20世紀と21世紀の分水嶺に立って

中曽根康弘

 


5周年おめでとうございます。今のお話のように、1983年に、私が総理大臣でありましたときに、当時、日本に対する留学生が約1万1000人でございました。21世紀の初頭には10万人に増やそうという計画を持ちまして進めてまいりました。当時の予算が80億円であったのを、今は約500億円以上にいたしました。しかし残念ながら1995年ごろから頭打ちになりまして、現在、五万一千数百人という程度であります。まだ真ん中という程度であります。これから大いに馬力を入れて、留学生の皆さんが日本に来る、魅力のある大学、魅力のある居住環境、魅力のある日本にしていかなければならないと思っております。

 

 アメリカには45万人留学生がおるんですね。英国には19万人おります。フランスには15万人おります。そういう面から見ますと、アジアの日本がいかに貧弱であるかということを反省させられまして、総理大臣にもお願いして、大いにこれから馬力を入れて、環境を良くし、そして学問的水準を高めるように努力してまいりたいと思います。

 ここにおいでの皆さんは、大学院におられまして、非常に水準の高い勉強をなさっておりますが、水準の高さがこれからますます要求される時代で、日本全体の学問的水準も高めていかなければいけないし、英語をもっと流通するような、convenientな環境を作っていかなければいけないと、そう思っておるところであります。

 

 さて、今われわれは1999年、ちょうど2000年の直前の20世紀と21世紀の分水嶺に立っております。そこでこの分水嶺に立って、私が考えていることを皆さんに申し上げまして、大ざっぱに結論を申し上げます。細かい話をする時間はありませんから、問題提起という意味で、20世紀の分水嶺で何を政治家が考えているかという意味で、非常に大ざっぱな問題提起をいたしたいと思います。

 

 19世紀から20世紀の今日に至るまで、世界的な潮流になっていた思想や行動というものは、五つあると私は言っております。一つはindustrial-izationです。第2はdemocratizationです。第3番目がnationalismです。第4番目が最近、ぼっ興してきたregionalism、第5番目がまた最近、ぼっ興してまいりましたglobalism、こういう五つの考え方および行動で19世紀から20世紀にかけて歴史が流れてきたと思っております。

 

 industrializationの中では資本主義が非常に伸びてまいりまして、共産主義は崩壊いたしました。まあ一部には残っていますが、事実上、崩壊したようなものであります。しかしそのindustrialization、資本主義の中にもヘッジファンドみたいなものが出てまいりまして、世界の流れから見ると、共産主義というのは民主主義の鬼っ子であるが、資本主義も最近の様子を見ると、あれは民主主義の遊蕩児ではないかと、これは西部邁君が言っている言葉であります。

 

 そういうような様相も出てきて、特に南北問題というものがこれから顕著に出てまいると思います。今の世界的公害というものは、先進工業国が作ったのであって、これから発展しようとしているインドネシアやタイやエジプトの責任ではないと、お前たちが責任を背負えというのが京都会議の動向でございましたね。そういう意味でindustrializationというものの中にはプラスとマイナスがありますし、環境問題という大きな影がここに来ておるわけであります。

 

 第2番目のdemocratization、これは非常に前進してきております。特に1917年のボルシェブイキ革命から91年のソ連の崩壊、要するにマルキシズムが敗退したということであって、独裁制というものがヒットラーと共に消えていったと、そういう意味においてdemocratizationはかなり前進してきていると思うのであります。

 

 しかし途上国と先進国との間の思想的な相克というものは、人権問題、その他を通じて、今、来ておって、例えばコソボのような場合に、今まではあれは内政事項であって、あそこへ軍隊を入れるということは内政干渉で国際法違反であると、そう考えられておったものが、人権という大きな命題がある極点に達するというと、国際的な干渉を受けることはやむを得ない。国連憲章にある人権というものはそれほど大きな意味を持って登場してきたと言われている時代で、人権問題というものが、慣習法化して、内政事項をある意味においては侵してきていると、そういう新しい時代に入ってきていると思うのであります。

 

 第3番目のnationalism、これはもう一貫して脈々と脈打っておりまして、例えば印パ戦争のようなものも、あるいはこの間うちのコソボの問題も、ある意味におけるnationalismの問題であったと思うのであります。

 

 そしてさらに最近、出てきたのがregionalismでありまして、これはEU、あるいはさらに地域的なものが随分出てまいりました。EUの場合は経済統合が行われており、そういうものはNAFTA、アメリカ大陸、あるいは南ラテンアメリカにおいても、アフリカにおいても、そういうものがみんな出来ておるし、アジア太平洋においてはAPECというものが経済機構として出来ておる。これはregionalismでございますね。国連というものがある程度あるけれども、無力な面がある、それを補うものとしてregionというものが非常に出てきて、おそらく21世紀になるとregionの力はかなり強くなってきて、国連の分店とか支店みたいな形に、あるいは変貌していくかもしれないと見ておるのであります。

 

 そして最後はglobalizationで、特に金融面における電子マネーの大量の移動とか、あるいは情報面におけるインターネットの普及であるとか、そういう面において国境を越えた大きな活動が世界的に今やうねりを起こしつつある。そういう中にあってNGOの活動というものはまた顕著になってきておると思うのであります。しかしこのglobalizationも、やはりある限度がある。この限度を突破するについてはある意味において国連的な行動でさらに前進させる必要があるのではないかとも考えられておるのであります。

 

 そういうような流れで分水嶺に出て、21世紀というものを見ます。実は20世紀ぐらい人間の歴史で悲惨な世紀はないと、私、前から言っておるのであります。何しろ1億近い人間が虐殺されている。例えば2回の世界大戦とか、あるいは民族独立運動であるとか、スターリンや毛沢東の粛正であるとか、アウシュビッツであるとか、そういう面で人類が虐殺された、こんな世紀はないと言われております。それのみならず、大きな世界不況が、恐慌が起こったりいたしました。

 

 しかしまた一面においては、ノーベル賞とかオリンピックとか、国境を越えた世界的な手をつなぐ運動も起こってきているし、科学技術は非常に大きく発展して、かつまた地球上の富が非常に上昇したと、そういう成果もあります。しかし、全体としては、核兵器というものを抱えて、そして人間がある意味においては苦悩しておる。一面において、外なる核、つまり原子爆弾、中心にある核、それから内なる核、これはDNAであります。DNAをどんどん進めてきた結果、人間の尊厳が冒される危険が出つつある。人間のコピーが生まれるという。もう羊に生まれ、牛に生まれましたけれども、人間のコピーが生まれるという、人間の尊厳に関する問題の危険性が既に出てきておる。おそらく科学者の中には野心家がいますから、知らない間に何をするか分からないという危険性もないとは言えないです。

 そういう意味において、この内なる核と外なる核の間に挟まれて、われわれは21世紀へ行くということであります。われわれは21世紀というものは20世紀の延長線上で良いとは思っていない。これを克服するというのが人類の英知であると思っております。

 

 そこで言われてきているのが何であるかと言えば、一つは文明の衝突というハンティントンが言っていることであります。私は文明の衝突というようなものはあり得ないと思っている。ハンティントンの本を読んでみても、前提やら論理に非常に大きな欠陥がございます。それほど人間は馬鹿でない。ただしインド、パキスタンの戦争のような、あるいはコソボのような問題は起こり得るだろうけれども、しかし十字軍みたいな、戦争みたいなものは起こるとは私は考えない。もっと人権意識が高まり、国民同士の内部における、為政者や宗教家に対する抑制力というものも、非常に強くなってきている。特にテレビの発達というものは大きな抑制力になっていると見ておるのであります。人権意識というものがやはり非常に普遍化してきていると思うのであります。

 

 しかし、ここでわれわれが欲しているのは、DNAやら、あるいはビッグバン、宇宙の膨張、全部を包摂するような新しい思想体系を生んでくださいということであります。今までいろいろな思想体系が出てきました。宗教も出てきました。しかし最近、このビッグバンによる宇宙の果ての展望力、あるいはDNAの究極はどこまで行くだろうかと、そういうものまで包摂した哲学や宗教でなければ、21世紀人は採用しないだろうと思います。そういうものがあるかと言うと、まだないですね、残念ながら。

 私は仏教哲学にかなり、それに近い答えがあるような気がいたしておりますが、まだ勉強不十分で、そういうことをはっきり言える立場ではない。河合隼雄君が『ユングの心理学と仏教』という英語の本を書いていますが、ユング心理学というのは、ユングはチベットへ行って、チベット仏教を勉強して、それと心理学を結びつけた人で、あの本を読んでみますと、仏教の非常に神秘的な世界、例えば無意識の世界、そういうものに対する科学的な探求を彼はやっております。

 

 どちらから出ても良いから、東からも西からも、今のようなビッグバンやDNAまで包含するような大きなしっかりとした思想体系よ出でよと。今までの既成宗教や、既成哲学を修正しても、改変しても良いと。そういう形で出ることを大きく要望してくるものなのであります。

 

 それと同時に人類は地球的課題にこれから挑戦しなけりゃならぬ。例えば環境がそうです。あるいはエネルギーがそうです。水がそうです。人口がそうです。食糧がそうですね。そういうような人類的課題にわれわれは21世紀に向かって挑戦しなけりゃならんのであります。そこに南北問題もありましょうし、そのほか思想的な問題もあるわけであります。

 

 そういうところにあって、政治が何をしなければならないかということを考えますと、今まで以上にサイエンティフッイクな、そしてグローバルな発想の下に政治というものが組み立てられていかなければならない。そう思っている。小さなナショナリズムにとらわれたものでは、この大きな問題を解決する力は出ないと思っておるわけであります。

 

 そういうような考えに立ちまして、政治を考えると国連というものがまだ微弱すぎると、これをどう改革するか、さらに現在のコソボの問題を見ても、G7なりNATOというものが活躍し出して、そして最終の結末を国連の名において解決してもらおうと。国連はそういう最後の出番で飾りみたいにもなるという状況でもありますね。そういう状況を考えながら、実際はG7というものがけん引力になって、ある程度、政治も経済も動いておるわけでありますが、G7がG8になりました、ロシアを入れて。いずれG9にまで前進しなければいけない、中国まで入れて。あるいは将来はインドとかブラジルも入る可能性もあるでしょう。そういうような方向で、政治的な基礎固め、政治的なメカニズムの強化、そういうことを私たちは21世紀について考えなければならない。しかし中国の場合には、どの程度、democratizationが行われるか、industrializationが行われるか、そういうことにも懸かっていると、そう思っているわけであります。

 

 以上、雑ぱくな話を申し上げましたが、21世紀についての一つの課題を申し上げまして、皆さん方からいろいろ教えていただければありがたいと思う次第でございます。

 どうもありがとうございました。(拍手)

 

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