ラークン会 in 上海 2012



中国の伝統的なお祭である春節の直後、2012年2月11日(土)に、2013年3月に上海で開催する第一回アジア未来会議の打ち合わせを兼ねて、上海市のレストラン『寧国府』でラークン会in上海が開かれました。参加者は、渥美財団の今西さん、上海で働いている王岳鵬さん(1997狸)、範建亭さん(2001狸)、香港からの飛び入り参加の候延昆さん(1999狸)、林少陽さん(2003狸)、東京から帰省中の彭浩さん(2011狸)と筆者(趙長祥2005狸)6名のラークン、復旦大学日本研究センターの胡令遠教授、徐静波教授の計9名でした。

レストラン『寧国府』は上海財経大学豪生大酒店の近くに位置しています。特定の料理ではなく、むしろ中国の様々な料理のミックスであり、普通の味覚でした。食事会の個室は大きくはないけれど、非常にリラックスした雰囲気でした。

それぞれ、はじめてお会いする方が多いのにもかかわらず、同じラークン会のメンバーであるということで、ビールの乾杯が飛び交うにつれて、様々な話題が花開き、歓談が弾んで料理の進行が遅れがちでした。まず、王岳鵬さん(1997狸)は東大の医学博士号を取得してから、ハーバード大学のフェローを経験し、ボストンで9年間の働いた後、上海交通大学新華病院の心血管科へ赴任しました。現在、奥さんとお子さんはボストンに住んでいます。お子さんが大学に入学してから奥さんは正式に上海へ戻ってくるという状況だそうです。UBS(香港)に務めている候延昆さん(1999狸)はUBS中国の投資銀行部門の2011年の状況を紹介しました。

それから、今西さんの日程をお伺いしたところ、とてもハードなスケジュールで、食事会の翌日に香港、明後日に子供のキャンプの打ち合わせで広州を経てから日本へお帰りということでした。子供のキャンプの話から教育の話題につながっていきました。今西さんは、ご自身の経験から、アジア各国の異なった教育習慣から子供のキャンプの調整が極めて難しいことを説明しました。欧米諸国よりアジアでは多様性に富んでいることが明らかでした。そして、子供の教育から大学教育の話題へ自然に換わっていました。東京大学が春入学から秋へ移行するという話から、アジアの多くの国と欧米諸国は殆ど秋入学であるのと異なり、日本だけが春入学というのは、日本企業の雇用体系がおかしいのではないかとの指摘がありました。一方、それがアジアの多様性を証明しているのではないかという意見もでました。さらに、教育の話題から日本の歴史に移り、林さんは自分の研究を説明し、なぜ明治時代の日本が大きく発展したのかという意見を聞かせてもらいました。

こっち半分で教育の話をしているころ、あっち半分はいつの間にか日本のヤクザとスナックという話題で話が弾んでいました。特に、範さんが日本滞在の最初の5年間にスナックでアルバイトをしていた経験を話していました。なんと範さんはお兄さんの在日ヤクザの知り合いを通じて、日本留学をしたそうです。5年間のアルバイトの経験で様々な人と出会ったことや、様々な日本社会の裏話を聞かせてもらいました。最後は、ヤクザはこわいという結論でした。

さまざまな話をしているうちに、夜の10時近くになり、今西さんは2013年の会議のポスターと中文版SGRAのパンフレットを配ってから、食事会はホットな雰囲気で終了しました。

その後、今西、範、林、彭と筆者の5名は、上海財経大学豪生大酒店のロビーへ移動して、少し打ち合わせしました。主に、今西、範、趙の3名が2013年の会議における社会科学シンポジウムの基調講演の人選、論文概要の期限延期、同時通訳の問題などについては話し合いました。

(文責:趙長祥)