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エッセイ103:高 煕卓「2007年韓国大統領選挙を見て(その1)」

韓国の2007年大統領選挙(「大選」)はあっけなく終わった。今回ほど、投票前に形勢がほぼ決まり、選挙関係者だけのお祭りで、面白くない大選もなかった、といったのが多くの人びとの実感であろう。

 

といっても、今度の大選がもたらした政治的出来事は決して小さいものではない。

 

その一つ。韓国の人びとは去る12月19日の投票でいわば政権交代を起こした。現政権の統一相を歴任した与党候補の鄭東泳(チョン・ドンヨン)氏ではなく、野党のハンナラ党から立候補した李明博(イ・ミョンバク)氏を選んだのだ。

 

その二つ。圧倒的な票差。得票2位に止まった与党候補との間では、得票率において20%以上、得票数において五百万票以上といった、史上前例のないほどの大差がついた。最後の最後まで判らないといった薄氷の勝負を繰り広げた前回や前々回の大選とは様相が全然違うものだった。

 

その三つ。史上最低の投票率。大選平均の80%台にはほど遠く、最低だった前回を7%も下回る63%だった。3人に1人が棄権ということになるが、とくに前回に比べれば、さらに約2百万人以上の人が投票をしなかったわけだ。

 

このように今度の大選で韓国の人々は大きな政治的変動を選択した。が、その選択は、これまで緊迫感に満ち活気が溢れていたものとは対照的に、冷笑が漂う静けさのなかで行われたのだ。

 

こうした政治的現象はどう理解すれば良いのだろうか。いったい韓国社会のなかで何が起こっているのだろうか。ここでは私なりの解釈を試みてみたい。

 

まず、注意を引くのは、政治と道徳との平面的連動構造の弱化である。

 

最近10年間の大選において候補者の道徳性問題が勝敗の大きな分かれ目となったのと比べれば、今回のそれは異様なほど違っていた。現大統領の慮武鉉氏(2002年)やその直前の金大中氏(1997年)が大選で勝利できたのは、あえていえば、そこに対立政党・候補の道徳性問題が大きく絡んでいたからである。

 

また、とくに今回の選挙では与党側に道徳的公憤をもとに劣勢を挽回し大逆転の期待を抱かせた、「BBK事件」も結局「大選の雷管」にはならなかったのだ。

 

「BBK事件」に限っていえば、今年の前半期からその事件への李氏の関与疑惑が持ち上がり、先月の半ばにはマスメディアの集中的な照明のなか、その事件の主犯格とされる人がアメリカの拘置所から韓国に引き渡され、それに対する検察の特別取り調べが実施されたし、「李氏はBBK事件の共犯者だ」といったその人の供述さえ報道されていた。ましてや投票日3日前には、ある大学で李氏自ら「BBKを創業した」という内容の入った当時の講演映像が流された。

 

しかし、それにもかかわらず、「BBK事件」への取り調べが軌道に乗った後で行われた世論調査においても、李氏への高支持率に大きな変動はなかった。「BBK事件」だけでなく、さらには偽装転入問題や脱税などのさまざまな疑惑のため、ある意味では「腐敗政治人」の典型としても映された李氏のイメージが大選の焦点に持ち挙げられるなかでも、圧倒的な票差による李氏の当選が現実化したのだ。

 

今は透明になりつつあるとはいえ、これまで大小の腐敗や虚偽問題に苦しまされ続け、それゆえ道徳性の問題に敏感だった韓国人のことだけに、今回大選の結果は従来の政治と道徳との平面的連動構造の弱化を示唆しているように思われるのだ。

 

だが、ここでまた、注意を要するのは、その意味への解釈ではないだろうか。

 

一つの解釈は、李氏への支持を、いわば「勝てば官軍」といった情緒の表現と見なし、国民的な「道徳的堕落」と受け止める立場である。先月の半ば、与党の選挙対策共同委員長を務める人から、政治と道徳との平面的比例構造の弱化の様相をふまえて、「国民は呆けているのではないか」といったイライラの発言が飛び出たほどだ。が、その解釈は一面に傾いた感を免れない。

 

もう一つの立場は、上記の立場への批判的意味も込めて、今回の大選は現政権に対する懲罰的投票が最も顕著に現われたケースとして見なすのだが、こうした見解は割りと多い。前回2002年の大選ではその愚直さと斬新さで大きな期待をもって迎えられた慮武鉉政権だったが、その斬新さはアマチュアリズムの無能に、その愚直は傲慢や独善に取って代わったというのだ。それからの「学習効果」が今回の大選で大きく反映されたと憤慨する人びとを私の周りではよく見かける。が、敗北の真の原因を探すより敗北の責任者を探し出すことにもっとエネルギーが投入されているような感じで、部分的には理解できるものの、やはり納得いかないところも多い。

 

私は、今回の投票傾向の分析から明るみに出ている、これまで政治的形勢に大きく影響を与えてきた世代や理念、あるいは地域といった要素の比重が低下したという側面に注目したい。それは韓国社会の構造的変動と絡み合いながら、そのなかの人びとの政治意識構造の変動をも示唆しているように思われるからだ。
(これ以降は次に譲る)

 

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<高 煕卓(こう ひたく)☆ KO HEE-TAK>
2000年度渥美奨学生、2004年東京大学総合文化研究科より博士学位取得(『近世日本思想における公共探求』)。専門は近世近代日本思想史。最近の関心分野は東アジア比較思想文化、グローバル時代における文化交流の理論と実際など。現在、国際NGO=WCO(World Culture Open、本部はニューヨーク)調査研究機関の一つとしてのGlocal Culture Research Institute(ソウル所在)のディレクターを務めている。SGRA地球市民研究チームのチーフ。
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