SGRAかわらばん

エッセイ004:オリガ・ホメンコ 「国々人々を変えるサッカー」

6月にドイツのワールドカップに仕事で行く機会があった。ドイツは初めてではなかったが、今回の旅は特別の高揚感を持って出発した。ワールドカップは4年に1度しかない世界的なイベントで、その期間は、サッカーにそれほどの関心のなかった一般人までを巻き込むことを私は知っていたし、その雰囲気を私も味わってみたかったからだ。

 

まず町中ですぐに気づいたのは、商売上の工夫や努力だった。サッカー関係の様々なグッズを、ワールドカップの流れの真っ只中にいるトレンディーな市民たちが先を争うように身に着けている。参加国の旗の色をデザインした下着まで売っていた。「外からは見えなくても、その下着を身につけて、心から応援しなさい」というメーカーからのメッセージだったかもしれない。その話をウクライナの友達にすると、「女性にとってはそれだけではないでしょうね。1カ月以上も続くワールドカップの間、男性たちはサッカーに夢中でガールフレンドにも無関心になるから、恋人の注目を引くために下着もサッカーのモチーフにしてくれたのかもね」と笑いながら教えてくれた。

 

レストランも知恵を絞っている。ティッシュにサッカフィールドの絵を入れたり、サッカーゲームの記録を書けるように、フォークとナイフを包むナプキンにスコアを付けたりしていた。家ではなく、外のレストランやパブで試合を見て「盛り上がる」人が多いことを正しく予想していたわけだ。

 

私がドイツ行きを楽しみにしたのは、サッカーの伝統があり、フランツ・ベッケンバウワーやオリバー・カーンの国がホスト国になるととても盛り上がるだろうと期待したためだけでなく、これまでのワールドカップの歴史を見ると、サッカーは国民を仲良くさせ、自分の民族の「アイデンティティ」を強く実感させることになり、さらに勝利すれば、一般の国民にも大きな自信を付けるということを聞いていたからだ。16年前にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一されたが、合併後の西と東にはなお経済格差がある現実に対して、世界のメディアは今回のワールドカップの試合がドイツの各地で行われることの効果に注目していた。

 

私は、いくつかのスタジアムを見て回ったが、東西ドイツの両方に新しいスタジアムが建設されたり、古いものを修復したり、ドイツが建設ラッシュに沸いたことが想像でき、経済効果があったに違いないと思った。また、誰もが知っているが、誰も口に出さなかったドイツ人のコンプレックスはサッカーのおかげで発散することができたように思えた。それは、第二次大戦後の長い間、ドイツの学校で採られた教育方針で、「ドイツ人である」という誇りを持ってはいけない、しかも人の前でそれを表してはいけない、戦時中の犯罪行為を戦後のドイツ国民は皆で反省し、償いを果たすべき、と教え続けてきたことである。この話はドイツ人の30歳代の友人から聞いたものだった。一方日本の友達からも類似の話を聞いたことがあるが、それは戦後すぐから1950年代の頃の話だった。ドイツではいかに長期にわたり償い続けてきたかがわかる。

 

だが、今回のワールドカップでドイツ代表は勝ち抜いて3位に入賞した。応援しているドイツ国民も、初めて、遠慮せずに、自分はドイツ人であるという誇りを持って応援していた。また、国民としてのアイデンティティを改めて確かめることができた。あの時ドイツにいた人は皆それを感じた。毎日ドイツ代表のユニフォームを着て人々は会場に現れたし、会社に出かける姿もあった。ドイツ首相のメリケル氏もインタビューでそのような発言をした。

 

サッカーで国民意識が高まることは、日韓共催のワールドカップで韓国の国民意識が強くなるという現象があったし、今回のドイツでも証明された。そして我が国ウクライナも同様であった。ウクライナは今回が初出場で国民はとても盛り上がっていた。ワールドカップが引き金になって子供達がサッカーを始めるというのはよく聞く話だが、子供にも国民意識を植え付け、高揚させるとは予測していなかった。ワールドカップの仕事が終わってウクライナに帰った日に、久しぶりに自宅でゆっくり半日かけて洗濯をした。洗濯物を干そうとバルコニーに出ると、外で誰かが歌っている声が聞こえた。

 

ウクライナの国歌だった。驚いて下を眺めると、マンションの前の公園で小学生の男の子が5人、走りながら大声でウクライナの国歌を歌っていた。驚いた。子供たちが街で子供の歌を歌うことはあるが、普通、国歌は歌わない。しかもその5人は最後までそれを歌い終えたので、とても感動した。これはすごいことだと思った。初めてサッカーの国際舞台に登場したウクライナ代表のプレーを大人も子供も見守り、国歌を歌う場面でサッカー選手とともに感動を味わったのだ。

 

ウクライナの国歌は19世紀半ばに作られた。「ウクライナは滅びず」というタイトルは可笑しく聞こえるかも知れないが、ウクライナが、ポーランドやロシア、ソ連邦から長い間独立できなかった歴史を示している。15年前に独立を果たしたウクライナがこの歌を国歌にしたことは国民の悲願と言えよう。家の前で「ウクライナは滅びず」と歌っている子供たちに、サッカーであろうが何であろうが「まだまだ滅びないよ」と私も感動しながら応えた。

 

————————–
オリガ・ホメンコ(Olga Khomenko)
「戦後の広告と女性アイデンテティの関係について」の研究により、2005年東京大学総合文化研究科より博士号を取得。現在、キエフ国立大学地理学部で広告理論と実習の授業を担当。また、フリーの日本語通訳や翻訳、BBCのフリーランス記者など、広い範囲で活躍中。2005年11月に「現代ウクライナ短編集」を群像社から出版。
————————–