SGRAイベントの報告

第3回日台アジア未来フォーラム「近代日本政治思想の展開と東アジアのナショナリズム」報告

2013年5月31日、国立台湾大学法律学院の国際会議場で第3回日台アジア未来フォーラム「近代日本政治思想の展開と東アジアのナショナリズム」が開催された。今回のフォーラムの趣旨は、ナショナリズムなど、近代西洋思想の受容によって展開された近代日本政治思想と諸概念、及びそれらの思想と諸概念が、中国と日本帝国の植民地において受容、変容されて、各地の政治情況と絡みながら展開されていた情況を検討することである。さらに、こうした近代政治思想の受容と交錯によって生じた現在の北東アジアのナショナル・アイデンティティに関わる諸問題に焦点を当てて検討した。

 

今回のフォーラムへの参加申込は187名であったが、会議当日、200席の会場は終日ほぼ満席であった。1つのセッションだけに参加した人もいたので、当日の参加者は基調講演と3つのセッションを合わせて計算すると、おそらく300名を超えたであろう。この意味で、今回のフォーラムのテーマの設定は成功だったと言えよう。

 

まず開会式では、台湾大学人文社会高等研究院の黄俊傑院長、台湾連合大学システムのカルチュラル・スタディーズ国際センターの劉紀蕙教授、公益財団法人交流協会台北事務所文化室の河野明子主任が開会のスピーチをしてくださった。基調講演を務めたのは法政大学法学部の渡辺浩教授(東京大学法学部名誉教授)であった。渡辺教授は「Nation・民主・自由ーー日本を例として」というテーマで講演を行ない、日本の歴史経験に関する考察に基づき、Nation、民主、自由との三者の複雑な関係と可能性について、鋭い見解を示した。たとえば、民主化がNationの形成を促進すると同時に、形成されたNationは対外戦争への協力・動員に積極的に応じた結果としてさらなる民主化をもたらした、という喜ばしくない因果連関が指摘された。 

 

第1セッションは、「ナショナリズムをめぐる近代日本政治思想の展開と中国」というテーマで3名の学者が報告を行った。座長は台湾大学日本語学科の辻本雅史教授である。まず、立教大学政治学科の松田宏一郎教授は、「PatriotismとNationalism:「偏頗心」の設計」というテーマで発表した。松田教授はpatriotismとnationalismという概念に、明治期の日本の知識人がどのように日本語(そして、一応漢語でもある)の「愛国」「報国」などといった概念で関連づけたかを考察した。それを手がかりに、国家を統治機構としてではなく、大きな共同体と見なし、それに対する愛着や責任感情といった心理的な方向付けを要請する議論がどのように構成されていったのかを検討した。

 

次に、東京大学法学政治学研究科の平野聡教授は「大和魂、中国魂、西蔵魂?:中国民族問題における近代日本の陰影」というテーマで発表した。平野教授は中国とチベットとの関係に対する検討を通して、近代中国が近代日本から展開されたナショナリズムと帝国主義を内包することによって、今日に至る中国の国家統合問題が続いていると指摘している。さらに、その根本的な解決は中国自身が富国強兵・弱肉強食の帝国主義国家的手法を放棄することによるしかないと、その見解を提示した。

 

また、千葉大学人文社会科学研究科の蔡孟翰教授は「東アジアにおけるナショナリズムの再考:「国家」と「民族」の間」というテーマの論文を発表した。蔡教授は西洋近代の歴史経験にもとづいたナショナリズム論を基本的な参照軸にして、ナショナリズムをめぐる東アジア的文脈を、理論的に整理した。蔡教授によれば、近代日本において、東アジア共有の儒教や漢字文化によって「家族国家」論が発明されて、さらにそれを確立するために各国固有の始祖が作り出された。そして、こうしたことによって、近代東アジアのナショナリズムが創出されたのだと主張した。これは極めて大胆かつ新鮮な解釈とも評された。

 

第2セッションは、「ナショナリズムをめぐる近代日本政治思想の展開と台湾、韓国」というテーマで行われた。座長は台湾大学歴史学科の甘懐真教授である。まず、交通大学社会と文化研究所の藍弘岳教授は「〈明治知識〉と植民地台湾の政治:「国民性」言説と1920年代前の「同化政策」、ナショナル・アイデンティティ」というテーマの論文を発表した。藍教授は漢文脈において、「国民性」言説の展開過程を考察した上で、さらに「国民性」言説と植民地台湾に対する同化政策との関連を明らかにした。こうした検討を踏まえて、蔡培火などを例にして、1920年代台湾のナショナル・アイデンティティ問題を論じた。さらに、右の検討を通して、植民地期の台湾における〈近代西洋の知識〉と〈明治の知識〉、それに〈明治漢学〉と〈台湾漢学〉との類似と差異、及びこれらの知識形態が交錯していた複雑な知識情況の一端を明らかにしようとした。

 

次に、中央研究院台湾史研究所の陳培豊教授は「「同文」、「異文」、「台湾語文」:ナショナル・アイデンティティ及び表意 / 表音問題」というテーマの論文を発表した。陳教授は「植民地漢文」という概念を提起して、植民地台湾における漢文の「クレオール現象」を説明した。そして、日清戦争後、日本に支配された植民地台湾は様々な漢字漢文の坩堝となり、台湾人アイデンティティが形成していくことを論じた。さらに、台湾の植民地漢文の「同文」から「異文」への移行に伴い、植民地漢文は「同文同種」のプロパガンダの役割がなくなり、むしろメディアの検閲の障害となり、統治者にとっては文体上の他者、敵手となったと、複雑な展開過程を精彩に考察した。また、戦後の戦後台湾語文の発展とローマ字運動などをも検討した。 

 

さらに、韓国延世大学政治外交学科の高煕卓教授は「韓国近代における「国民」意識形成とその隘路――東学(天道教)運動を中心に――」という論文を発表した。高教授の論文は、東学(天道教)の出現やその拡散に込められた政治思想的意味を「下」からの「国民」化への道とその隘路という視点から捉えなおしたものと言える。「君民一体」の夢を抱えていた東学との思想関連で、朝鮮人が日本統治時代において、「二等民族」として差別を受けたことによって「民族」を実感してから、自らの運命と国家の運命を一体化できる国家の建設と、国家・国民意識が生まれたと論じた。

 

第3セッションは、中央研究院近代史研究所の張啓雄研究員が座長を担当し、「ナショナル・アイデンティティを巡る現代東アジア」というテーマで3名の学者が報告を行った。まず、中央研究院近代史研究所の林泉忠研究員は、「ナショナル・アイデンティティにおける戦後初期沖縄住民の再模索:三大土着政党の政策を中心に」というテーマで論文を発表した。林研究員は戦後初期において、沖縄のいくつかの独自政党の「独立志向」像を明らかにし、その背景や特徴・性格の考察を通して、戦後初期の「独立」風潮から50年代以降の復帰運動への転換のダイナミズムを検討した。そして、当時の独立風潮の形成と消滅の背景をそれぞれ詳細に分析した。前者に関して、アメリカ軍の実効支配とこの時期の沖縄の法的地位の不明瞭、及び沖縄が「独立国」であったという歴史的郷愁などを検討した。後者に関しては、明白な民族アイデンティティの形成の失敗と大衆運動の欠如などの理由を挙げて分析した。最後に、その分析を踏まえて、結局、強い民族意識に支えられていない沖縄の民族独立運動は政治的影響を持続できなかったと結論付けた。

 

次に、香港中文大学の馬傑偉教授は「分と合の角力:香港アイデンティティの再ネーション化の過程における矛盾と変動」という論文を発表した。馬教授は1997年香港が中国に回帰した後の十数年間の香港人のナショナル・アイデンティティの変動を分析した。その分析によれば、香港人の、香港人および中国人としてのアイデンティティは変動しているが、純粋に中国人としてのアイデンティティは減少傾向なのに対して、香港人優先のアイデンティティは増加傾向だと見て取れる。また、香港人と中国人との間に存在するアイデンティティの境界について、中国大陸における資本主義の発展によって、香港人と中国人との間の経済価値観の差異は縮小しているのに対して、民主、自由などの政治価値観の差異は拡大していると指摘している。

 

次に、九州大学大学院の益尾知佐子教授は「中国政府の釣魚島主張の発展過程を論ずる:政府の宣伝とナショナリズムの高揚」というテーマの論文を発表した。まず、益尾教授は、中国政府の歴年の釣魚島主張を分析して、中国政府が1971年12月30日に、初めて釣魚台列島の領有を主張したのだと指摘している。さらに、こうした主張を踏まえて出てきた日中両方が「争いを棚上げにする」というコンセンサスが存在したという中国側の主張を検討した上で、日本の尖閣諸島の国有化に対して、コンセンサスを破る行動とした中国側の主張を批判している。さらに、益尾教授は1970から2011までの『人民日報』における「尖閣」という言葉を使用した回数を調べて、1996年は中国側の言論が急変した時点だと指摘している。さらに、『人民日報』における「愛国」「神聖」などの詞を調べて、政府の宣伝と中国ナショナリズムの高揚との関連を論じた。

 

最後に、渡辺教授と交通大学社会と文化研究所の劉教授と渥美財団の今西淳子常務理事が閉会スピーチを行い、フォーラムは成功裡に終わった。渡辺教授が指摘したように、今回の会議は多くの人が参加しただけではなく、発表した論文はお互いに関連しているし、その論文とコメントの質も高くて、多くの興味深い問題が提示された。例えば、近現代西洋のナショナリズム論で東アジアのナショナリズムを解釈することの有効性に対する疑問や、こうした敏感なアイデンティティ問題を論じる場としての台湾の意味などが論じられた。今回の会議は大変な成功であったと、多くの参加者からも評価された。

 

当日の写真は下記リンクよりご覧ください。

 

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<藍弘岳(らん・こうがく)☆Lan Hong Yueh>
台湾国立交通大学社会と文化研究所副教授。
近著に:〈近現代東亞思想史與「武士道」—傳統的發明與越境—〉《台灣社會研究季刊》第85期,2011年。〈「武國」的儒學—「文」在江戸前期的形象變化與其出版、研究—」 《漢學研究》第30巻第1期,2012年。〈面向海洋,成為西洋—「海國」想像與日本的亞洲論述—〉,《文化研究》第14期,2012年。
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2013年6月12日配信