湾ではそう考えないらしい。強い人にはへつらうが弱い人には厳しい。これは魯迅の言う阿Q精神で、中華文化の一部である。欧米的価値観では貴族の義務があって、社会上層にはより厳しい要求があると聞く。中華圏は反対で「貴族の権利」と「底辺の義務」しかなさそうだ。弱いものには厳しく当たるので弱い立場の辺境民族や農民は搾取の対象となる。そしてたまりかねて蜂起が起きる。これだから中国もリーダーの人望と品格は持ち得てない。

 

アメリカでは今や企業の雇用に国籍を問われないことが多く、世界から直接応募が集まり、企業も国籍問わずに対応すると聞く(註)。今後人々の地理的な活動範囲が増えればこの傾向は益々強まるであろう。それはアメリカが60年代に人種差別問題に真摯に取り組んだことがある程度影響しているのかもしれない。スポーツの世界でも、脂の載ったアジアの選手が次々と向こうに行って活躍し、給料以上の金をアメリカに集めさせている。「社会の発展は人にある」とすると、やはりこの先もアメリカが世界のセンターとして君臨続けるのではないかと思う。

 

註:http://nvc.nikkeibp.co.jp/report/jinji/leader/20070906_000701.html 参照。

 

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<葉 文昌(よう・ぶんしょう) ☆ Yeh Wenchuang>
SGRA「環境とエネルギー」研究チーム研究員。2000年に東京工業大学工学より博士号を取得。現在は国立台湾科技大学電子工学科の助理教授で、薄膜半導体デバイスについて研究をしている。
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