日韓アジア未来フォーラム

第12回日韓アジア未来フォーラム「アジア太平洋時代における東アジア新秩序の模索」報告

2013年1月26日(土)、オーストラリアの首都キャンベラ市にあるオーストラリア国立大学のへドリー・ブル(Hedley Bull、1932-1985、国際関係論における英国学派の中心人物)ホールで第12回日韓アジア未来フォーラムが開催された。今回は「アジア太平洋時代における東アジア新秩序の模索」というテーマで行われたが、新たな試みとして、既存のアプローチでは排除されがちな「アジア太平洋の視点」を取り入れながら、東アジアの平和と繁栄、そして新しい秩序について考えてみることにした。とりわけ、歴史問題、領土問題、複合的な経済的相互依存、盛んな人の移動が織り成す複雑な東アジア地域協力の現状を中心に意見を交わした。

 

特筆すべくは、今回はオーストラリア国立大学日本研究所の共催を得たことである。初めてイギリス人がオーストラリアの地にはいったことを記念するオーストラリアデーの祝日にもかかわらず、テッサ先生とサイモン先生がパネル討論の司会を引き受けてくださり、幅広い視座から議論することができた。

 

オーストラリアは日中韓3国の主要貿易相手国であるだけでなく、地理的にも東南アジアに近く、経済的な結びつきも強い国であり、日韓アジア未来フォーラムの新たな試みにぴったりな国である。日中韓でみられる文化的な類似性というようなものはあまりみつからなかったものの、「地政経学的」にみた場合、これから東アジアの新秩序を考えるうえでは欠かせない存在であることは疑問の余地がないように思われる。

 

フォーラムでは、今西淳子(いまにし・じゅんこ)SGRA代表による開会の挨拶とオーストラリア国立大学のテッサ・モーリス教授の歓迎の挨拶に続き、6人の研究者による研究報告が行われた。第一セッションで、名古屋大学大学院経済学研究科の平川均(ひらかわ・ひとし)教授は、東アジアの経済成長とその課題について、その発展メカニズムと、ASEANに注目した地域協力制度という、2つの観点から報告を行った。慶応大学総合政策学部の加茂具樹(かも・ともき)准教授は、中国の台頭が東アジアの国際関係にどのような影響を与えるのかについて、胡錦濤政権期の対外政策決定の構造を観察することを通じて展望した。仁荷大学の金雄煕(キム・ウンヒ)は、経済協力を推進する最も効率的な手段である FTAネットワークの実証分析を通じ、日中両国の競争関係や東アジア地域協力戦略の相違を浮き彫りにした。

 

お昼を挟んで第二セッションが行われた。東京大学の木宮正史(きみや・ただし)教授は「日韓関係の構造変容、その過渡期としての現状、そして解法の模索 」について、国民大学国際学部李元徳(リ・ウォンドク)教授は「米中両強構図における韓日関係の将来」についてそれぞれ説明し、構造変容期における摩擦の管理を行うメカニズムをどのように構築していくのかについて、二方共に長年の主張を展開した。最後の発表者として中京大学国際教養学部の金敬黙(キム・キョンムク)准教授は「東アジア新秩序 と市民社会」について脱北者の脱南化現象を中心に自分の活動を踏まえた生々しい報告を行った。

 

27日(日)は、メルボルン在住の李済宇さん(2004年渥美奨学生)の案内で市内ツアーを楽しむことができた。とくに戦争記念館では、第1次世界大戦以降、イギリス側に立ち、ほぼすべての戦争に参加したオーストラリアの戦争史や国としての「自分探し」を目にすることができた。「すべて」というところに驚きを禁じ得なかったが、オーストラリアの「悩み」の一断面を垣間見るいい機会であった。戦争記念館を後にして、キャンベラ近郊のワインセラーを何軒もまわったが、そのほろ酔い気分は当分忘れられないだろう。

 

「アジア太平洋時代」における東アジア新秩序の模索をよりバランスよく行っていくためには、オーストラリアにとどまらず、半径を広げ、インドの重要性を認識し、その視点を取り入れなければならない。次回のフォーラムの準備に当たっては、そのような点を念頭におきつつ、着実に進めていきたい。日韓アジア未来フォーラムが韓国側の都合によりガバナンスに多少の問題が生じたにもかかわらず、第12回フォーラムが成功裏に終わるよう支援を惜しまなかった今西SGRA代表に感謝の意を表したい。

 

(文責:金雄熙)

 

補足:嵐の中の懇親会

 

1月26日のフォーラムの後に、キャンベラ郊外の小さなホテルのプールサイドで開催した懇親会は印象的でした。

 

「雨が降ったら雨漏りするかもしれませんよ」というホテルの警告にも関わらず、プールサイドの東屋で決行。約束通り、途中から滝のような大雨になり、雨漏り以上に天井から大量の水が落ちてきたが、その部分のテーブルを移動してディナーは継続。ただ、夏の夕立に慣れている(最近はゲリラ豪雨もありますし)日本人としては、雨自体はそれほど驚かず、乾ききったオーストラリアの大地への恵みの雨となってよかったと思っていました。むしろ、びっくりしたのは、その後のテレビのニュースでずっと特報していた、東オーストラリア中に洪水が起きて、土砂に埋もれた村もあったということでした。日本へ帰る飛行機の中から、そのような村を眺めました。機長がわざわざアナウンスしてくれましたので。

 

懇親会でびっくりしたのは、実は、雨ではなく、食事の量でした。ステーキの定食と聞いていたのですが、大きなお皿に、でっかいソーセージが2本、ハムステーキが2枚、エビ、ポテトなどが、文字通り山盛り。しかも、急に人数が減ったためか、ソーセージやハムが山盛りのサイドディッシュ。さらに、大盛りのサラダ2種。デザートに至っては、50人くらいのパーティーができそうなメレンゲのケーキ!隣のテーブルの家族に3/4を差し上げたところ大変喜んでいただき、お互いにハピーでした。雷雨の中で「これがオーストラリアだ!」と、しみじみと感じました。ステーキ定食なのにハムステーキがでてきたのは、オーストラリア在住の李さんによれば「中国人観光客のグループと間違えられたんじゃないか」ということですが、この意味深長な分析が内包するニュアンスは「東アジア共同体」の構築にどのような影響を及ぼすのでしょうか。いずれにせよ、私たちは、李さんが既に帰宅したマネージャーに電話でクレームすることによって、牛肉のステーキを食べることができました。しかしながら、やはりこのビーフでは満足できなかった私たちは、翌日、キャンベラ市内のステーキハウスに出かけ、牛肉とカンガルー肉を食べたのでした。

 

カンガルーといえば、あの小さなホテルの庭で野生の?カンガルーの家族を見ることができました。これは翌日観光したメルボルンではできないことで、キャンベラに行ってよかったです。

 

(文責:今西淳子)

 

フォーラムおよびツアーの写真

 

金雄熙撮影  

李済宇撮影

 

 

2013年2月13日配信