SGRAイベントの報告

国際シンポジウム『世界史のなかのノモンハン事件(ハルハ河会戦)』報告(その1)

ノモンハン事件(ハルハ河会戦)70周年を記念して、2009年7月3、4日の2日間、モンゴル国家文書管理総局、関口グローバル研究会(SGRA)、モンゴル科学アカデミー歴史研究所が共催、在モンゴル日本大使館、アメリカ大使館、ロシア大使館が後援、東京外国語大学、モンゴル国立大学歴史研究院、モンゴル国防省国防科学研究所軍事史研究センター、モンゴル科学アカデミー国際研究所、モンゴル・日本人材開発センターが協力、日本国際交流基金、霞山会、渥美国際交流奨学財団、守屋留学生交流協会、アメリカのアラタニ財団、韓国の未来人力研究院、及びモンゴル国のモンゴル・テレコム(Telecom Mongolia)、ロシア財団NGO(Russian Foundation NGO)、モンゴル・アーカイブズと歴史研究者連合会“On tsag”(“On tsag” association of Mongolian Archivists and Historians)、“Tsom” Consultingの協賛で、国際シンポジウム「世界史のなかのノモンハン事件(ハルハ河会戦)――過去を知り、未来を語る――」が、モンゴル国首都ウランバートルで開催された。

7月3日、のどかで、あたたかい日だった。午前9時、モンゴル・日本センターの多目的室で盛大な開会式をおこない、モンゴル国会議員、法務内務大臣 Ts. ニャムドルジ(Ts. Nyamdorj)氏、モンゴル科学アカデミー総裁 B. チャドラー(B. Chadraa)氏、関口グローバル研究会代表今西淳子氏が挨拶と祝辞を述べた。Ts. ニャムドルジ大臣の挨拶では、戦略的な視点から、ハルハ河戦争を評価し、研究者たちと率直に話しあって、今後の世界平和と国際的な相互理解を促進したいという意を伝えた。英語で挨拶した今西さんは、同シンポジウム実現までの経緯、ウルズィーバータル局長との付き合い、田中克彦先生、ゴールドマンさんとの出会いなどを簡潔に述べ、参加者に感謝しながら、この戦争をめぐる研究の更なる発展を展望した。続いて、モンゴル科学アカデミー歴史研究所長 Ch. ダシダワー教授、ロシア連邦科学アカデミー会員、シベリア支部ブリヤート支局長 B. V. バザロフ(B. V. Bazarov)教授、一橋大学田中克彦名誉教授、そして、アメリカのユーラシア・東ヨーロッパ評議会の S. D. ゴールドマン(Stuart D. Goldman)博士が基調報告をおこなった。在モンゴル日本大使 城所卓雄閣下、ロシア公使、アメリカ大使館の代表が開会式に出席し、在モンゴルアメリカ大使 M. C. ミントン(Mark C. Minton)閣下も途中から参加した。休憩の忙しいひと時を裂いて、今西さんがミントン大使に挨拶し、私も大使に紹介され、一緒に記念写真をとった。ミントン大使は穏やかで、とてもやさしいという印象だった。日本語が流暢で、びっくりした。たずねてみたら、在日本アメリカ大使館で長年勤務したことがあったのだ。
 
昼には、参加者たちがモンゴルの国会議事堂の前で記念写真を撮ってから、アルタイというバイキングの焼肉店で食事をした。
 
午後は、東京外国語大学 二木博史教授、岡田和行教授、愛知大学法学部ジョン・ハミルトン(John Hamilton)教授、内モンゴル大学 チョイラルジャブ(Choiraljav)教授、モンゴル国外務省 Ts. バトバヤル(Ts. Batbayar)局長、モンゴル科学アカデミー会員、国立大学 J. ボルドバータル(J. Boldbaatar)教授、文化芸術大学学長 D. ツェデブ(D. Tsedev)教授、国防科学研究所長 B. シャグダル(B. Shagdar)少将、文書総局 ウルズィーバータル局長、ロシア連邦科学アカデミー極東研究所長 S. G. ルジャニン(S. G. Luzyanin)教授等10人がそれぞれの分野を代表して、大会報告をおこなった。
 
夕方、モンゴル国大統領官邸のイフ=テンゲル(Ih Tenger)迎賓館で歓迎宴会をおこなった。ちょうど雨が降り始めて、今西さんが、昨年のシンポジウムの招待宴会での挨拶の続きとして、たくみに雨を話題に祝辞を述べて、参加者からの拍手喝采を受けた。ウルズィーバータル局長が「今年はもう雨が降らないでしょう。明後日、草原に行くとき、必ず晴れたいい天気になる」と自信満々で返事をした。宴会中、モンゴルの伝統の歌や馬頭琴の演奏が披露された。在モンゴル日本大使館 藁谷栄参事官が招待に応じて出席し、今後のSGRAのモンゴルプロジェクトについて、いろいろ助言してくださった。
 
翌日の7月4日午前、モンゴル・日本センターの多目的室、ゼミナー室1・2で、「ノモンハン事件(ハルハ河会戦)の真実: 多元的記憶と多国間アーカイブズの比較の視点から」「ノモンハン事件に対する理解の国際比較と現状」「ノモンハン事件に関する報道、文学、映画、音楽、美術」の三つの分科会をおこなった。シャグダル(B. Shagdar)少将、二木博史教授、ツェデブ学長、ルジャニン所長、ボラグ教授等が各分科会の議長をつとめた。
 
夕方、在モンゴル日本大使館公邸で、日本大使館とSGRA共同で招待宴会をおこなった。各国の研究者60名あまりが集まって、城所卓雄大使が英語で挨拶を述べた。研究者たちが乾杯しながら歓談し、意見交換をした。城所大使はやさしく、参加者の要求めに応じて、それぞれと記念写真を撮った。これまで、モンゴル国で、世界モンゴル学会など国際シンポジウムをおこなった際、日本大使館は日本の研究者を招待したことがあるが、各国の研究者を一緒に招待したのは、今回がはじめてだったそうで、たいへん有意義なことだと、日本の研究者だけではなく、海外の参加者からも好評だった。
 
シンポジウムはモンゴル語、英語、日本語、ロシア語の同時通訳がつき、効果的だった。2日間の会議中、モンゴル、日本、アメリカ、ロシア、イギリス、中国、韓国などの研究者が40本の論文(共同発表もふくむ)を発表し、ウランバートルにある各大学、研究機関の研究者、台湾国立政治大学民族学部藍美華教授、東京大学、東京外国語大学の研究者、留学生、中国社会科学院の訪問学者など180人ほどが参加した。会議の影響は大きく、モンゴルのモンツァメ国営通信社、『Udrin sonin(日報)』、UBSなど10数社が報道した。シンポジウムの発表の詳細については、別稿にゆずりたい。
 
これまで、ノモンハン戦争について、日本、モンゴル、ロシアが数回シンポジウムをおこなってきたが、いずれも各国各自の主催であった。ノモンハン事件をテーマに、日本とモンゴル国の諸団体が共同主催し、同事件に関わった国の研究者だけでなく、世界各国の研究者が集まって、国際学術シンポジウムを開催したことは、今回が初めてであった。田中克彦先生の言葉を借りると、「ノモンハンが軍事にとどまらず、多面的な文脈の中で明らかにされること」が、今回のシンポジウムのもっとも重要なところであった(田中克彦「ノモンハン戦争とは何だったのか、奪われた民族統合の夢」『朝日新聞』、2009年6月25日夕刊)。

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<ボルジギン・フスレ☆ Husel Borjigin>
博士(学術)、東京大学大学院総合文化研究科日本学術振興会外国人特別研究員。1989年北京大学哲学部哲学科卒業。内モンゴル芸術大学講師をへて、1998年来日。2006年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士号取得。今西淳子、Ulziibaatar Demberelと共著『北東アジアの新しい秩序を探る:国際シンポジウム“アーカイブズ・歴史・文学・メディアからみたグローバル化のなかの世界秩序――北東アジア社会を中心に――“論文集』(風響社、2009年)。
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準備段階から、シンポジウム後のチョイバルサン旅行記までを含んだ12ページの報告書

★モンゴルシンポジウムとその前後の旅行の写真

  フスレ撮影         石井撮影

★SGRAかわらばんで報告していただいた関連エッセイは下記よりご覧ください。

■ ボルジギン・フスレ「ハルハ河戦争(ノモンハン事件)は、モンゴルと日本の矛盾によっておこったのではなかった」

その1      その2

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2009年9月30日配信