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  • ラクーン会 in 名古屋

    2007年12月8日(土)のお昼、名古屋の駅前の「柔らかひつまぶし 割烹 うな善」で、ラクーン会が開催されました。参加者は、渥美伊都子理事長、今西常務理事、名古屋大学の胡潔さん(1998狸)、梁興国さん(2001狸)と奥さんとお嬢さん、名古屋市立大学のランジャナさん(2002狸)と、広州でもお会いした日豊興業の胡炳群さん(2002狸)と奥さんの9名でした。久しぶりにお会いした方の近況や、最近の名古屋の様子や、中国に進出するトヨタの話で盛り上がりました。皆さんそれぞれ名古屋で活躍されている様子を伺い、嬉しく思いました。

  • ラクーン会 in 広州

    2007年11月25日(日)、胡炳群さん(2002狸)の案内で、広州トヨタの工場のある南沙へ行き、胡さんが勤める日豊興業(広州)商貿有限公司の工場と事務所を見学しました。参加したのは、奇錦峰さん(2001狸)、叶盛さん(2004狸)、そして広州訪問中の今西常務理事でした。胡さんの会社は、トヨタの工場の生産ラインの設計やメインテナンスをする会社で、工場と事務所を見せてくださいました。トヨタの工場の前で記念撮影をしたら、警備員に注意されたのでびっくりしました。胡さんは名古屋と広州と天津を飛び回っているそうです。南沙では3つの島のひとつがほとんどトヨタとその下請企業の工場のために使われる計画のようですが、片側4車線くらいの広い道路にはまだ車の数が少なく、人が突然車道を歩いているのはまだしも、自動車まで赤信号を無視するのにはびっくりしました。トヨタは既に「もとがとれた」ほど車が売れていて、第二工場の建設も始まっているということです。

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  • 渥美財団2008年新年会

    2008年1月12日(土)12時から午後4時半まで、渥美国際交流奨学財団新年会が開催され、奨学生とラクーン会員及び家族40人が、同財団ホールに集まりました。参加者は皆、おせち料理やおもち、焼き鳥、小籠包などおいしい料理によって、寒い雨の中でも家族の暖かさを深く感じました。中国からの五糧液酒(アルコール度数は52度)はとても珍しいもので、独特な香りが出て、飲まない人もその香りを楽しむことができま した。

    おせち料理と理事長の挨拶の後には、特別なプログラムが用意されていました。それは有名な馬頭琴演奏家のチ・ブルグッドさんと西郷美炎子さん夫妻、そしてピアノ演奏家、則岡徹さんたちのすばらしい馬頭琴演奏でした。馬頭琴演奏を見たのは生まれて初めてだったので、本当に感動しました。特に、今年の北京オリンピック開幕式にも演奏されるチ・ブルグッドさんが作曲した『東の空』という曲はとても魅力的でした。もし機会があれば、もう一度聞きたい気持ちです。

    参加者全員の紹介以後、例年のビンゴのゲームが開かれました。今年は第一期奨学生の王立彬さんの息子シンさん(慶應義塾大学経済学科2年生)が担当しました。参加者全員が熱心にビンゴを完成していったのに、今年度の奨学生スラバさんだけがビンゴにならなかったのですが、最後まで頑張って賞品をもらうことになりました。ビンゴを完成して喜んでいる子供たちの顔が本当にかわいかったです。来年は僕も子供を連れて参加しようと思いました。

    今年の1月25日には、渥美理事長が80歳のお誕生日(傘寿)を迎えることになりました。突然なお知らせでしたが、全振煥さん(2001狸)がリーダーシップを発揮して、李済宇さんと梁明玉さん(ともに2004狸)が協力して準備したバースデーケーキとお祝いの花束を、参加者全員の心を込めて理事長に差し上げました。そしてお祝いのシャンパンとともに、日本語、英語、中国語、韓国語、台湾語、ウイグル語、ロシア語、スペイン語で誕生日のお祝いの歌を歌いながら、みんなのお母さんである理事長のご健勝とさらなるご活躍を心からお祈りしました。

    文責:李成日

    谷原さんが写した写真は下記URLからご覧ください。

    http://www.aisf.or.jp/photos/index.php?spgmGal=AISF_New_Year_2008

  • 2008年度渥美奨学生が決定しました!


    氏名 国籍 大学 専門分野
    1 馮 凱 中国 東京大学 機械工学
    2 洪 ユン伸 韓国 早稲田大学 国際関係学
    3 カウチ、フローニ フリデリケ ドイツ/スイス 東京芸術大学 文化財保存学
    4 李 儲安 台湾 東京大学 精密機械工学
    5 ハムスレン、ハグワスレン モンゴル 早稲田大学 国際関係学
    6 ネメフ、ジャルガル 中国(内モンゴル) 亜細亜大学 経済学
    7 プアン、キムチャイヤラシー カンボジア 宇都宮大学 物性工学
    8 宋 剛 中国 桜美林大学 地域文化
    9 ヴェルノ、ヘリ リース エストニア 学習院大学 哲学
    10 修 震 中国 東京工業大学 機械制御システム
    11 陸 載和 韓国 武蔵野美術大学 造形芸術
    12 張 建 中国 東京大学 教育学

  • 渥美奨学生の集い2007

    2007年度の「渥美奨学生の集い」は、11月2日(金)午後6時より、渥美財団ホールで開催されました。今年の特色は、本年度奨学生、元奨学生、財団役員に加えて、鹿島建設の関係者や鹿島家の親戚の方々も参加したことでしょう。というのも、今年は、渥美財団の選考委員で名古屋大学教授の平川均先生が「鹿島守之助とパン・アジア主義」というテーマのご研究の成果を発表してくださったからです。ご講演の後、渥美奨学生との活発な質疑応答があり、議論はそのまま懇親会に至り、参加者全員にとって、非常に有意義で楽しい集いとなりました。

    渥美伊都子理事長の父、鹿島守之助博士は、戦後、鹿島建設を世界一の規模の会社に発展させた昭和期を代表する卓越した実業家として知られていますが、同時に外交史研究者あり、政治家でもありました。研究者として多数の出版物を残し、日本の外交研究とそれに関する活動にも多大な貢献を果しましたが、守之助が外交官としてドイツに赴任し、パン・ヨーロッパ思想を提唱していたクーデンホーフ・カレルギー博士に出会った1920年代後半以降、生涯を通じて、独特なアジア主義者として「アジア連盟」あるいは「アジア共同体」の理想を追求した人物であったことはあまり知られていなかもしれません。守之助が1973年に、生家・永富家の一角に「わが最大の希願は、いつの日にか パン・アジアの実現を見ることである」と刻んだ碑を建立していたことを知れば、意外に思う人がほとんどでしょう。平川先生は、守之助の国際政治や外交に関する膨大な著作や政治活動の軌跡を辿り、彼のアジア主義はどのような思想であり、その思想に駆り立てたものは何か、彼の思想が「大東亜共栄圏」によって象徴される日本のアジア侵略の試練とどう関り、その試練をどう潜り抜けてきたか、彼の構想が戦後むしろ省みられないできたのは何故かなどを、パワーポイントを使いながらわかりやすく説明してくださいました。そして、東アジア共同体への関心が21世紀に入って急速に高まっている現在、鹿島守之助のパン・アジア論をもう一度正しく評価すべきではないかと結論づけられました。

    質疑応答では、今年度奨学生からの「当時のロシアはそのように脅威を感じる必要はなかったのではないか」「日本の知識人が戦争をどう乗り越え、戦後どのように対応していったかは大きな課題なのではないか」「インドを含む旧植民地の独立戦争支援ではなかったが、関心はあったのではないか」「鹿島氏は最晩年になってアジア太平洋共同体からパン・アジアへ戻ったが、その考え方は現在反映されていると思うか」などの質問に対して、平川先生は丁寧にお答えくださいました。

    後半の懇親会では、参加者全員が美味しい中華料理を楽しみ、歓談と交流の宴は例年より遅く午後10時ころまで続きました。

    文責:今西淳子

    当日の写真は次のURLからご覧いただけます。

    http://www.aisf.or.jp/photos/

  • 韓国ラクーン会 in ソウル

    2007年10月21日(日)の夕方、ソウルでラクーン会が開かれ、メンバーが久々に集まりました。場所は、グランド・インターコンチネンタルホテルの近くにある、こぢんまりとした韓国料理の店でした。この日は今西常務理事が参加できなかったため、あいにく我々だけでの集いになってしまいました。

    一人ずつ近況を報告することはなかったのですが、皆さんそれぞれ慌しい日々を過ごしているように見受けられました。食事がある程度進むと、誰となく留学の思い出話をしはじめ、それぞれ留学していたころの日本について語りました。その中でも面白かったのは約二十年前の日本における米不足の話でした。つい最近留学を終えて戻ってきた玄さんをはじめ、後輩たちには興味津々でした。最後に、家族づれで集まろうという提案があり、それについて話あいました。まだ具体化されてはないのですが、実現しようという声が高まりました。

    今西常務理事にお会いできなかったのは、とても残念でしたが、集まったメンバーは久しぶりに顔を合わせることができ、楽しいひと時を過ごしました。

    参加者:李來賛(奥様、お嬢様)、南基正(お嬢様)、高熙卓、鄭在皓、朴栄濬、金賢旭、玄 承洙

    文責:金賢旭

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    韓国ラクーン会の皆様

    10月21日にソウルで開催された韓国ラクーン会をドタキャンしてしまい、大変失礼しました。忘れ物をしたので家にとりに戻ったことが飛行機に乗り遅れた第一の原因ですが、羽田の国際線は上海便も加わり大変混雑していて国内線ターミナルの駐車場に行かなければならなかったこと、激安チケットは無駄にして次の便にとびのろうと思ったけどどの便も満席で乗れなかったこと、なども理由です。東京⇔ソウル⇔上海の人の移動はものすごい!韓国ラクーン会に参加できず、私も本当にがっかりしました。せっかく集まってくださった皆様、ごめんなさい。

    結局、月曜日も羽田→キンポのJAL便は満席だったので、成田→仁川で行きました。ラクーン会は逃してしまいましたが、国民大学の日韓学生歌謡祭の審査員と、私のもうひとつのボランティア活動であるCISVの用事も無事に済み、水曜日に東京に戻りました。国民大学では、すっかり南さんにお世話になり、また日本学研究所の活発な発展の様子もかいま見せていただきました。

    皆さん、これに懲りず、来年の春にはまたソウルでラクーン会をしましょうね。

    今西淳子

     

  • 2008年度渥美奨学生募集状況

    2008年度渥美奨学生募集は2007年9月28日をもって締め切りました。今年 は、21ヶ国/地域、42大学からの、116名の方にご応募いただきました。今 後、予備書類選考・予備面接・選考会を経て12名の採択者が決定されます。選考結 果 は12月初旬に発表されます。 詳細は次の図をご覧ください。

    文責:今西淳子

    大学別応募状況

    国別応募状況

  • 軽井沢旅行に関する不完全な報告或は告白?

    私が今年の軽井沢旅行について報告するなんて、どう考えても申し訳ない気がする。あまりにも不完全すぎる気がする。まずその所以を告白しなければならない。私の軽井沢旅行は、7月20日からの日程を翌日に遅ればせでかけつけることではじまった。しかも、新幹線の軽井沢駅を乗り過ごし、長野の風景を眼にするという、またとない機会までつくって、財団の方々を心配させながら、だった。こんなわけで、私の旅行報告なんて、当然不完全すぎるに決まっている。なのに、こんな私に今度の旅行を語ることを許してくれた、今西さんをはじめみなさん、ありがとうございます!(これが二つ目の告白!)

    さてさて、長野駅から慌しくたどり着いた軽井沢は、東京の強烈な緑とは一段と違う神秘的な淡い緑色で染まっていた。駅からタクシーで5分ほどかかる研修センターは、まるで別世界。嶋津さんと谷原さんが笑顔で迎えてくれた。午前中の自由時間を過ごして、食堂に集まっていた同期たちは、軽井沢の空気にすっかり馴れきった顔で、前日の軽井沢巡りやオリエンテーションについて楽しげに話してくれた。その和やかな雰囲気に包まれ釜飯を食べながら、私も段々軽井沢に、そして今年度の渥美財団旅行に馴染んできた。

    ゆったりとした昼休みの後に、午後2時からは研修センター会議室で第28回SGRAフォーラム「いのちの尊厳と宗教の役割」が開催された。普段の生活で当たり前のように見過ごしてしまう「いのち」の問題を、さまざまな視点や身近な事例から問い直し、食後の眠気に襲われていた脳を強く刺激するものだった。研究領域や仕事の分野を全く異にする人々によって行われた、人間の生と死に迫る議論は、会場を活気付けた。

    この活気は夕食時間にもつづき、食堂は様々な声のリズムで快く満たされた。そのなか、嶋津さんの呼び声で出てみたところ、研修センターの前庭は、前日に雨のため出来なかった花火でお祭りのようだった。庭を駆け回る子供たちに、大声で笑う大人たち、そして飛び散る火花。ちなみに、私のお気に入りは「チョー地味な」線香花火で、人々と競って何回もそれを楽しんだ。

    花火の余韻を漂わせながら再開したパネル・ディスカッションは1時間半ほどで幕を閉じ、その後、再びロビーに流れ込んだ人々は、用意された冷たいビールを飲みながら、それぞれのテーブルを囲んで話しはじめた。軽井沢の夜は、いくつかの国境を何回も越えたかのような意気込んだ話し合いであっという間に過ぎてしまった。遠くから朝が訪れることに気付いて、部屋に戻り、眠れたかどうか。

    朝食に行く人々の足音に目覚め、急いで朝食を済ましてからは、・彩鳳さん、李垠庚さん、金?淑さんと一緒に軽井沢巡りに出かけた。研修センターの南側にある塩沢湖を散策しながら写真を撮ったりペイネ美術館の可愛らしさに騒いだりした後、一行は、20世紀美術のコレクションを誇るセゾン現代美術館に向った。立派な正門と彫刻庭園の奥に位置する美術館で、普段はなかなか見られない作品たちに出会い、随分興奮して展示室を駆け回った。そして、軽井沢旅行の3日目のイヴェントとなるバーベーキュー・パーティに期待を膨らませながら、理事長の別荘に足を運んだ。 軽井沢の淡くてきれいな緑に囲まれ、すでにバーベーキューは始まっていた。アブドシュクル・メジデさんのウィグル式バーベーキューとにんじんライスに、原嘉男さんのおでん、韓国人の先輩たちが用意した焼肉、そしてテーブルの上にずらりと並んだ各種のサラダとキムチ等等は、きっと皆を幸せにしてくれただろう。それにスイカ割りと井上ウィマラさんの素敵な歌。もちろん、最後は、谷原さんのカメラの前で記念撮影!だった。

    これが私のあまりにも不完全な旅行報告であるが、最後にもう一つ告白。こんなに楽しいとは思わなかった。また、多様な人々の世界に接し改めて自分をかえりみることができた、ダイナミックで充実な時間だった。理事長をはじめ渥美財団のみなさん、そしてこんなに貴重な旅行を一緒に楽しんだみなさんに、ありがとうございます!と申し上げたい。

    文責:朴昭R

    軽井沢の写真は、下記URLをご覧ください。5つのフォルダーがあります。

    http://www.aisf.or.jp/photos/

  • 2007年度奨学生、首都高速中央環状新宿線シールド工事現場を見学

    2007年7月3日、それは2007年度の渥美奨学生にとって忘れない一日となりました。渥美財団と鹿島建設のおかげで、一般の方が普段立ち入ることのできない大規模地下トンネル工事の首都高速中央環状新宿線の現場を見学することができたからです。都心の地下の高速道路を作るこのプロジェクトは東京都の交通および環境の改善に大きな意義がありますが、世界的最先端のシールドトンネル建設技術を使っています。

    午後2時、今西常務理事、嶋津事務局長はじめ、世界各地からの留学生は工事現場事務所に到着し、鹿島建設の方々から暖かい歓迎を受けました。今回参加した奨学生は世界から集まった留学生であり、普段は大学院博士課程で土木に限らず様々な分野を専攻しています。日常生活に係わっている道路や水道、電気などインフラの作り方は知りませんから、今回の見学に興味津々でした。鹿島建設工事事務所の森口所長からの説明は30分の予定でしたが、たくさんの質問によって大幅に延長されました。また、施工現場で使ったカッタービットやセグメント継手用のボルトを見たり触ったりすることができ、トンネルの現場を見る前に、留学生たちはもうすでにすっかり感心してしまいました。

    森口所長の説明によると、鹿島が担当している首都高速中央環状新宿線の工区は、初台立坑から2660m先の到達点松見坂到達立坑の区間です。今回の見学ルートは神山換気所から50m地下に下りて、渋谷の到達立坑まで約1kmの完成したトンネルです。この工区に使用したシールドマシンは外径約13m、重量約2500t、機長12.8m、マシンを前進させる総推力は約17万kN、土を削るカッターの回転トルクは約24000kNm。このマシンは先端技術―カッタービット交換装置を採用しています。土の掘削により磨耗したカッタービットや切羽状況に応じてカッタービットを、機内中央バルクヘッド部に設けたマンホールから作業員がカッターディスク内に入り交換作業を行うことができるのです。これにより約1600mの礫層区間を含む2660mを、中間立坑なしで掘進可能となり、工事のコストが削減できました。また日本初のエアバブル方式を採用しています。これはチャンバー内にエアー室を設け、エアーの吸排気調節によって切羽の水圧を制御でき、緊急圧がかかった場合もその圧を抑止する役目を持っているそうです。

    留学生からは、「どうやって穴を掘るか、掘った土はどうやって出すか」、「マシンはどうやって前に進めるか」、「どうやってトンネルを造ったか」など質問が次々出され、森口所長は皆が納得するまで丁寧に答えてくれました。「穴を掘るのはシールドというマシンを使う。外から送った泥水により先頭のカッターを付けた円盤(カッタヘッド)の安定性を図りながら、カッタヘッドが回わって土を削り、その掘削土が泥水状として、排泥ポンプと排泥管により外の処理設備へ運ばれる。処理した泥水をカッタチャンバーに再び運んで再利用する。1リングの長さの穴を掘ったら、セグメントをマシン中に組み立てトンネルの本体を造り、それをシールドマシンの前進の反力台となってジャッキによりシールドを前進させる。」最後には、質問から議論にかわり、東大のケさんが、シールドマシンの胴体は、深い地下の土水圧を耐えるために、今研究中の飛行機に使われるCFRP先端材料を使えばよいのではないかと提案しました。議論の末、結局はコストが高いので、残念ながら断念されました。

    午後3時半、いよいよ見学が始まり、皆ヘルメットをかぶって軍手をして、神山換気所に到着しました。そこから階段で、地下50mのトンネルに降りました。最初に感じたのは地下の涼しさと土の匂いでした。トンネル中でも、森口所長の説明を聞きながら、松見坂の立坑方向へ歩きました。留学生からの「セグメントはどうやって組み立たてるのか」という質問に対して、「セグメントを最初両側から下から上の順に組み立て、最後に楔状の系Kセグメントを使って、一リングのトンネルを完成させる」と丁寧に教えてくださいました。終点に到着したとき、見学者は、本物のシールドマシンの直径約15mのカッタヘッドの前で、驚き、感心の様子を隠せず、森口所長の解説を聞きながら、記念写真をたくさん撮りました。午後5時、現場見学が終わり、再び工事事務所に戻って、鹿島建設の皆さんに感謝しながら、工事現場事務所を後にしました。

    今回、地下道路トンネルの建設を勉強でき、日本のもの造り技術の素晴らしさを改めて感じることができました。留学生一同、この有意義な社会勉強の機会を提供してくださった鹿島建設と渥美財団に、深く感謝します。

    文責:王剣宏

    工事現場については、下記URLを参照ください。

    http://tokyo-tunnelix.jp/project/jv/03_2/outline.html

    見学会の後、奨学生たちは新宿京王デパートの屋上のビヤガーデンで、長い階段の昇降と、長い地下トンネルを歩いた体を休めました。話題は次第に「中国に今、民主主義は必要か」に移り、白熱した議論とともに中ジョッキの注文数も増したのでした。

    見学会、およびその後の懇親会の写真は、下記URLをごらんください。

    http://www.aisf.or.jp/photos/index.php?spgmGal=Underground_Expressway_Construction

  • ラクーン会 in アメリカ

    フィラデルフィア市にある日本伝統建築「松風荘」の保存修復の工事が終わり、千住博画伯の滝の襖絵が奉納されることになり、日本松風荘友の会の代表として奉納式に出席した今西淳子常務理事は、アメリカ東海岸で活躍する狸たちとラクーン会を開催しました。

    4月28日(土)午前11時、喬辛さん(96狸)と張紹敏さん(97狸)が、今西真帆が在籍するペンシルベニア大学まで来てくださり、アメリカの歴史を感じさせる獣医学科の建物を見学した後、フィラデルフィアで初めてのラクーン会が中華街のレストランで、開催されました。東工大で博士を取得した喬さんは、カナダに移住した後アメリカの大学に移り、現在は半導体関係の企業に勤めています。東大医学部で博士を取得した張さんは、エール大学でポスドク研究員として働いた後、今年からチョコレートで有名なハーシーのペンシルベニア州立大学付属病院に移りました(詳しくはSGRAかわらばんを参照してください)。

    張さんの車で、ニューヨークへ戻り(約2時間)、ちょっと行き違いがありましたが、午後8時から許暁原さん(98狸)ご夫妻と一緒に、Shun Lee Palaceでラクーン会 in ニューヨークを開催。数年前に開催したラクーン会もこのレストランでした。コロンビア大学ゲノム研究所に勤める許さんは、ご主人も同大学の研究員、お嬢さんは同大学経済学部を卒業するところで就職活動中。もうすっかりニューヨークに落ちついた様子です。

    4月30日(月)午後6時、ボストン空港に孫艶萍さん(98狸)がお友達のアルバート教授と一緒にお迎えに来てくれました。その後、ボストンの一番古い地区にある、今ボストンで評判のモロッコレストランで、ラクーン会 in ボストンを開催。王岳鵬さん(97狸)夫妻と2人の子供たちも含め、参加者は7名でした。孫さんは東大医学部に在籍中から行き来していたハーバード大学ブリッガム病院放射線科研究員で、現在は自分の研究室を任され、非常に忙しい毎日を送っているようです。タフツ大学付属のマサチューセッツ総合病院心臓病科研究員の王さんは、仕事の傍ら医師国家試験を受験し、これから研修医としての生活が始まるそうです。アメリカで医者の資格をとる決心をしたのは、タフツ大学の研究員を努める奥さんと、中学校1年生の息子さんの強い希望があったためとのこと。「この年になっての受験は本当に大変」とのことでした。

    最近は、日本語を使うことがあまりないアメリカへ渡った中国人ラクーンの皆さん、でもすぐに思い出してくださって、渥美財団の懐かしい話、競争の激しいアメリカでキャリアを追求する苦労話、子供の教育問題などで話がはずみました。皆さんが、グリーンカード(永住権)や市民権(国籍)を申請中でした。皆さん、またアメリカでお会いしましょう!

    そういえば、日本の大学院で博士号を取得した後、アメリカへ行くラクーン会員が減ったような気がします。アメリカでポスドクをした後日本の大学に就職した人も居ます。また、まだ実例はありませんが、中国へ戻ることも選択にはいってきたようで、日本留学後の進路はますます多様化しているようです。

    文責:今西淳子

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  • 第7回韓国ラクーン会(KSR)

    2007年4月21日(土)、夕方7時、ソウルの江南区にある焼肉のお店サリウォン(沙利院)で第7回韓国ラクーン会(KSR)が開かれました。毎回一つずつ学ぶことがあるのですが、この沙利院とは北朝鮮の地名で、光復後(終戦後)に黄海北道に出来た新生都市だそうです。ちなみに道庁所在地。店名の由来は未調査です。

    江南駅周辺は主にオフィス街なのですが、若者たちでごったがえす街でもあります。幸いこのお店は南にちょっとはずれた落ち着いた大人の雰囲気でしたといいたいところ、奥では(あまりにもうるさくて奥とは思えませんでしたが)日本からの若い子たちがどんちゃんさわぎをしていて……。

    前回は北朝鮮の核実験で大騒ぎの中でのラクーン会でしたが、今回はアメリカの銃乱射事件後の重苦しい雰囲気の中での会となりました。渥美財団常任理事の今西淳子さん、 李来賛さん(KSR会長、96狸)金雄熙さん(96狸) 南基正さん(96狸) 鄭成春さん(00狸) 李R瑛さん(01狸)金賢旭さん(KRS幹事、03狸)韓京子(KRS幹事補助、05狸)の8名が集まりました。(あ!2期の参加率、すごいです)

    会では、意外と既存のメーリングリストのデータではうまく連絡がつかないということがわかりました。メールを送っているはずなのに、相手に届いていなかったり、戻ってきたりということがあるようなので、一度すべて確認をとる必要がありそうです。

    また、会の後でしたが、食事だけで終わるというのも物足りないというお話もありました。わざわざ遠くから(?)いらっしゃる今西さんに何かお見せしなければいけないのかと思ったりもするのですが、難しいものです。

    今回の写真は、現在写真にはまっておられる金雄熙さんの作品です。どうぞ前回の写真と比べてみてください。趣味ということからいうと、わが会長イネチャン(李来賛)さんがゴルフにはまっていまして、ウェストが2インチもダウンしたらしいです。腰にくびれができてますます「いいねーちゃん」として磨きがかかっておられます。

    精神的にも身体的にも健康にすごしましょう!

    文責:韓京子

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