SGRAイベントの報告

  • 2019.01.10

    陳龑「第12回SGRAチャイナ・フォーラム『日中映画交流の可能性』報告」

      『中日友好条約』が調印されて40年。今年の5月には、新たな「日中映画共同製作協定」が発効した。日中映画提携のさらなる成長が期待されるものの、今年の冬は中国映画界にとって一層寒くなっている。最近、映画業界を整理するために納税のチェックが厳しく行われ、関係者は深刻な不安に襲われているのだ。このような流れの中で、2018年11月24日、今回のSGRAチャイナ・フォーラムが開催されたので、映画研究者にとっては感慨無量と言えるであろう。   今回のチャイナ・フォーラムの会場は中国人民大学の逸夫会堂、テーマは「日中映画交流の可能性」。今までのチャイナ・フォーラムと違って、映画は身近な存在であるため、映画の研究者はもちろん、映画のファン、また、親から高倉健の名を聞いたことのある若い学生にとっても、日中映画交流の歴史を日中両面から認識することができる絶好のチャンスであった。   SGRAチャイナ・フォーラムは、広域的な視点から東アジア文化史再構築の可能性を探ることをテーマの主眼に据えている。文化的相互影響、相互干渉してきた多様な歴史事象の諸相を明らかにし、交流を結節とした大局的な東アジア文化(受容)史観を構築することの重要性を指摘してきた。今回も企画段階からこの主旨を貫き、日本映画が中国にもたらした影響と中国映画が日本にもたらした影響を両サイドから解釈するために、それぞれの専門家に依頼した結果、日本人の中国映画史専門家、刈間文俊教授(東京大学名誉教授)と中国人の日本映画専門家、王衆一先生(『人民中国』編集長)を迎え、「史上初の日中映画史『聴き比べ』」が実現した。   はじめに、主催者側の人民大学文学院を代表して副院長の陳奇佳教授が開会の辞を述べた。彼自身も映画のファンであり、日本のマンガ・アニメーションについても10年間研究したことがあるため、今回のテーマを期待していた。続いて、渥美財団を代表して今西常務理事からのご挨拶とフォーラムの開催経緯の説明があった。   講演の部分では、刈間教授が先に「中国映画が日本になにをもたらしたのか――過去・現在・未来」をテーマに、中国映画の日本進出の状況とそれに関する論評を詳しく紹介した。近年来、日中両国の間では大量な観光客の訪日による新たな「接触」が発生しているため、中国の抗日ドラマなど日本と日本軍を描写するコンテンツは挑戦を受けている。なぜなら、「本当の日本を知るようになった以上、簡単に騙されない」から。同じく、日本側も中国観光客を見て中国の現在を認識している。映画は、この様な「接触」ができない時代から、お互いに「印象をつける」という役割を果たしてきた。   実は、中国の日本映画熱愛の前の1977年に、日本で第一回中国映画週間がすでに開催されていた。当時は『東方紅』、『偉大なるリーダーとチューター毛主席永垂不朽』、『敬愛なる周恩来総理永垂不朽』など時代性の強い映画が上映され、日本人観客を震撼させた(特に周恩来総理の葬式の部分)。その後、時代の流れと共に、日本の観客がそれぞれの時代の映画を通して、ニュースでは紹介されない中国を認識してきた。刈間教授も、当時から中国映画の字幕をつけ、上映会をやりながら、中国に対する興味を深めた。77年代後半から80年代に亘って、「中国の庶民は時代に翻弄され貧しい生活(特に農村地域)をおくっている、それにしても強く生きようとしている」というイメージが日本の観客の中で固まった。この先入観が強すぎるため、中国の現在の社会を描く中国映画は日本では受けないと刈間教授は推測している。   また、当時上映された映画の映像表象は日本の大島渚など映画人にも影響を及ぼし、日中映画人(中国側は主に第五代監督、即ち1980年代の半ばにデビューした新世代の監督たち。例えば陳凱歌など)の対談も屡々行い、お互いに交流しあうようになった。例えば、大島渚の非被害者視点的出発点が陳凱歌を刺激し、彼をストーリテールに回帰させ90年代の傑作『さらば、我が愛』に導いた。一方、直接中国映画の制作に関与した日本技術者、映画人と日本の会社も存在し、日本人の俳優も中国映画市場で活躍するようになった。さらに、この40年間の映画合作をみて、最も大きな変化は中国をロケ地にするだけではなく、作品で描いた日中人物の関係が平等に、密接的になり、また、日本の創作者が持つ歴史観が中国歴史題材の映画に新たな解釈と可能性を提供した。今年「日中映画共同製作協定」が調印され、今後の日中映画交流・提携が益々発展すると刈間教授は期待している。   刈間教授の講演内容とは対照的に、王衆一先生は「中国における日本映画-交融・互鑑・合作」というテーマで、映画が人々の心象風景を如何に表現し、日本映画が如何に中国に影響を及ぼしてきたかという事実を詳しく語った。一言で言えば、日本映画は中国の観客・映画人に技術面で刺激し、また、コンテンツとしても中国人に感動を与えている。実は、50年代、新中国の映画事業の初期段階に、日本映画人がすでに制作に参加していた。歴史的原因で、上海映画はアメリカからの影響が強く、東北映画は日本映画の伝統を受け継ぐ。最も有名なのが東北電影製片所による『白毛女』(1950)という作品で、日本でも50年代に自主上映によって公開され、松山バレエ団が刺激を受け『白毛女』のバレエバージョンを作った。また、日本の高度経済成長に伴う社会問題、環境問題などを反映するドキュメンタリーも中国にとって教訓をくみ取ることのできる内容として中国に入った。   1978年日中平和友好条約が締結されたあとの日本映画ブームは今でも常に語られる。映画を通して、中国観客が70年代の日本のファッション、日本の風景、日本人の日常生活と社会問題などを知るようになり、一方、中国のスクリーンにない男性像の主人公が当時の観客の心をつかみ、中国で人気絶頂のビッグスターとなった。最も有名なのが高倉健と『君よ憤怒の河を渉れ』であり、40年間に何回も翻案され、その影響は今でも続いている。さらに、映画の舞台になったところは中国人にとって「聖地巡礼」の場になり、山田洋次監督の作品で描かれた北海道は中国映画でも舞台となり、多くの観光客を迎えている。しかし日本人の「原郷」は瀬戸内海であり、日中共通の「情け」文化を考えると、今後日中の合作映画は瀬戸内海をロケ地にすれば絶対ヒットするはずと王先生は強調した。   80年代から、日中映画人の交流イベント、日中合作映画、ドラマなどが断絶することなく続いている。NHKと提携し、鄧小平が題字を書いた『望郷之星』、日本小説が原案となる『大地の子』など、日中両国でもよい反響が寄せられた。インターネット時代に入ると、中国で先に話題になった日本の作品が海外で受賞した後に日本国内で興行されるというように、逆影響を受けた例も少なくない。今後日中映画、ドラマだけではなく、舞台、アニメ、ゲームなど様々な提携が期待できると王先生は語った。   情報量と面白さで充実した両先生の講演の後、パネルディスカッションに入った。登壇者は北京大学の李道新教授、中国社会科学院の秦嵐先生、北京語言大学の周閲先生、北京市社会科学院の陳言先生と東京大学の林少陽教授。時間の関係で、登壇した先生方は深くディスカッションできなかったが、それぞれ自身の日中映画交流に対する理解と自身の研究領域とを繋いで論議を交わした。秦先生は現代文学の教育体験をシェアし、周先生は是枝裕和監督と侯孝賢監督の友情・作品を例に分析し、陳先生は好きな日本映画・アニメーションと共同市場に対する考察を語った。中国映画史の専門家である李先生は今回の講演内容を高く評価し、「『日本人の中国映画オタクと中国人の知日派メディア人』の会話が珍しく、中身の濃い内容だった」と感想を述べた。林先生は講演で言及された日中知識人の提携、中国歴史題材の日本翻案・日本における中国像などについて語った。   会場に集まった20代の若い学生にとっては、90年代までの作品を見る経験がなく、高倉健など日本映画ブームのスターたちは親世代の憧れという認識しか持っていなかったが、今回のフォーラムを通して、日中映画交流の歴史を知るようになった。今日の学術的体験をきっかけに、自分の世代のマンガ・アニメーションを中心に展開した新世代の日中文化交流を研究するようになるかもしれない。日中映画交流の将来、そして、それに関する学術研究の交流の将来が楽しみである。   当日の写真   北京晩報に掲載された記事   また、新華網の記者が書いた「映画、中日の人々の心を打つ異文化交流」と題した記事がネット上で拡散されました。人民網、中国網、Sina網など、全国ネットもあれば、西藏網(チベット)、大衆網(山東省)、または舜網(山東省済南市)のような地方ネットにも転載されました。   英訳版はこちら   <陳龑(ちん・えん)Chen_Yan> 北京生まれ。2010年北京大学ジャーナリズムとコミュニケーション学部卒業。大学1年生からブログで大学生活を描いたイラストエッセイを連載後、単著として出版し、人気を博して受賞多数。在学中、イラストレーター、モデル、ライター、コスプレイヤーとして活動し、卒業後の2010年に来日。2013年東京大学大学院総合文化研究科にて修士号取得、現在同博士課程に在籍中。前日本学術振興会特別研究員(DC2)。研究の傍ら、2012~2014年の3年間、朝日新聞社国際本部中国語チームでコラムを執筆し、中国語圏向けに日本アニメ・マンガ文化に関する情報を発信。また、日中アニメーション交流史をテーマとしたドキュメンタリーシリーズを中国天津テレビ局とコラボして制作。現在、アニメ史研究者・マルチクリエーターとして各種中国メディアで活動しながら、日中合作コンテンツを求めている中国企業の顧問を務めている。     2019 年1月10日配信  
  • 2018.11.15

    沈雨香「第61回SGRAフォーラム『日本の高等教育のグローバル化!?』報告」

    今日の日本では「留学」と英語教育をキーワードに積極的なグローバル人材育成が推し進められている。10月13日開催された第61回SGRAフォーラムでは、「日本の高等教育のグローバル化!?」をテーマに、留学と英語教育を柱とするグローバル人材育成の現状を今一度振り返り、今後の在り方について建設的な討論が行われた。産学官民の関心が高い話題だけあって、休日にも関わらず、フォーラム会場は大学教員、日本人大学生、外国人留学生、企業関係者等、70人を超える参加者で賑わった。     司会を務めた張建・東京電機大学特任教授と今西淳子・渥美財団常務理事のあいさつでフォーラムはその幕を開けた。最初に、沈雨香・早稲田大学助手による、送り出し/受け入れ留学を通した大学のグローバル化とグローバル人材育成への問題提起があった。沈は留学をグローバル人材育成の柱とし、国を挙げた金銭的援助が精力的に行われてはいるものの、短期留学のみが急速に増加している現象を指摘した。そのうえで早稲田大学の学部生を対象に行われたアンケート調査結果をもとに、グローバル人材育成における短期留学の効用とキャンパス内国際交流の有効活用について疑問を投げかけた。   その後、吉田文・早稲田大学教授により「日本の高等教育のグローバル化、その現状と今後の方向について」を題材に日本におけるグローバル人材育成の背景と現状、またその課題についての基調講演があった。吉田教授は現代の日本におけるグローバル人材育成の主体が、会社から社会へ、社会から国家へ、そして大学へといかに変遷してきたか、さらに、その中でグローバル人材像がいかに変容してきたのか、その内容を詳しく述べた。その後、伸び悩んでいる長期海外留学と拡大する短期留学(海外研修)の現状を提示し、外国人との共生という社会の問題と日本企業のグローバル人材に対する矛盾ともいえる採用態勢を今後の課題とした。   一方、隣の国の韓国では海外留学が活発に行われている。そこで、本フォーラムでは韓国のシン・ジョンチョル・国立ソウル大学教授を招き、「韓国人大学生の海外留学の現状とその原因の分析」について講演をお願いした。その中でシン先生は、韓国人大学生の海外留学が1990年代から増加し、今は一定水準を維持していることや、その海外渡航目的が年々多様化していることを挙げ、その原因についての考察と、日本と韓国の現状比較を話された。過剰な留学ブームが続く韓国と留学の減少が懸念されている日本。両国の社会・経済状況を踏まえた、留学だけに依存しない、グローバル人材育成の在り方について提案する形で先生の発表は終了した。   問題提起と2つの基調講演を終えた後は、昭和女子大学のシム・チュン キャット准教授の進行の下、複数の日本の大学による事例報告と参加者を交えたパネルディスカッションが行われた。まず、関沢和泉・東日本国際大学准教授により、地方の小規模私立大学における留学プログラムの実践とその成果についての報告があった。関沢准教授は短期のプログラムがその後の留学への呼び水となったケースなどを紹介しながら、地方大学生の場合は金銭的問題が留学への主な阻害要因であると、さらなる留学推進への課題を提示した。次に、関西外国語大学のムラット・チャックル講師より、関西外国語大学におけるグローバル人材育成のためのカリキュラムの紹介と実践と成果の報告があった。英語授業と外国人留学生との交流を活用し、留学に行かずにしてグローバル人材育成を行っているプログラムを紹介した上で、学生の就職意識調査の結果から大学における就職ガイダンスの在り方を課題として提示した。最後に、金範洙・東京学芸大学特命教授からはご自身の民間機関が実施する教育コンソーシアムの概要と実際の韓国短期留学プログラムの実践事業例を題材に国際的な教育協力の試みについての報告が発表された。国境を越えて行われる政府間共同事業を紹介し、今後のグローバル人材育成の体制や方法について示唆を与えた。   続いて行われたフリーディスカッションでは、参加者と登壇者の間で積極的な意見交換が行われた。留学を経験した日本人学生からは自らの経験を踏まえた留学に対する意見や韓国の事例に対する質問があった。人材マネジメント業界で勤める社会人参加者からは今後の企業の努力や姿勢についての質問があり、さらに、留学生参加者からは実際の留学経験から感じた日本人学生との交流の難しさや解決方法についての話があるなど、フォーラムの終了時刻を延長せざるを得ないほどたくさんの質問や意見が会場を飛び交っていた。これらの白熱した議論は、グローバル人材の定義、さらなるグローバル化が進む現代社会の在り方、さらに、その社会での生き方について真剣に考えなければならないとの問題意識を喚起させるものであったといえよう。   フォーラムの写真   当日のアンケート集計結果   英訳版はこちら   <沈雨香(シン・ウヒャン)Sim_Woohyang> 2017年度渥美奨学生。早稲田大学教育学部卒業後、同大学教育学研究科で修士課程修了。現在は博士課程に在籍し博士論文を執筆しながら、早稲田大学教育・総合科学学術院の助手。専門は教育社会学。中東の湾岸諸国における高等教育の研究を主に、近年の日本社会における大学のグローバル化とグローバル人材に関する研究など、高等教育をテーマにした研究をしている。
  • 2018.10.11

    金キョン泰「第3回『国史たちの対話の可能性』円卓会議報告」

    (第4回アジア未来会議円卓会議報告)   2018年8月25日から26日、ソウルのThe_K-Hotelで第3回「国史たちの対話の可能性」円卓会議が開かれた。今回のテーマは「17世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」で、「壬辰・丁酉倭乱」と「丁卯・丙子胡乱」という国際戦争(戦乱)や大規模な戦乱を取上げ、その事実と研究史を確認した上で、各国が17世紀中頃以降いかに正常化を達成したかを検討しようという趣旨であった。各国が熾烈に争った戦乱と、相互の関係を維持しながらも、各自の方式で安定化を追求した様相を一緒に考察しようとしたのだ。 8月24日夕方のオリエンテーションでは国史対話に参加する方々の紹介があり、翌朝から2日間にわたって熱い議論が繰り広げられた。三谷博先生(跡見学園女子大学)の趣旨説明に続いて、趙珖先生(韓国国史編纂委員会)の基調講演があった。17世紀に朝鮮で危機を克服するために起きた数々の議論を参照しながら、17世紀のグローバル危機論の無批判的な適用を避けて、東アジア各国の実際の様相を内的・外的な観点から包括的に検討すれば、3国の歴史の共同認識に到達できると提言した。   第2セッションの発表テーマは「壬辰倭乱」だった。崔永昌先生(国立晋州博物館)は「韓国から見た壬辰倭乱」で、韓国史上の壬辰倭乱の認識の変化過程を具体的に分析した。鄭潔西先生(寧波大学)は「欺瞞か妥協か―壬辰倭乱期の外交交渉」で、従来は「欺瞞」と解されていた明と日本の講話交渉について再検討し、明と日本の交渉当事者が真摯に事に当っていたことを明らかにした。また、豊臣秀吉は講話交渉のなかで日本を明の下に、朝鮮をまた日本の下に位置させようとして朝鮮の王子などの条件を提示したが、明はそれを拒否したと報告した。荒木和憲先生(日本国立歴史民俗博物館)は「『壬辰戦争』の講和交渉」で、壬辰倭乱後の朝鮮と江戸幕府との間の国交交渉における対馬の国書偽造とこれを黙認した朝鮮の論理に注目した。壬辰倭乱というテーマは3国ですでに多くの研究が蓄積された分野であり、対立点も比較的に明確である。各国の史料に対する相互の理解が高まっているので、今後、より実質的かつ発展的な議論が期待されている。   第3セッションの発表テーマは「胡乱」だった。許泰玖先生(カトリック大学)は「『礼』の視座から見直した丙子胡乱」で、朝鮮が明白な劣勢にあっても清と対立(斥和論)した理由を、朝鮮が「礼」を国家の本質と信じていたことによると分析した。鈴木開先生(滋賀大学)は「『胡乱』研究の注意点」で、韓国の丙子胡乱の研究で「丁卯和約」と「朴蘭英の死」を扱う方式について紹介し、史料の重層性と多様性を理解するために利用できる事例とした。祁美琴先生(中国人民大学)は「ラマ教と17世紀の東アジア政局」で、清朝が政治的混乱を収拾していく過程でラマ教を利用しており、ラマ教もこれを利用して歴史の主役になれたことを明らかにした。清朝が中原を支配する過程で当時存在したいくつかの政治体や宗教体の実情も視野に入れなければならないという事実を再認識させてくれた。 本テーマは、倭乱に比べて3国間共同の対話が本格的に行われていない分野であると思う。史料の共有と検討はもちろん、3国の思想(あるいは宗教)にも大きな変動をもたらした事件として、一緒に議論する部分が多い研究分野と考えられる。   第4セッションの発表テーマは「国際関係の視点から見た17世紀の様相(社会・経済分野を中心に)」だった。牧原成征先生(東京大学)は「日本の近世化と土地・商業・軍事」で、豊臣政権後、江戸幕府に至る財政制度と武家奉公人の扱いの変動を分析した。変化の起きた点を明快に指摘し、専門でない人でも容易に理解することができた。崔ジョ姫先生(韓国国学振興院)は「17世紀前半の唐糧の運営と国家の財政負担』で、壬辰倭乱当時、明の支援に対する軍用糧食を意味した「唐糧」が、「胡乱」を経て租税に変化する様相を具体的な分析を通じて説明した。趙軼峰先生(東北師範大学)は「中朝関係の特徴および東アジア国際秩序との繋がり」で、「東アジア」と「朝貢体制」という概念について問題を提起して、本会議が対象としている17世紀以降の韓中関係の特性を紹介し、該当の概念語に対する代案が必要であることを提言した。 政治の動きの下にあって社会を動かす根元、社会・経済に対する関心は、本主題の発表者相互間はもちろん、他のテーマを担当した発表者や参加者たちも積極的な関心を示した分野だった。政治と同様に各国の経済構造は相当な差異を見せるという事実を確認し、これも今後の「国史」間の活発な交流が期待される分野であることを確認した。   セッション別の相互討論と、第5セッションの総合討論では、発表者が考える歴史上から具体的な論点まで多様な範囲の質疑応答が続いた。より熱烈な討論を期待した方たちが物足りなさを吐露したりもしたが、これは決して発表会が無気力であったという意味ではないと考えている。「国史」学者たちが自分の意見を強調する「戦闘的」討論から、外国史の認識を蓄積しつつ、さらに一段階上のレべルに進み始めたことを証明するものだったと思う。   また、「公式討論」の他に、他の国の異なる様相を理解して、その根源がどこにあるか再確認しようとする個別の討論があちこちで行われていたことを目撃した。そして、研究者間の個人的な交流も不可欠であるという考えを持つようになった。 3国の参加者たちが定められた発表と討論時間外にも長時間、共に自由に話し合う時間が必要だと思った。もちろん現実的には仕事が山積の状況で、さらに長い時間を一緒に過ごすのは難しいだろうが、3国以外の土地で会議を開催したり、オンラインを通じた持続的な対話をしたりして、問題意識の共有を進める方式も有効であろう。 また、今までの対話を通じて、自分の専門分野がもつ独特の用語や説明方式に固執せず、これを他の専門分野の学者にどうすれば簡単に伝えられるか、さらに、一般の人たちも理解できるようにする方式を考える必要があるという気がした。筆者もまた同じ義務を持っている。   3回の「対話」に参加しながら、ずっと感じるのは、言語の壁が大きいという事実だった。3国は「漢字」で作成された過去の史料を共有することができるという長所を持っている。歴史的にも近い距離で共通の歴史的事件をともに経験した。互いに使用する史料では疎通できるが、史料に根拠した自分の見解を伝えて相手の意見を聞くには「通訳」という手続きを経なければならなかった。3国の研究者たちがお互いの問題意識を認識してこれを本格的に論議を始める直前に会議の時間が尽きたような惜しい気持ちが残ったのは事実である。   しかし、多大な費用と努力を傾けた同時通訳は確かに今回の3国の国史たちの対話に大きく役立った。十分ではないが、2回目に比べて1歩、1回目に比べて2歩前進したという感じがした。 対話の場を作っていただいただけでなく、言語の障壁を少しでも低めるための努力をしてくださった渥美国際交流財団に感謝する。当初より5回で計画されている「対話」だが、その後も、たとえ小規模でもさらに踏み込んだ対話を交わすことができる、小さいながら深い「対話の場」が随時開かれることを期待する。   韓国語版報告書   会議の写真   関連資料 *報告書は2019年春にSGRAレポートとして3言語で発行する予定です。   <金キョンテ☆Kim Kyongtae> 韓国浦項市生まれ。韓国史専攻。高麗大学校韓国史学科博士課程中の2010年~2011年、東京大学大学院日本文化研究専攻(日本史学)外国人研究生。2014年高麗大学校韓国史学科で博士号取得。韓国学中央研究院研究員を経て現在は高麗大学校人文力量強化事業団研究教授。戦争の破壊的な本性と戦争が導いた荒地で絶えず成長する平和の間に存在した歴史に関心を持っている。主な著作:壬辰戦争期講和交渉研究(博士論文)       2018年10月11日配信  
  • 2018.10.04

    第4回アジア未来会議 東南アジア宗教間の対話円卓会議「寛容と和解-紛争解決と平和構築に向けた宗教の役割」報告

    2016年秋の第3回アジア未来会議での円卓会議「東南アジア宗教間」の対話では、グローバリゼーションに翻弄される東南アジア各国の諸課題への宗教の対応が議論された。 この時に、重要なトピックの一つとして提示されたのが、宗教間の「対立と和解」であった。今回、2018 年8月24日から28日までソウルで行われた第4回アジア未来会議では、「寛容と和解」をテーマとして円卓会議「東南アジア宗教間の対話『寛容と和解-紛争解決と平和構築に向けた宗教の役割』」を開催した。   対立や紛争では、その原因が政治経済的な課題であるにもかかわらず宗教の対立としての様相を帯びることが多い。宗教が民族や集団の基層文化のなかに深く根ざしているからにほかならないからである。民族、宗教のモザイクといわれる東南アジアにおいても、その傾向が顕著に表れ、対立が暴力的な宗教間の紛争に至ることも少なくない。   しかし、その一方で東南アジアでは、平和的な手段により対立や紛争を解決した事例も多く、和解に至るプロセスの経験も蓄積され始めている。今回の円卓会議では、東南アジア及び日本在住の宗教者、宗教研究者が集い、タイ、ミャンマー、インドネシア、ベトナム、フィリピンにおける紛争解決、平和構築の経験、事例をベースとして和解、平和構築に向けた宗教および宗教者の役割を探った。   【各国からの事例発表】(円卓会議は英語で行われた)   発表1:タイ Vichak_Panich(Vajrasiddha_Institute_of_Contemplative_Learning) “Buddhism_of_the_Oppressed:_Restoring_Humanity_in_Thai_Buddhist_Society” 「虐げられし者達の仏教へ−タイ仏教に人間性の回復を」   発表2:ミャンマー Carine_Jaquet(The_Research_Institute_on_Contemporary_Southeast_Asia) “Brief_Report_on_the_Situation_of_Rohingya_People” 「報告−ロヒンギャの人々の現状」   発表3:インドネシア Kamaruzzaman_Bustamam-Ahmad(Ar-Raniry_State_Islamic_University) “The_Dynamics_of_Muslim_Society_in_Aceh_after_Tsunami” 「津波災害後のアチェのイスラム社会のダイナミズム」   発表4:ベトナム Emmi_Okada(The_University_of_Sydney) "Reaching_Beyond_the_Religious_Divide_for_Peace: The_Experience_of_South_Vietnam_in_the_1960s" 「平和と宗教の分断を超えて−1960年代の南ベトナムの経験から」   発表5:フィリピン Jose_Jowe_Canuday(Ateneo_de_Manila_University) "Muslim_and_Christian_Dialogues_in_the_Southern_Philippines: Enduring_Grassroots_Inter-religious_Actions_in_a_Troubled_Region” 「南部フィリピンのイスラム教とキリスト教の対話−試練に耐える紛争地域におけるグラスルーツの宗教間対話の試み」   (文責:角田英一)     ◆小川忠「第4回アジア未来会議円卓会議『東南アジア宗教間の対話』に出席して」   会議テーマは「異なる宗教間」の対話であったが、「同じ宗教内」での対話こそ必要とされている。これが、今回の会議に出席して強く感じたことだ。   監修者の島薗進先生が会議冒頭で述べられた通り、世界中で宗教復興ともいうべき現象が顕著になっている。多様な宗教が混在する東南アジアも例外ではない。そして「イスラム過激派テロ」「ロヒンギャ問題」「ミンダナオ紛争」等日々接する東南アジア報道から、冷戦終結直後に政治学者ハンティントンが提起した通り、宗教を基盤とする文明が互いに対立し、流血を生んでいるかの如き印象をもってしまう。特にイスラム教については、その狂信性、好戦性ゆえに対立、暴力を拡散させているというイメージが、世界中に拡がっている。   しかし、イスラム教、仏教、キリスト教と様々な宗教的背景をもつ本会議出席者たちは、「宗教紛争」とされるものの多くは、植民地支配の負の遺産、国民国家建設の失敗、政治権力の宗教動員等によるものであって宗教が根本原因ではない、と指摘した。さらにイスラム教のみならず、平和的な宗教とされる仏教においても、排外的ナショナリズムと結合し他宗教に対する敵意を煽る強硬派が次第に勢力を拡大している。   そしてイスラム教、仏教内部において、政教分離を拒否し宗教とナショナリズムの結合を目指す動きが強まっている一方、これに抗し、宗教を政治から切り離し一定の距離を置き人権、民主主義を育てていこうというリベラル派が存在することも浮き彫りにされた。両者の亀裂が深まっているのが昨今の状況だ。それゆえに同一宗教内の対話が重要なのである。   対話の鍵を握るのは、宗教教義を「解釈する力」である、という指摘もあった。同じ宗教のなかにも相反する教義が存在する。宗教の有する多面性を理解した上で、今日の世界にあう創造的な解釈力が、それぞれの宗教において求められている。   グローバリゼーションが宗教にもたらしている衝撃も議論となった。グローバリゼーションとは、欧米発の情報、文化、価値観が世界中に拡がり、世界の画一化が進行するというイメージがあるが、ことはそれほど単純ではない。グローバリゼーションには様々な潮流が存在する。中東発のワッハーブ主義、サラフィー主義という厳格化、原理主義的イスラム思想が、インドネシアのアチェ他東南アジアで影響を強めている状況が報告された。   そしてグローバリゼーション時代に発達したソーシャル・メディアが、国境を越える大量の情報流入を東南アジア地域にもたらしている。それは国際的な対話と相互理解を育む機会を増大させるとともに、テロを煽る過激組織プロパガンダの影響力拡大にもつながっている。またグローバリゼーションに反発する排外感情の高まりという副作用も看過できない。ソーシャル・メディアは世界の平和にとって諸刃の刃のような存在、という見方が参加者のあいだで共有された。   各報告を聞くにつけ、東南アジア各国において宗教と社会の関係は多様かつ複雑であり、それを一般化して語るのがいかに危険であるかを再認識した。また対立から和解への道のりが容易ではない、とも感じた。しかし、ミンダナオの事例報告で述べられた通り、平和的手段により紛争を解決しようという模索がこれまで何度も試みられ、そのなかで和解に至る経験も蓄積され始めている。今できることを一歩一歩進めていくしかない。   多様な宗教的背景をもった東南アジアと日本の知識人が虚心坦懐に議論する場はありそうで実はさほど多くない。そうした貴重な機会を提供してくれた主催者の渥美国際交流財団関口グローバル研究会の見識に敬意を表し、感謝したい。   <小川 忠(おがわ・ただし)OGAWA_Tadashi> 2012年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 博士。 1982年から2017年まで35年間、国際交流基金に勤務し、ニューデリー事務所長、東南アジア総局長(ジャカルタ)、企画部長などを歴任。2017年4月から跡見学園女子大学文学部教授。専門は国際文化交流論、アジア地域研究。 主な著作に『ヒンドゥー・ナショナリズムの台頭 軋むインド』(NTT出版)2000、『原理主義とは何か 米国、中東から日本まで』(講談社現代新書)2003、『テロと救済の原理主義』(新潮選書)2007、『インドネシア イスラーム大国の変貌』(新潮選書)2016等。   英文の報告書(English Version)   円卓会議の写真       2018年10月14日配信  
  • 2018.09.06

    李彦銘「第11回SGRAカフェ『日中台の微妙な三角関係』報告」

    7月28日(土)、台風の中で開催された今回のカフェは、テーマが「日中台の微妙な三角関係」であった。カフェの途中から大雨に見舞われ、中庭でのBBQを断念せざるをえなかったが、その分の時間を講演後の質疑応答に回すことができ、濃密な2時間を30人弱という参加者で共有できた。   講師を務めたのは、「辺境東アジア」アイデンティティという概念を考案された林泉忠先生(現在中央研究院近代史研究所副研究員)で、元渥美財団の奨学生でもあった。まず、今西淳子代表からSGRAカフェ開催の経緯の説明があった。卒業し各専門分野で活躍している奨学生と気楽にお互いの専門の話を、忌憚なく共有するというのが最初にカフェを開催した目的/きっかけとのことだった。   今回の講演のキーワードは「微妙な三角関係」であるが、その「微妙さ」、特に常に日台関係の懸念材料になる「中国要因」をよりよく理解するために、講師はまず歴史、つまり日清戦争の結果としての台湾植民地化から話を始めた。大陸から切り離された台湾島という地域では、大陸と異なるアイデンティティ形成・近代的国民国家(nation_state)を経験していたことが強調された。さらにその後の日中戦争とその結果としての国民党敗北・台湾入りも、大陸の共産党政権に対するイメージ形成、台湾内部の亀裂(本省人・外省人)につながっていったことなど、現在になっても、歴史は相変わらず中・台の異なる対日認識の根源であると言及した。その後は、戦後「日中関係」(日本と中華人民共和国および日本と中華民国)の形成や、日中国交正常化をきっかけに構築された「72年体制」、日中関係における「台湾問題」の歴史変遷を説明しつつ、中国政府が日台関係に常に多大な関心を払う主な要因をまとめた。つまり、中国政府にとっては、台湾はいまだに未統一の領土で、近代国家の建設にとって必要不可欠な一部であり、政権の正統性の中核にも関わる問題である。   そのうえで、近年の日台関係の主な動向とその懸念材料になる「中国要因」に話が移り変わり、日中台という三角関係のこれからが展望された。特に2013年以来は、日中関係の硬直化と同時に、日台の政治関係の強化が見受けられた。しかし中国政府は自国の実力増強と共に、一方でかつてほどない寛容な態度を示し、もう一方では注意深い警戒を示し、蔡英文政権により強硬な態度で圧力をかけ続けている。このようなアプローチは、台湾のさらなる日米接近をもたらすだろう。しかし中国政府と日米の政治的約束を破ることも決して簡単ではなく、この「微妙」な関係と複雑な駆け引きは今後も続くという結論にたどり着いた。   質疑応答では、もっぱら現実問題に集中していたが、なかでは例えば中国政府による国際社会での「台湾人いじめ」はいつまでなのかなど、専門的な質問というよりは一般人の生活感覚からの質問なども出てきた。このような感覚が生まれたことは、やはり、中国側の政策決定の基盤となる台湾社会への理解が十分ではないことをよく反映しているといえよう。また元外交官や、経済交流の実務家などオーディエンスからも自らの体験・展望が語られ、講師の議論を大変有機的に補完した。   その後は、BBQを楽しみながら講師と参加者の歓談がしばらく続いた。SGRAカフェの参加者の数は増えてきたが、多様な知見を気楽に忌憚なく共有するというモットーは、しっかり受け継いでいるようである。   当日の写真   英訳版はこちら   BBQの様子は下記リンクをご覧ください。 ◇趙秀一「真夏のBBQ」   <李彦銘(リ・イェンミン)LI_Yanming> 専門は国際政治、日中関係。北京大学国際関係学院を卒業してから来日し、慶應義塾大学法学研究科より修士号・博士号を取得。慶應義塾大学東アジア研究所現代中国研究センター研究員を経て、2017年より東京大学教養学部特任講師。     2018年9月5日配信
  • 2018.08.31

    第4回アジア未来会議報告

    2018年8月24日(金)~28日(火)、韓国ソウル市のThe_K-Hotelにおいて、21ヵ国から379名の登録参加者を得て、第4回アジア未来会議が開催されました。総合テーマは「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」。朝鮮戦争の後、韓国は絶え間ない努力と海外からの多大な援助によって「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げました。歴史的経験から、開発にともなう苦痛や悩みをよく理解している韓国のソウルで開催されたこの会議が、これからのアジアの「平和と繁栄、そしてダイナミックな未来」に寄与することを願って、広範な領域における課題に取り組み、基調講演とシンポジウム、招待講師による円卓会議、そして数多くの研究論文の発表が行われ、国際的かつ学際的な議論が繰り広げられました。   アジアだけでなく世界各地から参加者が到着予定の8月24日(金)は、韓国では6年ぶりという台風19号がソウルを直撃するという予報が早くからだされ、東南アジアからの便が数本キャンセルになりましたが、台風の進路は東に逸れ、殆どの参加者はこの日に会場までたどり着くことができました。   翌、8月25日(土)の午前中は2本の円卓会議と同時進行で10の分科会が行われました。円卓会議の概要は以下の通りです。   ◇円卓会議A「第3回日本・中国・韓国における国史たちの対話の可能性」(助成:東京倶楽部) この円卓会議では、東アジアの歴史和解を実現するとともに、国民同士の信頼を回復し、安定した協力関係を構築するためには歴史を乗り越えることが一つの課題であると捉え、日本の「日本史」、中国の「中国史」、韓国の「韓国史」を対話させる試みです。今回は5回シリーズの第3回めで、「17世紀東アジアの国際関係ー戦乱から安定へー」というテーマで議論が展開されました。さらに、最後のセッションでは、早稲田大学の「和解学の創成」プロジェクトの一環として、今までに行われた歴史対話の試みについて振り返りました。(日中韓同時通訳)   ◇円卓会議B「第2回東南アジア宗教間の対話」では、「寛容と和解-紛争解決と平和構築に向けた宗教の役割」をテーマに、対立や紛争の原因が政治経済的な課題であるにもかかわらず、宗教の対立としての様相を帯びることが数多くあるが、それは宗教が対立する民族や集団の基層文化のなかに深く根ざしているからにほかならないという問題意識により、ミャンマー、タイ、インドネシア、フィリピン、ベトナムの紛争解決、平和構築の経験及び研究をベースとして和解、平和構築に向けた宗教および宗教者の役割、そして「平和と和解」への途を探りました。(使用言語:英語)   昼食休憩の後、午後2時から開会式が始まり、明石康大会会長が第4回アジア未来会議の開会を宣言しました。共催の韓国未来人力研究院の李鎮奎理事長の歓迎の挨拶の後、長嶺安政在韓国日本大使より祝辞をいただきました。   引き続き、「AIと人間の心、そして未来」と題した基調講演およびシンポジウムが開催されました。慶熙サイバー大学の鄭智勲教授「AIの今、そして未来」、ソウル大学の金起顯教授「AIと人間の心」の2本の基調講演の後、共催の韓国社会科学協議会の朴賛郁会長の進行で、韓国政治学会の金義英会長、韓国社会学会の申光榮会長、大韓地理学会の李勇雨次期会長、国際開発協力学会の權赫周時期会長、韓国国際政治学会の金錫宇会長を討論者に迎え、AIが社会に与える影響を検討しました。(韓英同時通訳) 最後に、400人を超える参加者は、HONAというグループによる韓国伝統楽器を用いたジャズのコンサートを楽しみました。   第4回アジア未来会議のプログラム     その後、台風一過で快晴の屋上庭園で開かれたウェルカムパーティーは、ジャズ演奏を聴きながら夜遅くまで続きました。   8月26日(日)午前9時から、12の小会議室を使って、分科会が行われました。前日の午前中と合わせて、7グループセッション、6学生セッション、43一般セッションが行われ、224本の論文発表が行われました。アジア未来会議は国際的かつ学際的なアプローチを目指しており、各セッションは、発表者が投稿時に選んだ「平和」「幸福」「イノベーション」などのトピックに基づいて調整され、学術学会とは趣を異にした、多角的で活発な議論が展開されました。   一般セッションと学生セッションでは、各セッションごとに2名の座長の推薦により優秀発表賞が選ばれました。   優秀発表賞の受賞者リスト     優秀論文は学術委員会によって事前に選考されました。2017年8月31日までに発表要旨、2018年2月28日までにフルペーパーがオンライン投稿された137篇の論文を14グループに分け、ひとつのグループを4名の審査員が、(1)論文のテーマが会議のテーマ「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」と適合しているか、(2)わかりやすく説得力があるか、(3)独自性と革新性があるか、(4)国際性があるか、(5)学際性があるか、という指針に基づいて査読しました。各審査員は、グループの中の9~10本の論文から2本を推薦し、集計の結果、上位19本を優秀論文と決定しました。   優秀論文リスト   クロージングパーティーは、同日午後6時半からピアノの演奏で始まり、今西淳子AFC実行委員長の会議報告のあと、共催の韓国社会科学協議会の朴賛郁会長のご発声により乾杯をして会の成功を祝いました。宴もたけなわの頃、優秀賞の授賞式が行われました。授賞式では、優秀論文の著者19名が壇上に上がり、明石康大会委員長から賞状の授与がありました。続いて、優秀発表賞48名が表彰されました。   パーティーの終盤に、第5回アジア未来会議の概要の発表がありました。フィリピン大学ロスバニョス校総長自らの歓迎ビデオと、実行委員会からの挨拶、そしてフィリピンからの参加者全員が会場も巻き込んでフィリピン版カンナムスタイルを踊り、会場は大いに盛り上がりました。   8月27日(月)、参加者はそれぞれ、非武装地帯スタディツアー、ソウル伝統建築ツアー、ソウル市内観光、南漢山城スタディツアー、NANTA鑑賞などに参加しました。   第4回アジア未来会議「平和、繁栄、そしてダイナミックな未来」は、(公財)渥美国際交流財団関口グローバル研究会(SGRA)主催、韓国社会科学協議会と(財)未来人力研究院の共催、文部科学省、在韓日本大使館、ソウルジャパンクラブの後援、(一社)東京倶楽部の助成、CISV_Korea、(公財)本庄国際奨学財団、Doalltec(株)、グローバルBIM(株)の協力、そして、POSCO建設(株)、HAEAHN_Architecture(株)、(株)NIスティール、中外製薬(株)、三菱商事(株)、東京海上ホールディングス(株)、コクヨ(株)、鹿島道路(株)、大興物産(株)、鹿島建物総合管理(株)、イースト不動産(株)、Kajima_Overseas_Asia_Pte(株)、鹿島建設(株)のご協賛をいただきました。   運営にあたっては、渥美フェローを中心に実行委員会、学術委員会が組織され、フォーラムの企画から、ホームページの維持管理、優秀賞の選考、当日の受付まであらゆる業務を担当しました。特に韓国出身の渥美フェローには翻訳やビザ招待状の手配から、当日の会議進行における雑務まで、多大なご協力をいただきました。   400名を超える参加者のみなさん、開催のためにご支援くださったみなさん、さまざまな面でボランティアでご協力くださったみなさんのおかげで、第4回アジア未来会議を成功裡に実施することができましたことを、心より感謝申し上げます。   アジア未来会議は、国際的かつ学際的なアプローチを基本として、グローバル化に伴う様々な問題を、科学技術の開発や経営分析だけでなく、環境、政治、教育、芸術、文化など、社会のあらゆる次元において多面的に検討する場を提供することを目指しています。SGRA会員だけでなく、日本に留学し現在世界各地の大学等で教鞭をとっている研究者、その学生、そして日本に興味のある若手・中堅の研究者が一堂に集まり、知識・情報・意見・文化等の交流・発表の場を提供するために、趣旨に賛同してくださる諸機関のご支援とご協力を得て開催するものです。   第5回アジア未来会議は、2020年1月9日(木)から13日(月)まで、フィリピンのマニラ市近郊で開催します。皆様のご支援、ご協力、そして何よりもご参加をお待ちしています。   第4回アジア未来会議の写真(ハイライト)   フェアウェルパーティーの時に映写した写真(動画)   第5回アジア未来会議チラシ   写真付き報告書 日本語 English   (文責:SGRA代表 今西淳子)     2018年8月31日配信
  • 2018.08.16

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム『グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性』報告<その3>」

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム報告<その1>」 張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム報告<その2>」   5月26日早朝から幕を開けた第8回日台アジア未来フォーラムは、5本の特別講演会及び1本のパネルディスカッションという企画プログラムに続き、2度目のティータイムを挟んで、午後2時20分からいよいよ最終選考に合格した応募論文の発表セッションに移った。16本の応募論文に加えて、台湾、ノルウェー出身の学者による招待発表論文2本も含み、2つのセッションをそれぞれ3会場で構成し、多角的な視点から深い議論が展開された。   日本語セッションのA1会場では、静宜大学日本語文学科副教授兼学科李偉煌主任の司会・進行のもとで、翻訳と異文化コミュニケーション能力を活かす言語学・表現論からACG文化の伝播にみる変容・変化にアプローチした。台湾大学言語学大学院呂佳蓉助理教授による「ACG文化による言語の伝播と受容」では、事例研究を踏まえて、サブカルチャーからの借用語を通して日本語から中国語への影響の一端を明らかにした。「文字の違いに見るマンガ翻訳の不可能性」という題で発表された京都精華大学専任講師住田哲郎先生は、起点言語である日本語と目標言語との文字の違いに着目し、翻訳の不可能性について考察を行うとともに、日本語教育分野への応用についても論じた。一橋大学社会学研究科所属のソンヤ・デール(Sonja_DALE)先生は、制作手法に焦点を当て、「2Dのような3D―日本のアニメ業界におけるCG業界へのシフト―」について考察した上、アニメーターの働き方とアニメーションの制作へのシフトの兆しがみられると結論付けた。   後続の日本語セッションのA2会場では、招待発表者の大役を果たしたソンヤ・デール先生の司会・進行のもとで、台湾の若者世代に絶大な人気を誇るマンガ・アニメ作品の魅力をマンガ・アニメのメディアミックス化・マルチユース化の視点からアプローチした3本の論文発表が順調に進められた。文藻外語大学日本語文系小高裕次先生は、「ライトノベルのアニメ化に際する諸要素の増減について―『涼宮ハルヒの憂鬱』を例に―」という論題で、ライトノベルの線状性とアニメの多重性および音声の有標性がアニメ化の際の諸要素の増減に大きくかかわっているという結論を得たという。 「漫画『ONEPIECE』の組織論 海賊団「麦わらの一味」の性格」について論じた政治大学日本語文学科永井隆之助理教授は、相互の信頼関係に基づく対等かつフラットな組織と位置づけられている「麦わらの一味」の組織の在り方は、対等な人格に基づく友情を結合の紐帯とする、理想の君臣関係と想定できると指摘した。本セッションを締めくくる最後の論文発表「日本のマンガにみるプロフェッショナルの態度と行動特性-料理マンガを中心に-」では、東呉大学日本語文学科林蔚榕助理教授が、料理マンガのストーリーを3つの類型に分類し、ストーリーの展開パターンによって引き出されるプロフェッショナルの特質について論究した。   B1会場では、輔仁大学日本語文学科楊錦昌教授の司会・進行のもとで、主に中華文化圏で注目されてきたマンガ・アニメ文化の特殊な事情・背景及び展開について議論した。まずは、高雄科技大学文化創意産業学科徐錦成副教授による「野球とマンガの親和性―中華職業棒球大聯盟の二度にわたる野球マンガへの干渉を中心に―」であったが、台湾における野球漫画のブームは、プロ野球の最盛期でもある1990-1996にピークを迎え、それ以降下火になり、2014-2015年に少し回復の兆しが見えながらも一瞬で消えてしまう現状を振り返った。 「国境を超える連携―中国初期アニメーション史からみたイマドキのアニメーション生産トレンド」について考察した東京大学大学院総合文化研究科博士課程在学の陳龑氏は、中国初期アニメーションの生産が辿ってきた道を振り返り、現在のアニメーション界の現状を深く理解することで、アニメーション発展の突破口を探る必要があると主張した。一方、京都精華大学マンガ研究科博士課程在学の李岩楓氏は、「オノマトペ─日本マンガにおける図面表現及び中国マンガへの応用の可能性」というテーマで、描き文字・図面記号・図面表現・音喩などのキーワードを中心に、中国マンガにおけるオノマトペの応用現状・問題点を分析し、様々な可能性について言及した。   後続のB2会場では、台湾大学日本研究センター林立萍主任の司会・進行のもとで、マンガ・アニメと物語論、マンガ・アニメ文化と社会学の牽連性や日本語教育への活用など、マンガ・アニメ研究分野の幅広さによってさらなる可能性を示した。まずは、中国文化大学日本語学科沈美雪副教授による「日本のマンガ・アニメにおける「時間遡行」作品の構造分析―死と再生、ループ、選択を手掛かりに―」であるが、様々なアニメ作品を視野に入れ、時間遡行ものの構造や表象、メッセージ性を考察した。 続く世新大学日本語学科林曉淳助理教授は、「『高橋留美子劇場』から見る日本の家族像」を論題に据え、マンガという親しみやすい素材を通しての日本理解のひとつの試みとして、『高橋留美子劇場』に見る夫婦、父親、母親などの家族像を探った。最後の招待発表者である静宜大学日本語文学科李偉煌主任は、日本語教育者として長年にわたって日本のアニメを導入した授業活動の記録と照合した上、「日本のアニメを取り入れたランゲージエクスチェンジ授業の試み」について省察を加えた。年々変化する学生のモチベーションに合わせて新しい教授法を積極的に実施した成果を公開した。   新進気鋭の若手研究者が熱く語り合うC1会場では、台東大学大学院児童文学研究科游珮芸学科長を座長に迎え、マンガ・リテラシー形成の理論と実践、マンガ・アニメ作品にみる視覚芸術論・哲学論など、専門性の高い難しい内容の発表が行なわれた。識御者知識行銷創立者黄璽宇氏による「個人の存在と集団の存在―トマス・アクイナス思想から映画『聲の形』における生きづらさを論じる―」は、個人と集団の立場から「いじめる側」と「いじめられる側」の論理・心理の深層に迫り、哲学思想からのアプローチを試みた。 「デバイス変奏曲:縦スクロール漫画の原理と趨勢」について分析した中原大学教養教育センター周文鵬助理教授は、縦スクロール漫画の原理を生かし爆発的に普及した「韓国の漫画文化」に注目し、世界的に展開する可能性や直面する問題点などを指摘した上、慎重な意見を求めるよう呼びかけた。東呉大学中国語学科博士課程在学の田昊氏は、「浦沢直樹漫画芸術におけるフィルムセンスの創造力について」論証した。撮影術の視覚効果を模倣し、フィルムセンスのマンガ作りの極意を探ってきた浦沢直樹の作品を通じ、マンガという叙事芸術の潜在力や将来像を展望した。   同じく新進気鋭の若手研究者でにぎわうC2会場では、台大智活センター余曜成専門研究員を座長に迎え、多面的な切り口から、マンガ・アニメ作品に見られるコンテクスト・キャラクター設定の特徴などを紐解いた研究発表が展開された。まずは、華梵大学哲学学科所属の周惠玲助理教授は、「ストーリーマンガと児童文学の競合関係―『不思議の国のアリス』を元にしたマンガを例に―」において、マルチメディアの視点から異なるメディアの競合関係と競合の相互依存的関係を分析した上、「読書離れ」「活字離れ」で危ぶまれる児童文学の寿命が少しでも延ばされる可能性があると解明した。 東京大学東洋文化大学院客員研究員呉昀融氏は、「『NARUTO-ナルト-』から核武装論を再検討する」において、潜在的な核兵器能力を保持することや、核武装を行うかどうか意思決定権の行使について十分な議論を行うべきだと提言した。本セッション最後の発表者である政治大学中国語学科博士課程在学の詹宜穎様は、「混血の葛藤、その狂気と輝き―『東京喰種トーキョーグール』から見た混血種のアイデンティティーにおける調和と超越―」では、主人公である金木研の混血種というアイデンティティーの問題を鋭く問い直し、主人公が混血の葛藤と狂気を乗り越えて大きく成長したプロセスを明らかにした。   以上、第8回日台アジア未来フォーラム後半に組み込まれた、自由論題研究論文発表の各セッションのテーマとして、マンガの収集・保存と利用、翻訳と異文化コミュニケーション、マンガ・リテラシー形成の理論と実践、マンガ・アニメと物語論、視覚芸術論、映像論、マンガ・アニメのメディアミックス化・マルチユース化、マンガ・アニメ文化と経済学・社会学・心理学・哲学など、幅広いテーマ・議題の展開を魅せられた開催成果であった。   盛りだくさんのプログラムにもかかわらず、各会場の司会・進行役の適確な時間管理のもとで、予定通りに盛大な閉会式を迎えることができた。登壇した東呉大学図書館林聰敏館長より、参加されたすべての専門家・学者・研究者・協力者・スタッフに対して謝辞が述べられ、参加者全員が今回のフォーラムに参加したことで、東アジア諸国におけるマンガ・アニメ研究の現状と今後の発展についての理解を深めることができたことを今後のマンガ・アニメ研究に活かしたいとし、フォーラムは無事に閉会した。   【総括】   第8回日台アジア未来フォーラムでは、グローバル化したマンガ・アニメ研究のダイナミズムを、研究者・参加者たちの多様な立場と学際的なアプローチによって読み解いた上、新たな可能性を見いだすという目標を達成した。何より、将来有望な若い研究者たちに研究成果を発表する場を提供することにより、日台関係・日台交流、また東アジア地域内の相互交流のさらなる深まりへの理解促進に貢献したと考える。学生や一般参加者たちにも東アジアにおけるサブカルチャー文化の受容現状を理解してもらい、また異文化を越えた視野を抱き、国際交流のネットワークを築きあげてもらえるように、確固たるモチベーションを与えたと確信している。   さらに進んで、よりグローバル的視野から見ても、東アジア研究の広がりの一助となる「日台アジア未来フォーラム」により、歴史紛争・地域紛争が東アジアで激化するなか、異文化間の交流・対話による相互理解・文化の共感・共有を目指す国際日本学研究の最前線へ向けて、世界一日本が好きな国だといわれる台湾から発信(あるいは発進)するという重要な意義も持つと大いに期待できよう。   【懇親会】   同日夜、東呉大学市内キャンパスの近くにある台北ガーデンホテルの宴会会場にて懇親会が開催された。参加者60名を超える大盛況で、終始リラックスしたモードで中華グルメを堪能しながら歓談した。懇親会の冒頭に、弘兼憲史先生台湾特別ご講演の実現をかなえてくださった上、海外からわざわざ台湾まで足を運ばれ応援に駆けつけてくださったスペシャル・ゲスト大石修一様から、乾杯の音頭を頂戴した。司会を務めた陳姿菁先生(開南大学副教授)は、見事なトークで堂々と司会をこなした上、参加者たちの笑いを誘う抜群のユーモアのセンスで会場の雰囲気を一段と盛り上げた。   宴もたけなわ、中締めのご挨拶に、海外から駆けつけてくださったスペシャル・ゲスト曽我隆一郎様、小林栄様、石田さやか様一同より、励ましのお言葉を受け賜った。その後、第1回日台アジア未来フォーラムから応援し続けてくださる中鹿営造(股)の小野寺董事長さまより、心温まるお言葉を頂戴し、実に感無量であった。なかでも特記すべきなのは、懇親会場に駆けつけてくれた世界のラクーンメンバーは、なんと総勢11名の大所帯であったこと!!   最後に、フォーラムの企画者である私が皆様に感謝の言葉を申し上げ、来年の開催責任を藍弘岳先生にバトンタッチした後、2日間のプログラムは円満に終了した。最後に、ケミカルグラウト株式会社(日商良基注入営造)粟根総経理様による恒例の3本締めが行なわれ、盛会の内に懇親会は幕を閉じた。   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。     2018年8月16日配信
  • 2018.08.09

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム『グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性』報告<その2>」

    前日(5月25日)400名を越える観客でにぎわったフォーラム前夜祭【神級名師 弘兼憲史先生 特別講演会】の余韻に浸る間もなく、26日早朝8時半、第8回日台アジア未来フォーラムの開会式は東呉大学普仁堂大講堂で執り行われた。東呉大学董保城副学長と渥美国際交流財団今西淳子常務理事に続き、日本台湾交流協会台北事務所広報文化室の浅田雅子主任、台湾日本人会日台交流部会の高橋伸一部会長から開会のご挨拶をいただいた。   【午前の部】では、日本・韓国・中国から招致した研究者による3つの基調講演会に続き、フォーラムの主題である「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性―コミュニケーションツールとして共有・共感する映像文化論から学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けて―」をテーマに、6名のパネリストによるパネルディスカッションが約1時間にわたって開催された。昼食を挟んで1時半から開始した【午後の部】においては、台湾を代表するマンガ研究者2名による講演会がパラレルに進行した後、3会場に分かれて合計6セッションで18本の研究発表が行なわれた。総勢200名近くの方々に参加していただく盛会であった。   最初の基調講演は、北九州市漫画ミュージアム専門研究員の表智之先生が、日本における「研究者のネットワーク化とマンガ研究の進展-学会・地域・ミュージアム-」というテーマでお話しくださった。2001年に「日本マンガ学会」、2006年に「京都国際マンガミュージアム」、そして2012年に「北九州市漫画ミュージアム」が設立されたことに触れ、「マンガ学会は、多種多様な学術分野が合流する刺激的な場となった。また、マンガ研究に欠くべからざる基礎資料である雑誌や単行本をミュージアムという場に集積し、展覧会や講演会などの場でその学術的意義を広めてきた結果、マンガ資料を一種の文化財として保存する意義が社会に共有された。   現在では政府機関である文化庁をはじめ、福岡県北九州市や秋田県横手市などいくつかの地方自治体がマンガ資料の恒久的な保存活動を進めている」という現状を指摘した上、ここ20年ほどの間に日本で起きたマンガ研究環境の変化や、研究者と研究資料のネットワーク構築及び研究方法の進展について整理してくださった。その結果として得られた新たなマンガ研究の視座に基づき、地域の視点でマンガを考える意味について分析した上、膨大なマンガの「1次資料」を連携・分担して収集し保存するマンガミュージアムの役割及び資料ネットワークの構築、そして、日本を含む世界各国の評論家たちの研究成果の継承の重要性を強調した。   次の基調講演は、韓国で出版企画会社コミックポップ・エンターテインメント代表を務める傍ら、『韓国声優の初期歴史』など、韓国・日本でもマンガ関連研究の書籍・コラムの執筆、翻訳活動など精力的に携わっておられる宣政佑氏が「韓国ではアジア漫画をどう見てきたか(Asian_comics_in_Korea)」をテーマに、韓国におけるアジア漫画の受け入れの歴史を振り返ってくださった。 氏は、「アメリカンコミックス(スーパーヒーロー物・グラフィックノベル)、日本漫画(少年漫画・少女漫画・青年漫画)、BD(バンド・デシネ/bande_dessinee:主にフランス語で発表される、フランスとベルギー中心のヨーロッパ漫画)は勿論として、台湾・香港など中国系の漫画も多数翻訳出版」されている事実を踏まえた上、台湾文化の韓国への輸入の背景、特に人気のある台湾出身の漫画家蔡志忠、林政德、游素蘭、高永、周顕宗、陳某らの作品を詳しく紹介してくださった。さらに、ウェブトゥーン・電子書籍時代以後、韓国におけるアジア漫画受容の変化、特に増えつつある中国漫画の存在感についても興味深く語ってくださった。   3本目の基調講演は、日本近現代文学、日本大衆文化、東アジアマンガ・アニメーション史など、様々な分野において、膨大な研究業績を挙げられた中国北京外国語大学北京日本学研究センターの秦剛教授による「『白蛇伝』における『中国』表象と『東洋』幻想」であった。1958年10月に公開された東映動画制作の『白蛇伝』が戦後日本の最初の長編アニメーションであるが、なぜ中国の民間伝説を題材に選んだのか、またその歴史的なアニメーション作品において、どのような中国のイメージを表象しえたのかについて、細かい画面構成に注目しながら制作者側の真意を紐解いた秦剛教授は、『白蛇伝』のビジュアル的イメージの歴史的な連続性、および映画のナラティブに反映された植民地主義的意識の残影を浮き彫りにした。 「敗戦によって終焉した旧植民地支配時代へのノスタルジーを匂わせながら、植民地主義的な他者支配の再演という欲望が輸出商品としての『白蛇伝』制作の商業的な企図にも内在していた」と結んだ秦剛教授の結論に、かつて植民地支配の被害、搾取に虐げられていた台湾出身者として、「たしかにその通り」と頷かずにいられない共感を得た。   続くパネルディスカッションでは、渥美国際交流財団の今西淳子常務理事を司会に迎え、本フォーラムの主眼に据えている「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」というテーマをめぐって、台湾、日本、中国、そして韓国という多文化的視点から議論を掘り下げていった。   マンガ学会・マンガミュージアムの設立に積極的に関与・貢献してきた表智之先生は、(1)日本のマンガ研究は日本以外の研究成果に関心を持っているか、(2)日本以外の地域からの日本マンガ研究者の受け入れ態勢、(3)グローバルな視点からのマンガ研究の可能性について、グローバル化された日本マンガ学の視点から論じた上、「表現論をしっかりと踏まえてのグローバルな対話が、これからは求められていく」と力強く締めくくった。   宣政佑氏は、漫画・アニメの記事やコラムなどを書いてきたライターとして、また主に漫画・アニメ関連の日本の批評書や研究書を翻訳してきた翻訳家として、そして書籍などの国際契約の仲介や展示・各種事業の企画を行ってきた身として、その立場から「漫画・アニメ研究」というもの、グローバルな観点を持つ漫画・アニメ研究の必要性について論じ、たとえ限界はあるにしても、国際的な交流やシンポジウムには意味があるという考え方を示した。   鋭い批判精神で東アジアにおけるマンガ・アニメーション史を凝視してきた秦剛教授は、西遊記でもっとも話題性に富んだキャラクター鉄扇公主を主人公に仕上げた、中国初の長編アニメーション映画「西遊記 鉄扇公主の巻(原題:鉄扇公主)」の越境史に注目しながら、マンガ・アニメ研究の新地平への展望よりも、歴史あるアニメーションの芸術性とその文化的価値を回顧・再考することの重要性を力説した。記憶に葬られそうな過去の漫画・動画を今一度見直すことこそ、グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性を切り拓く決め手ではないかと訴えた。   台湾U-ACG発起人、旭メディアテクノロジー会社創立者としてマンガ・アニメの普及・発展の最前線をけん引する傍ら、清華大学でも非常勤講師として「御宅学」講座の開設に尽力してきた梁世佑先生は、台灣におけるACG(アニメ・コミック・ゲーム)の概念の移り変わりを振り返った上、グローバルなマンガ・アニメマーケティングの戦略的コンセプトが確立された時代において、台湾オリジナルマンガ・アニメ作品にどんな特色を持たせるべきか、どういった位置づけを狙うべきかについて論じた。パラダイス鎖国化・ガラパゴス化されていく傾向の強い日本業界と手を組んで需要が高まる中国市場に挑むべきだと提言した。   一方、台湾で初めてのアニメーション評論団体「Shuffle_Alliance」発起人で、東海大学に続き国立交通大学でも「御宅学」講座を創設して開講以来圧倒的人気を誇る講師であるJOJO先生こと黄瀛洲先生は、マンガ・アニメ研究者からマンガ・アニメ作品制作会社「石破天驚行銷(股)」CEOに転身した実体験に基づき、台湾におけるマンガ・アニメ関連イベントの企画開催の現状及び困難点について言及した上、台湾オリジナルマンガ・アニメ・ゲーム作品制作現場が直面する課題を展望した。   最後に登壇したパネリスト住田哲郎先生は、韓・台・日の3か国で日本語教育に携ってきた経験を活かし、言語研究者・日本語教師として、マンガ・アニメ研究の可能性について貴重な意見を述べられた。特に、「マンガ・アニメがいかに社会貢献を果たせるか(いかに有効活用できるのか)」という切実な課題に、日本語教育への活用、情報メディアとしての活用、マンガ学・アニメ学の確立と学校教育への活用といった3つの示唆に富んだ解決策を提示された。   パネリスト6名の発言がそれぞれ時間内におさまるよう、スムーズな進行を心がけられた司会者今西淳子常務理事の適宜な時間管理の下で、2本目の特別講演会の司会者邱若山教授の感想・問題提起を筆頭に活発な議論が交わされた。本フォーラムのメインテーマ「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」をめぐって、東アジア諸国の有識者を招いた約1時間にわたるパネルディスカッションは滞りなく終了した。   台湾グルメの名物弁当が振る舞われたランチタイムを挟んで、午後1時半からは、台湾の大学に大フィーバーを巻き起こした「御宅学」講座開設のパイオニア、梁世佑先生と黄瀛洲先生の両氏による特別講演会であった。プログラム時間の制限でパラレル進行形式を余儀なくされるため、台湾「オタク学・オタク研究」史上最高のゴージャスな競演といわれるほど、本フォーラムでも注目度の高い目玉企画であった。   「日本のアニメから見る国家と社会の構造―人型ロボット兵器を例に―」という題目で講演された梁世佑先生は、台湾のマンガ・アニメファンの目線から、『鉄腕アトム』『鉄人28号』『マジンガーZ』など、人型ロボットを兵器に見立てた日本で有名なアニメ作品を例に、日本の映像文化やエンターテインメント作品にみられる日本人のアイデンティティーやセルフイメージの形成のプロセスに迫ろうと試みた。さらに、芸術家岡本太郎が手がけた「太陽の塔」の無機質な顔に表象された日本の美意識に着眼し、日本のアニメや特撮映画の技術を最大限に盛り込んだアメリカ発エンターテインメント映画『パシフィック・リム』(Pacific_Rim)や、『機動戦士ガンダム』『宇宙戦艦ヤマト』『沈黙の艦隊』などロボット兵器や巨大な武器を主役に据えたアニメ作品を取り上げ、「大和文化」の本質を再発見・再認識しようとした日本アニメから見る国家と社会の構造を解き明かそうとした。   一方、自ら手掛けたアニメ映画の実体験を踏まえて、「未来を見据えた台湾アニメの発展―アニメ映画『重甲機神BARYON』を例に」というテーマで講演された黄瀛洲先生は、1950年代に欧米や日本のプロダクションの下請けからスタートした台湾のアニメ産業の歴史を振り返った上、台湾アニメ産業が直面した問題点を、国際・政治・経済・社会・教育など各方面から鋭く分析した上、様々な課題を指摘した。ただ決して悲観的に捉える必要はなく、常に第一線で活躍するパイオニアならではの洞察力を発揮して、21世紀を迎えた台湾アニメ産業が挑戦すべき分野、目指すべき方向及び未来を切り拓く新たな可能性について、広範多岐にわたる活路を見いだした。現在、山積する課題の解決に向けて、気鋭の若手たちを率いて制作している台湾初のオリジナルアニメ映画『重甲機神BARYON』の取り組みを手掛かりに、発展的・創造的な活動を積極的に展開していこうと、並々ならぬ意欲を示した姿勢が印象深いものであった。   台湾におけるマンガ・アニメ文化の進化やオタク文化の深化、オタク学の研究に人生をかけてきたお二人の真剣な眼差しと未来に対する意欲に満ちる講演は今後への期待感が溢れ、大変説得力があった。日本から受け継いで台湾でさらなる大きなソフトパワーに成長していくマンガ・アニメの価値と意義が改めて認識された、非常に充実した講演内容であった。   午後2時20分からの論文発表シンポジウムでは、3会場でそれぞれ2つのセッションを構成して、台湾、日本、中国、ノルウェー出身の学者たちを招き、多角的な視点から深い議論が展開された。合計18本の論文発表が行われたが、詳細は引き続き報告する。(つづく)   当日の写真   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。     2018年8月9日配信
  • 2018.08.02

    張桂娥「第8回日台アジア未来フォーラム『グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性』報告<その1>」

    2011年5月から8年連続の開催となる「日台アジア未来フォーラム」とは、「渥美国際交流財団関口グローバル研究会」(SGRA)主催の国際研究交流会議であり、台湾ラクーン(渥美財団の支援を受けた元奨学生)が中心となって活動している知日派外国人研究者の研究ネットワークである。本フォーラムでは、主にアジアにおける言語、文化、文学、教育、法律、歴史、社会、地域交流などの議題を取り上げ、若手研究者の育成を通じて、日台の学術交流を促進し、日本研究の深化を目的とすると同時に、若者が夢と希望を持てるアジアの未来を考えることを、その設立の趣旨としている。   グローバル化したマンガ・アニメ文化は、視覚芸術を極めた魅惑的なワールドを築き、世界中の若者を虜にした。非日常な世界に魅了された視聴者にとって、マンガ・アニメは、まさに自己と他者ないし世界を理解するための媒介である。サブカルチャーだったマンガ・アニメ文化は、一国の経済成長に大きな影響を与えるメインカルチャーに転換していき、我々現代人のライフスタイルをダイナミックに変えるソフトパワーの源でもある。   台湾では近年、マンガを通して各国の文化・社会への理解を深める教養講座が相次いで開設されている。東呉大学日本語学科は、コミックス蔵書を楽しむ「マンガ読書エリア」を開設した東呉大学図書館と協力して、マンガ・アニメ文化の可能性を探究する学術シンポジウムを開催してきた。他大学に先駆けて、マンガ・アニメ文化研究の最前線に立って、アカデミックな研究の未来を見据え、その可能性をさらに切り拓こうとしている。   第8回日台アジア未来フォーラム「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性」は、世界の若者を魅了したマンガ・アニメのソフトパワーの真骨頂を解明しようとする台湾東呉大学日本語学科と同大学図書館との共同主催のもとで、2018年5月25日(特別講演会)、26日(国際シンポジウム)の2日間にわたって、台北市の東呉大学で開催された。   本フォーラムでは、世界規模・地球規模に広がったマンガ・アニメ文化の魅力に着目し、「グローバルなマンガ・アニメ研究のダイナミズムと新たな可能性―コミュニケーションツールとして共有・共感する映像文化論から学際的なメディアコンテンツ学の構築に向けて―」というテーマを中心に議論を展開した。25日午後の特別講演会を前夜祭に、26日の国際シンポジウム【午前の部】招待講演会×3講演、パネルディスカッション×1会場、【午後の部】招待講演会×2講演、3会場×2セッション(招待研究発表×2本+公募研究発表×16本)など、多様なプログラムを通して、情報の共有及び知的交流の推進を目的とした。   また、文化を発信するコミュニケーションツールとして共感・同調・共有されてきたマンガ・アニメが、いかに次世代の地球市民の手によって共創するコンテンツ産業へ進化していくかのプロセスや、それを実現させるあらゆる創発の原理を創造的に思考する場を提供し、あらゆる参加者による活発な議論・討議・ディスカッション・意見交換が繰り広げられるという、市民向けフォーラム的効果も期待している。   今回は、共同主催する3機関団体の他に、中華民国(台湾)教育部、科技部、外交部、中華民国三三企業交流会、台日商務交流協進会をはじめ、日本の(独)国際交流基金、(公財)日本台湾交流協会など、台湾と日本の公的機関から甚大なる支援をいただいた。また、第1回フォーラムから主要賛助企業である中鹿営造(股)を筆頭に、台湾日本人会の呼びかけを通して、ケミカルグラウト(株)(日商良基注入営造)、日商全日本空輸(股)台北支店、台灣住友商事(股)、台灣本田汽車(股)、台灣三菱電機(股)、みずほ銀行台北支店より貴重な協賛を頂いたお蔭で盛大に開催ができた。この場をお借りして改めて深謝の辞を記させていただく。   1日目の5月25日午後は、シンポジウムの前夜祭として設けた漫画家特別講演会であるが、一年間にわたる関係者の努力が実り、また幸運にも講談社より全面的なバックアップを受けたお蔭で、『島耕作』シリーズが代表作である漫画家――当代日本マンガ界きっての「神級名師」である弘兼憲史先生をお招きすることが実現できた。40年以上に渡って日本企業文化の神髄やサラリーマンの心得を伝授してこられる弘兼憲史先生には、「漫画から学んだこと」をテーマに、漫画の創作や企業の取材を通して身につけたことを伝授していただくことにした。   台湾でも圧倒的な人気を誇る弘兼憲史先生のご著書を網羅的に所蔵している東呉大学図書館は、アカデミックな特別講演会をさらに盛り上げようと、学内外のコミックファンを対象に、4月から先駆けて「弘兼憲史先生全作品を読破する」という読書感想コンクール・「弘兼憲史先生/島耕作会長に聞きたい!」という質問大募集キャンペーン、弘兼憲史先生全作品特別展示ブックフェアなど、総力を挙げて盛りだくさんのイベントを開催する運びとなり、大学史上最高の盛り上がりを見せた。その成果か、講演会に出席したいと事前に申し込んだ人数は、想像を遥かに超えて、500名に迫る勢いなのを受け、定員340人の会場に収容できない来場者を受け入れるため、急遽隣接する戴氏基金会ホールに生放送する機材を運びこみ、臨時会場を特設することにした。   25日午後2時ごろ、講演会開始の前に、東呉大学図書館特設会場にて、弘兼憲史先生ご来学記念ボードのサインセレモニーが行われた。その後、講演会場に隣接する生放送する予定の講堂ホールに移動され、記者会見に臨んでいただいた。約30社のマスメディア関係者による囲み取材を受けた弘兼憲史先生は、地元記者からの矢継ぎ早で途切れぬ鋭い質問に、40分ほどよどみなく答え続けてくださった。日中台関係をめぐる政治がらみの敏感な質問にも決して嫌な顔をなさらずに、どんな細かい質問にも真面目に誠実に答えてくださった先生の謙虚で真摯な姿が、連日、台湾のテレビニュース番組の動画や各社メディアの新聞記事に報道された。「島耕作シリーズ」の高い知名度とともに、台湾の良き理解者として、リアルな弘兼憲史先生の人間性がさらに広く認識されるという印象深いエピソードである。   25日午後3時半、東呉大学の大学生・院生のみならず、台湾全土の大学関係者や社会人、約30社のマスメディア関係者や日系企業の台湾駐在員などで超満員の東呉大学普仁堂で、特別講演会の開幕式が行われた。入場できずに戴氏基金会ホールで生放送のモニターに釘付けの参加者たちにも見守られるなか、東呉大学董保城副学長、渥美国際交流財団今西淳子常務理事、日本台湾交流協会台北事務所広報文化部松原一樹部長のご挨拶があり、弘兼憲史先生特別講演会が始まった。   今回の特別講演会は、フロアとの交流、話しやすさにこだわる弘兼先生のご要望もあり、同時通訳ではなく、逐次通訳を壇上に同席させた上、取材メディアから寄せられた質問や視聴者から事前に集まった代表的な質問から司会者の朱廣興教授が選んだものに、先生に答えていただく【Q&A形式】で進行することになった。最初の10分間は、先生自らの生い立ちの紹介からスタートし、漫画家になるまでに経験したサラリーマン時代を振り返り、そして、約45年間にわたって無我夢中に打ち込んできた漫画家としての歩み並びに、膨大な漫画創作の業績及び多種多面な分野で活躍された成果などを振り返っていただいた。   その後、パートⅡ【Q&A】のコーナーに入り、(1)漫画創作にまつわる物語の背景・舞台設定、作業場の裏話・苦労話(2)漫画作品の世界や作中人物にまつわるエピソード・逸話(3)世界情勢・アジアの若者事情・仕事観・キャリア形成、といった3つのカテゴリーから、司会者が選んだ10の質問にお答えいただくコーナーにうつった。   まず、「激しい世界情勢や社会現状を背景にした作品作りに取り組んでいるが、リアリティーを持たせるための工夫や、想像力のトレーニング、そしてアイデアを枯渇させないコツは?」という創作手法をめぐる質問に、弘兼先生は、ラジオのニュース番組の視聴や映画予告編の鑑賞、取材を通して入手した材料、蓄積した人脈を活用したりして、日々の生活のどんなシーンでも周りの出来事に目を光らせている等、アイデアを保つヒントを隠さずに教えてくださった。   また、IOTによる産業革命に生き残るために企業へのアドバイスを求められると、多国籍企業文化の普及化に伴うモノづくりの多様化に柔軟に対応していきながらも、グローバル化した世界・社会に貢献できる人間の本質の生活に欠かせない不変なものの価値を見いだしてほしい。これから、もっと高度に進化し多様化していく人間社会にも通用できる、シンプルな喜びをもたらすモノづくりシステムの構築にたどり着くのではないか、という、遥か人間の未来社会を見据えた哲学者っぽいウィットな解答もあった。   そして、未来世界の国や会社を導く真のリーダー像とは?の問いに、弘兼先生は、山本五十六の人材育成に関する非常に有名な言葉――「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」を引き合いに、リーダーとしてこれからの世界を担う若者の人材育成・人材づくりに携わる際に最も大事な留意点(キーポイント)をかみ砕いて、丁寧に説明してくださった。   最後に、ご自身の経験を例に、台湾・アジアを歴訪した会長島耕作的目線を光らせ、「アジア均一化時代」に生きる台湾・アジアの若者の試練や未来につなぐためにしておくことも含めて、将来、新社会人として勤務する際の心得や取るべき行動などについて、時間をかけてじっくり語っていただいた。会場を埋めつくした参加者一同、瞬きもせず聞き入っていた光景が印象的で感銘深い特別講演会であった。   読書感想文の優勝者・最優秀質問の当選者の表彰式及び感想文朗読プレゼンの後、フロアからの質問を受けるコーナーも予定していたが、夢心地のような短い2時間の講演会は、余韻に浸る間もなく、あっという間に終わりました。第8回日台アジア未来フォーラムの初日を飾った弘兼憲史先生特別講演会は、東呉大学日本語文学科蘇克保主任の閉会式のご挨拶で、大盛況のうちに幕を閉じた。   同日夜、東呉大学の近くにある故宮博物院の敷地内に位置する「故宮晶華」という、現代テイストの中華料理と藝術的な創作メニューが魅力なレストランで歓迎パーティーが開催された。総勢40名の出席者でにぎわう会場で、気さくで話し上手な弘兼憲史先生を囲んで、美食・美禄を堪能しながら、歓談した。   実は、8年ぶりに公開された訪台活動である今回の特別講演会を機に、取材活動にも精力的に取り組まれた先生は、過密なスケジュールの合間を縫って、早朝から深夜まで台湾各地を歩き回られ、現地取材をこなしたと話された。そして、今回の取材で入手された迫真で斬新な材料を、今年8月(今月)発売の最新連載号「会長 島耕作」の<台湾編>に仕上げるという、会場一同を驚かせたサプライズなニュースをリークしてくださった。第8回日台アジア未来フォーラムにおける特別講演会のイベントが、何らかのシーンで紹介されるとすごいねと、関係者全員密かに期待しながら、愉快なエピソードをつまみに、とっても充実した長丁場の一日の幕下ろしを円満に迎えて、帰路についた。   以上、本フォーラム発足して以来もっとも記念すべき特別講演会の報告であった。引き続き2日目の国際シンポジウムの詳細を報告する。(つづく)   当日の写真   ◇記者会見・講演会の動画:   日本「島耕作」漫畫家來台 取材台灣政治 20180525 公視晚間新聞-YouTube   島耕作漫畫作者來台 取景台灣立法院 – YouTube   ◇記者会見・講演会の関連記事:   「島耕作」の新作は「台湾篇」 弘兼憲史さん訪台、大学で講演も|社会|中央社フォーカス台湾   《島耕作》作者東吳演講 想忠實呈現台灣政治|芋傳媒TaroNews   ◇雑誌週刊誌:話題人物特集(報道)編/大学キャンパス通信   新世代職場求生 島耕作之父傳授三大祕技―今周刊   『東呉大学キャンパス通信』311号p.2.pdf   <張 桂娥(ちょう・けいが)Chang_Kuei-E> 台湾花蓮出身、台北在住。2008年に東京学芸大学連合学校教育学研究科より博士号(教育学)取得。専門分野は児童文学、日本語教育、翻訳論。現在、東呉大学日本語学科副教授。授業と研究の傍ら、日本児童文学作品の翻訳出版にも取り組んでいる。SGRA会員。    
  • 2018.06.28

    江永博「第7回SGRAふくしまスタディツアー『<ふるさと>に帰る』報告」

    2018年5月25日、私は東日本大震災の翌年の2012年から毎年原発事故の被災地である飯舘村を訪ねている渥美国際交流財団SGRAスタディツアーに参加し、福島に向かった。   2泊3日のツアーでは、「ふくしま再生の会」の理事長田尾陽一さんの案内で、村役場をはじめ、未だに帰還が禁止されている区域である長泥のゲート、牛の放牧実験場、花のハウス栽培とメガソーラーがある関根・松塚地域、飯館村の信仰の中心とも言える山津見神社などを見学し、再生の会と村の方々のお話を伺い、田植えを体験した。震災の日から7年の歳月が経った今、被災地の復興、飯舘村の再生は如何なる状態なのか、私がこの3日間、目にしたもの、体で感じたことを文字で表してみたい。   福島駅からマイクロバスに乗り換え、通称中村街道の国道115号経由で、飯舘村に入った。面積の7割が山林の飯舘村の景色は、とても被災地とは思えないほど美しく、空気も非常に綺麗である。昨年(2017)3月に飯舘村に対する避難指示が解除されたが、原発被害の爪痕はまだ残っている。その代表的なものが除染の「副産物」=除染土のフレコンバックのピラミットである。過去にもツアーに参加したことのあるメンバーの話によると、前は真っ黒なフレコンバックのままのピラミットであったが、今はグリーンのシートに覆われているため、景観的にピラミットの威圧感が少し緩和されたようだ。   また、同じ景観的な意味合いで、景観作物の栽培という新たな試みも行われている。現段階は外で避難生活をしている人々が再び戻ってくれるための景観の「再生」であるが、将来的には観光または販売も視野に入れているそうである。再生の会福島代表の副理事長であり、佐須行政区長でもある菅野宗夫さんによると、震災後、園芸を含む畑作、牛の放牧と太陽光発電の売電は再生のための三大柱である。太陽光発電は言わずもがな、一見震災前と変わらない畑作と放牧も、ビニールハウスにおける遠隔操作や放牧実験中の牛の人工受精など現在最先端のICT技術が導入され、再生の道は一歩一歩着実に前へ進んでいると見受けられた。   こうした状況の中、飯舘村が直面している課題を取り上げたい。まず、私にとって今回のツアーで一番印象に残ったのは、現在再生可能エネルギー資源として注目を浴びている太陽光発電設備のメガソーラーである。私の出身地台湾では、東日本大震災の前からすでに原子力発電に反対する声があり、震災後の原発事故の影響で原子力発電を廃止すべきという主張が主流になった。その結果、もともと2011年に運転開始を目指していた第四原子力発電所は2015年に正式に凍結された。原子力発電の代わりに、現在注目されているのは太陽光・風力・水力などの再生可能エネルギーである。しかし、今回のツアーで実際にメガソーラーを目の当たりにし、今までなかった印象を受けた。平野一面に広がるメガソーラーは壮観で迫力があるが、その大部分は周りに鉄フェンスと関係者以外立ち入り禁止の看板があり、周りの景観に融け込めない異様な風景という印象が非常に強かった。   再生の会と村の方々のお話を聞くと、理想的な太陽光発電は売電目的ではなく、コミュニティー使用が中心であり余った分だけ売電する形であるが、現在飯舘村の場合は、まだ村に帰還する人口が少ないため、このような状態になった。畑作として使わないまたは使えない土地を活用するために、再生可能エネルギーのメガソーラーの設置は一つの方法かもしれないが、村の風景に融け込まない鉄フェンスに囲まれたメガソーラーのままでは、村にとって貴重な自然景観が少しずつ外来の資本により蚕食されるような気がしてならない。外来資本の投資は非常に重要であるが、村を主体として考えず、資本主義至上の外来資本をそのまま不用意に受け入れたら、村にとって最終的には相容れない癌のような存在になってしまう恐れもあるのではないだろうか。飯舘村におけるメガソーラーはすでに目立つ存在になった。この目立つ存在を如何に工夫し、村に融け込ませ、村の風景の一部にするかは重要な課題だと考えられる。   メガソーラー以外、震災前から引き継いできた全国各地方と共通する課題は、人口の過疎化と高齢化である。これらの問題を解決するために、平成30年度から飯舘村は移住・定住支援事業を展開している。「10年間住めば、1区画200坪の分譲地を無償で譲渡」、「500万円までの住宅新築費用を補助」、「2年間新規職業に就くための活動支度金の支給」など非常に魅力的な内容であり、村はこの事業に力を注いでいる。   また、すでに避難先で新しい仕事と生活をはじめ、帰村しない人あるいはできない人のために、佐須行政区地域活性化協議会は、様々なイベントを企画し、ボランティア・学生・外国人・移住検討者などの人々との交流を通し、当地の歴史と文化を継承し、新たな地域づくりを図ろうとしている。こうした実質的な移住支援と人との交流による歴史・文化の継承=「心の故郷作り」が同時に推進され、飯舘村だからこその特徴=「飯舘村色」が見つけられたら、村は「再生」に止まらず、さらに一歩前に進む飯舘村の「新生」も期待できると思う。村の「新生」への期待を込めて、これからも飯舘村を見守っていきたい。   スタディツアーの写真     <江永博 CHINAG_Yung_Po> 渥美国際交流財団2018年度奨学生。台湾出身。東呉大学歴史学科・日本語学科卒業。2011年早稲田大学文学研究科日本史学コースにて修士号取得。現在早稲田大学大学院文学研究科日本史学コースに在籍、「台湾総督府の文化政策と植民地台湾における歴史文化」を題目に博士論文執筆中。専門は日本近現代史、植民地時期台湾史。       2018年6月28日配信