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エッセイ122:ボルジギン・フスレ「モンゴル人は血のついた肉をそのまま食べるって本当?(その2)」

来日二年目からある留学生寮に住んだ。当時、そこに入居するには「北京出身」という条件があった。わたしは北京で4年間勉強したことがあったから、厳しい選考を経て、そこに入ることができた。寮は立派で、共同の食堂と厨房があった。そこに住んでいる留学生たちはよく十数人くらいで集まって、一緒に料理を作って一緒に食べていた。皆と行動を共にしないわたしは、いつも厨房で自分の料理を作って、自室に持って帰って食べるのであった。偶然にも、わたしが料理を作る時、彼らもいつも厨房で料理をしていた。厨房と食堂はいつもにぎやかであったが、わたしは彼らとほとんど会話しなかった。

 

肉食に慣れたわたしは、日本に来ても、料理をする際、必ず肉をいっぱい入れる。1パックの牛肉を買ったら、そのまま、その肉を全部鍋に入れて煮る。或いは炒める。ある日、隣で料理をしているひとりの留学生が、わたしの料理を見て、「あなたはこれを何日間食べるの?」と聞いた。
「一食だけ」
「へぇー?うっそ~!あたなは1回でわたしたちの10人分を食べてしまうの?」と、その人は驚いた。
「これはわたしの分だよ」とわたしは言いながら、できあがった料理を大きな皿に入れて、自室に持ち帰った。

 

当時、わたしは、故郷から持ってきた干した牛肉や羊肉を材料にして料理を作っていた。干した肉を鍋に入れて、葱と塩を加え、1時間ほどじっくりと煮る。便利で、美味しい。1時間かかるから、火を弱火にして、一度自室に戻る。途中、1回だけ様子を見るが、できあがるまでずっと自室で本を読む。

 

そのように料理をし続けていたが、ある時期から、自分が干した肉で作っていた料理の量がよく足りなくなった。いつも決まった量で作ってきたので変るわけはないはずなのに、できあがった物がなぜ足りなくなったかと不思議に思った。そんなある日、いつものように、わたしは、干した肉を鍋に入れて、葱と塩を加え、弱火にかけて自室に戻った。30分後、厨房に様子を見に行ったら、何人かの留学生が慌てて、厨房から逃げ出した。「どうした?」と思いながら、厨房に入った。そこにはまだ一人の女の留学生がいて、口の中で何かを噛んで、笑いながら「皆に食べられちゃったよ」と言った。

 

自分の鍋を見たら、蓋が開いていて、鍋のなかの肉がだいぶ減っていた。わたしの不思議そうな顔を見て、「あなたがいない間、みんないつもあなたが作った肉を食べているんだよ。美味しい!」と、その女性が正直に言った。なるほど、彼らに食べられてしまったのか。だから最近の夕食の肉はいつも足りなかったのだ。

 

わたしは怒らなかった。まだできあがっていないものが我慢できない人々に食べられてしまうのは、その料理の魅了を物語っているのではないかと思った。

 

日本に来る前から刺身のことを知っていたから、日本に来た時には刺身をすぐ受け入れることができ、好きになった。ただし、日本人は魚だけではなく、鶏肉、牛肉、馬肉も生で食べるのは、知らなかった。

 

5年前、中国から来た代表団の通訳を勤めていた。ある日の夕食はステーキだった。店員は「ブルー(少し焼いて、ほぼ生に近い状態)にするか、レアー(ほぼ全体に色が変っているが、肉汁は生に近い状態)にするか、それともウェルダン(よく焼いたもの)にするか、レアーとウェルダンの間のミディアムにするか」と聞かれた時、わたしは、訳しながら、ステーキを食べたことのない代表団のメンバーにウェルダンを勧めた。ところが、代表団のメンバーのなかには、やわらかく焼いたステーキを食べたい人もいて、ウェルダンを注文した人もいれば、ミディアムやレアーやブルーを注文した人もいた。

 

「ステーキ」ってどんなものか皆楽しみにしていた。しかし、店員が出来上がったステーキを持ってきたら、代表団のメンバーはほぼ全員「ええ、これは生じゃないか。血も付いているよ」と不満だった。結局、日本の招待側と通訳のわたし以外、代表団のメンバー全員がシェフにお願いして、できあがったステーキを細く切って、再び焼いてもらって食べたのである。しかし、それはステーキというより、肉炒めといったほうがふさわしい。

 

同じ頃、わたしが通訳として、ある日本の会社の代表団と一緒に、内モンゴルを訪れた。旅行前、日本人のみなさんは、モンゴル料理とお酒を受け入れられるかどうか心配していた。

 

レストラン・オラーンでおこなわれた歓迎宴会で、豪華なモンゴル料理が出された。前菜のなかで、モンゴル風のソーセージもあった。団長はとても気に入って、「なんて美味しいんだろう。このソーセージを食べて、日本に戻ったら、日本のソーセージを食べたくなくなる」と、ソーセージをたくさん食べた。

 

メイン料理の羊一頭の丸焼きが出されると、みんな「ほ~」と興奮して、カメラを出して、写真を撮った。みんな満足そうに、その羊の丸焼きを十分堪能した。

 

日本代表団をホテルまで送る途中のバスのなかで、招待側の、草原で育ったガイドは「モンゴル人は羊一頭の丸焼きを食べるけど、みなさんが食べたこの羊は、ほんとうのモンゴルの丸焼きのやり方と違うよ」と言った。つまり、彼から見れば、メイン料理に出した羊一頭の丸焼きは、純粋なモンゴル料理とはやはり違う。しかし、わたしから見れば、時代や環境の変化にしたがって、料理というものが変わるのは当然である。文化というものは変わらない部分もあれば、変わる部分もある。つまり魂になるものは変わってはいけないが、魂をよりいい方向へと生かしていくため、変化した環境のなかで生命力がある良いものを取り入れる必要があると思う。単に料理をみると、中華料理には、調味料のなかで「胡」が付いているもの、つまり外来品が少なくない。日本料理の場合、東洋のものもあれば、西洋のものも少なからず含まれている。モンゴル料理も、他民族の料理の良いところを取り入れて、発展していくのだ。

 

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<ボルジギン・フスレ☆ BORJIGIN Husel>
博士(学術)、昭和女子大学非常勤講師。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。「1945年の内モンゴル人民革命党の復活とその歴史的意義」など論文多数発表。
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