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エッセイ117:梁 蘊嫻 「Happy People」

*写真入りのエッセイは下記のURLからご覧いただけます。http://d.hatena.ne.jp/tamasato/

 

 

昨年の夏、アジア21奨学財団「日本の基層文化を学ぶ」熊野ワークショップツアーで奥田彰人という写真家に出会った。

 

「写真家の奥田さんです。彼はもっぱら人物写真を撮っていて、『世界』という雑誌に作品が掲載されていますよ。大阪の人で冗談ばっかり言うから、一日中一緒にいると疲れちゃうんだよ」と奨学財団事務局長の角田さんは冗談を混じえながら、奥田さんを私たちに紹介してくださった。

 

奥田さんは運転手を勤める一方、我々の活動を写真で記録していた。確かに彼はいつも「俺は他人に厳しく自分に優しいんだ」と戯けた口調で話しているが、その裏には真面目な性格が隠されていることを私は感じ取った。我々の活動が無事に行われるように配慮し、彼は必ず行列の最後尾にいる人に目配りする。また、日本や熊野の風土について知っている限りのことを留学生に教えてくれようとする優しい一面も見せてくれた。

 

旅行中一つ印象的なことがあった。旅の最後の晩、私たち一行は那智の滝がよく見える山頂に聳えたお寺「青岸渡寺尊勝院」に泊めていただき、住持の高木英亮さんの法話を拝聴した。翌日早朝、荷物を背負って青岸渡寺尊勝院に別れを告げたときの出来事であった。私たちはのんびりとおみくじを引きに行ったり、寺院の周辺を散歩したりしていた。奥田さんは散漫としている私たちに怒り出した。全員が集まって、お世話になった「青岸渡寺尊勝院」の方々にきちんとお礼を申し上げなければならないと彼は考えていたからだ。奥田さんは人に対して「感謝の気持ち」を強く持っている方なのだ。

 

旅行から戻ると、参加者全員がレポートを提出し、財団の便り「結」(ゆい)に載せてもらったが、奥田さんは以下の言葉を文章に綴った。
「このツアーは自分にとって線香花火のようだ。人生の一夏にいつも残るのは写真と、消えそうで消えない思い出と、日焼けのあとだけ。それらは大きく打ち上げられたものではなく、それぞれ小さな光がちりちりと重なり合う火玉、線香花火。出会いと別れを繰り返した暑い夏が去り、爽やか秋のそよかぜにこの身が包まれる頃、火玉は静かに落ちてゆく。火玉の残像はありふれた生活の中で自分の「笑顔」に変わっていく。自分にかけがえのない輝きを放つのである」。

 

最後に彼は「感謝を込めて」という言葉を皆に贈ってくれた。奥田さんは人との出会いを大切にし、それを写真によって記憶して、さらにそれが自分の笑顔に変わっていく。そして彼は自分と「ご縁」を結んだ人々に対して感謝している。こんな彼が「人」を撮りたいというのはよく理解できる。人間好きな奥田さんは一体どんな写真を撮っているだろうかと気になった。角田さんの言葉を思い出して、私は図書館で『世界』という雑誌を見つけ出した。

 

雑誌をめくると、目に映ったのは一図一図幸せが溢れている笑顔であった。
労働を終えた休憩時間で、白い歯を見せながら天真爛漫に笑っているおばさんたち。顔を見合わせ「スローライフで楽しくいこう」とにっこりする銀髪夫婦。花柄のシャツにカウボーイ風の帽子、その上タバコを口に銜えている、気ままに生きる男のように見えるが、そのイメージと対照的に写真の説明では「いつもサイフに親の写真……入れてるんだよ」というセリフが付けられ、何とも言えない微笑ましい光景だ。私はなぜかほっとして、しばらくこれらの写真に見入っていた。

 

ところが、雑誌のページをめくって奥田さんの説明を読んだら、私の心は激しく打たれた。撮影場所が水俣市であることを知ったからだ。あの「水俣病」に襲われた悲劇的な歴史を背負った町ではないか。有機水銀に中毒した患者の写真を多く見てきただけに、写真に映った人々の笑顔がこの上なく輝かしいものに思えた。

 

海で遊ぶ四人家族。お腹の中に小さな命が育まれているお母さんは、娘を愛しそうに見ながら小さな手を繋いでいる。お父さんも幸せそうに娘を見守っている。この幸せに満ちた海は水俣病をもたらす祟りの不知火海だろうか。「水銀の被害に遭い失われた生命の魂の再生を願って、こけしを作っている」建具職人は手に握った作品を凝視して淡々とする表情だが、深い想いに沈んでいるように見える。後ろの海を振り返りながら、岸頭に佇むおばさん。「水俣に始まり、水俣で終わる」彼女の平凡な人生には物語がたくさん詰まっているということをこの写真は語っている。

 

奥田さんはそれまで注目されてきた「水俣病」とは異なった視点から写真を撮っていた。それについて彼は「この作品を制作するにあたって一つの決め事がありました。それは水俣病について勉強しないことでした」と述べた。なぜならば、「水俣病という括りだけではなく、それも含めてそこにある全てを『人』を通じて拾い集めていきたかったから」だ。

 

奥田さんは一年と四ヶ月に渡って撮っていた自分の作品を “Happy People”と名付けた。その理由は「撮影させて下さった方々、また目に見えない形でご賛同いただいた方々、そしてこの作品を見ていただいた方々に、我々の往く道に『幸、多かれ』と祈る気持ちを込めつけました」と奥田さんは注記している。また『涙の数だけ笑いもある』との彼の言葉は私の心の深い所まで届けられた。そうだね。工業発展がもたらした水俣病という途轍もない悲劇を我々は教訓として背負って行かなければならないけど、しかし地元の人々の笑顔から救われることができたような気がする。人々は大きな悲しみの中で自分のささやかな幸せを所有している。いや、大きな不幸の外側により大きな幸福が囲んでいるはずだ。奥田さんの写真をみてそう思った。

 

「感謝」「恩返し」「人間」「笑顔」は奥田さんの人生にとって一番大事なことではないかと思う。この四つの主題を生々しく表現している彼の作品が私の琴線にふれる。蠍座の性格かもしれないが、私も人によく感謝する性格なので、ここで改めて奥田さんに「ありがとう」と言っておきたい。

 

彼とはあまり話さなかったが、写真を通じて心の交流ができたような気がする。「一期一会」。私はこれから奥田さんに会う機会があるかどうかがわからないが、2007年夏の出会い、そして写真がくれた感動を心の中に大切に留めてゆきたいと思う。

 

★注記
以上の写真は『世界』(岩波書店、2007年4月)に掲載されているものであるが、奥田彰人氏の承認を得てこちらに転載した。無断掲載や転送を固く禁止する。なお、メールで送信できるように解像度を低くしたので画質が少々落ちており、彩度や明度などは若干原作品と異なった箇所がある。原作と異なった部分があれば、原作品に準ずることを断っておきたい。ご興味がある方はぜひ原作をご覧ください。

 

追伸:奥田氏の作品「HAPPY PEOPLE」が「第14回土門拳文化賞」大賞を受賞されたという最新情報があった。

 

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<梁 蘊嫻(りょう・うんけん)☆ Liang Yunhsien>
台湾花蓮県玉里鎮出身。淡江大学日本語学科卒業後来日。現在東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化研究室博士課程に在籍。博士論文は「江戸時代における『三国志演義』の受容」をテーマとしており、今年度提出予定。母語を忘れてはいけないと思っているので、現在勉強の合間を縫って、母語の客家語を教えている。学生には、日本人、台湾人、二世客家人、ニュージランド人、マレーシア人などがいる。
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