SGRAイベントの報告

エッセイ360:朴 炫貞「第2回SGRAカフェ報告:まずは知ることが大事な、福島飯舘村からのメッセージ」

未曾有の東日本大震災から1年9ヶ月が経ちました。時の流れは早く、世間から311のことはもう忘れられているかのようにも見える今も、福島の問題は続いており、そこには奮闘している人々がいます。2回目を迎えたSGRAカフェは、『福島をもっと知ろう』というタイトルで、飯舘村の菅野宗夫さんをお招きし、飯舘村の話を直接聞いて福島の問題を考える<場>として企画され、12月6日に東京九段下の寺島文庫ミネルヴァの森で開催されました。

 

カフェでは、まず、10月に「飯舘村スタディツアー」に参加したシムさんをはじめとする参加者の話を聞きました。映像や話には、スタディツアーで飯舘村を訪ねた時に見た「現実」があり、実際に行かなかった人々にとっても心を打つ「何か」がありました。そこに人が居ることを忘れずに、直接その人たちと話して知ろうとする心が大切だという参加者の話によって、マスコミからの福島情報とはまた違う一面を知ることができました。

 

飯舘村スタディツアー報告の後、3階の講義室に移って菅野さんの話を聞きました。飯舘村は、東京のJR山手線の内側の3.5倍の面積があり、その内の75%が山という、緑の豊かな土地です。事故前の飯舘村は日本で最も美しい村のひとつに選ばれるほど自然環境に恵まれ、自然を土台にしながら、人間対人間の見つめ合いや対話、ふれあいを大事にする村でした。

 

しかし、大事にしていた自然との生活は、母なる地球の運動である地震や津波ではなく、それに続く原発事故という人災によって奪われてしまいました。原発から遠く、原発から何の利益も受けず、原発の影響など考えもしなかった飯舘村は、今では高い放射線量が測定され、計画的避難区域に指定されており、昼間は入ることができますが、泊まることは許されません。

 

震災の翌日の3月12日、原発に隣接する浪江町や南相馬市から1500人もの人たちが避難してきたので、何が何だかよく分からないまま、村中総出でお手伝いをしました。ヘリや車の往来が激しく、国道周辺に白い作業服がポイ捨てされている異常な様子がみられ、ものすごく恐ろしいことが起こっているという噂が広がったといいます。安全に対する無責任な発言が飛び交う中、3月18日から自主避難がはじまり、3月30日には「飯舘村は放射性ヨウ素131が避難基準の2倍」というIAEA(国際原子力機関)の発表がありました。それでも「人体には影響がない」という説明がされたりしていましたが、4月22日になって突然、公式に避難区域に指定されました。データに基づいて人間の健康を第一にしないといけないのに、早めの対応がなかったことは非常に残念に思っている点です。避難したといっても、生活の基盤になっていた畑や家畜は避難できない状態であり、まるで人生を奪われたようなものでした。

 

原発問題の最も恐ろしいことは、気持ちが一つになれないことだと菅野さんはいいます。福島においても溢れる情報の中、どの情報を信じればよいか判断するのが非常に難しいので、同じ村の中でも、様々な意見がでてきてしまうのです。その上、福島というだけで物が売れず、差別まで受ける状況は、問題の解決を遅らせる大きな要因になっています。

このような深刻な状況にも関わらず、今の飯舘村では「自分の村は自分たちで見守りたい」と、夜は無人になってしまう村の治安を自ら守る活動や、生き甲斐のために避難先でも農業を始めるなど、自分のところでできる努力をしているそうです。

 

今回のカフェには、40人を超える参加者がありました。特に日本大学、日本女子大学や専修大学からの20代前半の学生が多く参加したことが特徴で、活発な質疑応答も行われました。「これからの要望」、「福島を忘れないための試み」、「福島の人々におけるきれいなキャッチコピーに対する印象」、「選挙に対する考え」、「環境に対する意識」など、様々な側面からの質問や意見が出ました。このような質問に対して、菅野さんや「ふくしま再生の会」の田尾さんは、今日のような話し合いの場があることがとても大事であり、元気な姿で復興に取り組むのが表面だけにならないように、まずは現場を知ってから考えてほしいと話しました。2時間におよぶの熱い話において、菅野さんは最も大事なこととしてチャレンジ精神を強調しました。そして、「忘れ去られることとの戦い」に言及し、現場の声を聞かないと分からないようなことに接する努力をしてほしいと語りました。

 

「豊かな暮らし」というものは、環境や文化、人々の価値観よって違うでしょうが、飯舘村は自然との豊かな暮らしが美しく調和されていた村という印象を受けました。いつ元の生活に戻れるのか分かりません。戻れないかもしれません。しかし、時は過ぎていきますが、今も飯舘村の問題、福島の問題は進行中です。今私たちにできることは、福島を忘れることなく、常に意識をおいて知ろうとすることからはじめ、皆で考えることから変化の風が起こると考えます。菅野さんは「皆との出会いが幸せだ」と何回も言いました。 菅野さんに出会えたことを私たちも幸せに感じられたのは、今でも元気で前向きに人々との出会いを大事にする菅野さんのエネルギーに刺激を受けたからではないでしょうか。人とのふれあいを大事にし、豊かな自然と暮らした飯舘村の美しさを忘れないことが、まず私たちにできることであると、しみじみと感じました。

 

尹飛龍さんが撮影した当日の写真

 

飯館村スタディツアー報告

 

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<朴炫貞(パク・ヒョンジョン)☆PARK Hyunjung>
韓国芸術総合大学芸術士、武蔵野美術大学修士。映像作品制作とともに映像を用いたワークショップ・展示を企画・実施している。
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2012年12月20日配信