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エッセイ008:李 鋼哲 「善玉菌と悪玉菌」

微生物学では、人間の腸内細菌には「善玉菌」と「悪玉菌」があるという。人間社会でも「善玉人間」と「悪玉人間」がいるが、微生物世界でも人間社会でも優勢なのは「悪玉」ではなく「善玉」であることは明かである。しかし、腸内でも、人間社会でも「悪玉」は不可欠に存在している。もし、数少ない「悪玉菌」が腸内で優勢を占めるようになると人間の身体はおかしくなる。人間社会でも「悪玉人間」が優勢を占め権力を持つようになると社会はおかしくなる。

 

近代社会では「国民国家」というものが出来上がり、それが国際社会を形成している。しかし、「国民国家」が出来上がるや人類は類なき世界的な戦争に突入し悲劇を招いた。「国民国家」で権力欲や領土欲が満ちている為政者つまり「悪玉人間」が権力を握ると、国民に対する統制や略奪はさることながら、他の国や領土も略奪し、さらには支配下に入れようとする。

 

二つの世界大戦が終わっても、「悪玉」は終焉しない。「悪玉」と「悪玉」の対決で人類は核戦争に脅かされているのだ。悪と悪の対決で核開発は世界的に広がる。東西の対決がその現れであり、これを美しい言葉で「勢力均衡安全保障」という。冷戦が終わり、やっと悪と悪の対決が終わったと思ったのに、そう簡単には善玉の世界が訪れてこない。それは世界で最強の国民国家が新しい「悪玉」を探し求めているからではないかと思う。世界の中の「悪玉」を征するという名目で「善玉」を装い軍備を増強し、知らず知らずのうちに自分も「悪玉」に見られてしまう。「悪の枢軸」という言葉を作り出した張本人は自分が「悪の枢軸」になっていないか鏡を見てもらいたい。その悪意が見えているから「ならず者国家」の悪玉も核開発の名目を与えられているのではないか。「悪玉」が「悪玉」を呼ぶ悪循環が世の中を支配しているように見えてならない。

 

その影響を受けてか、東北アジアでも悪の対決構図が浮かび上がってくる。こうなると軍備競争は当たり前のこと。平和国家を自負する国が平気でTMD(戦略ミサイル防衛)に突き進む。「先制攻撃」論さえも批判されずに飛び交っている。理由は周りに「悪玉」ばかりが見えるから。しかし、「悪玉」しか見えない目を持つのは「悪玉」に支配されているからではないか。他人の「悪玉」しか見えないものにとっては、隣の人がオナラをしただけなのに、それを自分に向けられたというのだから。「悪玉」と「悪玉」の対決の末には戦争しかないということを肝に銘じるべきだ。

 

菌の世界では日和見菌も多いそうで、大きく別けると善玉菌・日和見菌・悪玉菌の比率は2:6:2と言われる。善玉菌と悪玉菌が勢力争いすると日和見菌は優勢の菌と同じ役割をする。人間社会もこれと似ているかな。世の中は悪い人が増えれば、その他大勢もそれに習ってどんどん退廃していく。「悪玉」が振る舞う世界では「善玉」は無力のように見える。しかし、良い人が善玉菌のように努力して、それなりの行動を起こせば、世の中もそれなりに「悪玉」を押さえ良くなっていくはず。仏教ではそのことを「薫習(くんじゅう)」という。

 

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李鋼哲(り・こうてつ Li Gangzhe)
1985年中央民族学院(中国)哲学科卒業。91年来日、立教大学経済学部博士課程修了。東北アジア地域経済を専門に政策研究に従事し、東京財団、名古屋大学などで研究、現在は総合研究開発機構(NIRA)主任研究員、本年10月より北陸大学教授に赴任。中国の黒龍江大学などでも客員教授を兼任し、日中韓3カ国を舞台に国際的な研究交流活動の架け橋の役割を果たしている。SGRA研究員。著書に『東アジア共同体に向けて―新しいアジア人意識の確立』(2005 日本講演)、その他論文やコラム多数。

 

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