グローバル・スタンダードの落とし穴

フェルディナンド・マキト

 

 


フィリピンのマキトです。新しい世紀に向かって、世界全体が改革という津波に押し流されています。日本もこの大きな変化に適応していかなければならないというのは、だれも否定できないことだと思います。しかし現在の日本の状況ではグローバル・スタンダードの流れが圧倒的に強いように感じていますので、その落とし穴に焦点を当てて話させていただきたいと思います。

 

 ただ今、金さんが強調されましたように、現在の日本が目指すべきなのは、グローバル化であると、私も考えています。世界、特にアジアの近隣諸国に対して、日本は開かれた心でもって、さらに友好関係を深めていかなければなりません。これからの世界では国の枠組みを超えるような問題がたくさん発生するため、国同士の協力はますます不可欠になっていくでしょう。その典型的な例が環境問題であり、これに関して高さんと、ダンカンさんがお話ししてくださいます。

 

テキスト ボックス:   一方、日本が避けるべきなのはグローバル・スタンダード化です。グローバル化と同様に、日本の国際化をねらっているものですが、後ほど比較しますように、グローバル・スタンダード化には好ましくない特徴が実は山ほどあります。この動きは経済学の基本的な原理であるエクイティと効率性に反するように、私には見えます。どちらかと言うと、強者の立場に重点を置きながら、比較優位を無視する傾向が強いと思います。これは検討なき自由化から生まれたものではないでしょうか。結果としては日本の国民を惑わせるばかりだと私は考えています。スタンダード、つまり普通の国になるために、日本はあまりにも自分らしさを失っているのではないでしょうか。

 

 さてグローバル・スタンダード化とグローバル化の根本的な相違を簡単に述べたいと思います。グローバル・スタンダード化は独自の強いところを軽視し、弱いところをさらにたたく作戦だと思います。基本的に、具体的に言えば、いわゆる日本の系列型構造の競争力を軽視しがちです。今まで主流だった新古典派経済学は日本の構造を批判しましたが、最近の経済学の分析によって、日本の系列型構造には経済学的論理にかなう部分がたくさんあるということが明らかになりました。

 

 次の系列型構造マップをご覧ください。(図1)この構造は正確、なおかつ素早く消費者のニーズを把握する仕組みに既になっています。その代表的な自動車産業の場合だと、組立の現場には売場との情報ネットワークが出来ているので、中心のコンピューターの技術により、顧客の好みが逐次に伝えられています。しかも部品の配達日ぎりぎりまで、顧客が注文を変化したりできる仕組みでもあります。組立現場が頻繁に変動している市場の需要に素早く対応できるように、企業特有の技術を身に付けている従業員が、その現場に配属されます。自ら決断できる訓練と権限が与えられています。

 

 こういった労働者を育成するのに、長い期間がどうしてもかかるので、そういう従業員に安定した雇用環境を提供する必要があります。さらに組立の現場は安定した部品の納入ができるように下請けの部品メーカーと密接な連絡をとっています。それに応えて、下請け企業はその部品をできるだけ安い値段で必要の高いものに生産できるように、組立業によって、技術面で指導されると同時に、ほかの部品製造会社と競争させられています。

 

テキスト ボックス:   次のような従業員に安定した雇用環境を確保するために、組立企業は関連企業と持ち合い株を通して、密接な関係を構築しています。こうして短期的な利益だけを優先的に追求する株主の圧力が抑えられているし、混乱を招く乗っ取りなども防止できます。これゆえ株式市場が従業員、特に経営者の管理、いわゆるガバナンスをすることは完全にはできなくなりますが、代わりにメインバンクがその役割の担い手にもなっています。

 

 グローバル・スタンダード化は以上のような強いところを軽視しながら、弱いところを必要以上にたたくのです。一例を取り上げたいと思います。1950年にドイツプランは日本の鉄鋼産業の自由化を強く要求しました。この産業は国際競争に耐えられないことを見極めた上で政府や民間部門を巻き込む議論になり、産業合理化審議会が生まれました。話し合いから分かったのは、この自由化は避けられないが、日本経済に重要な影響を与えるから、いかにみんなでうまく対応していくかという課題でした。協調性への高いプロセスのおかげで、日本の経済に対する打撃を最小限にくい止める自由化を実施しました。

 

テキスト ボックス:   1980年代に行われた金融の自由化はこれと対照的だとしか見えません。特に目立っていたのは自由化の結果、企業とメインバンクの関係を弱めてしまったので、銀行は必死に内外に貸し出しをするようになりました。こうして銀行は国際競争に負けて、バブルや今の不況と、膨大な不良債権にもつながってしまったことを否定できないでしょう。あの協調性はどこに行ってしまったのでしょうか。

 

 さてなぜか人気がないのですが、戦略的なグローバル化はグローバル・スタンダード化とはどう違うかというと、日本独自の強いところを活用しながら、その弱いところを育成することにあると思います。例えば先の系列型構造の一つの特徴としては、あらゆる部分の間に密接な関係がありますが、最先端のコンピューターや中心技術を利用することによって、そこから生まれる協調性をさらに向上すれば、本来ある競争力の向上にもつながるでしょう。

 

 情報ネットワークといえば、インターネットは第1の波で、第2の波はイントラネットで、それに次いでエクストラネットが出現しつつあるようですが、これはインターネットとイントラネットの範囲に比べて、中間的なネットワークであるので、日本の系列型構造にぴったりだと思っています。(図2)

 

 最後に日本は自分の弱いところを育成しながら、健全な共存型の構造を強化していかなければなりません。(図3)応用技術の強さに加えて、基礎研究、基礎技術にも力を入れることです。言い換えれば日本の企業は、企業特有な知識だけではなく、普遍的な知識も身に付けなければなりません。このため、基礎研究や開発に積極的に取り組む中小企業や、人材の育成は重要です。同時に普遍的な原理に基づいて、日本型構想をしっかりと支えていける金融部分も育てていかなければならないでしょう。いわゆるサイバー資本主義と対抗するために。

 そのようになれば制度の多様性をなくそうとするグローバル・スタンダード化の津波に対して、日本は大きな堤防になるでしょう。これは日本社会だけではなく、世界の人口の75%ぐらいを占める発展途上国の国々のためにもなると、私は信じています。以上がグローバル・スタンダード化の落とし穴について、このごろ考えていることです。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

Ferdinand Maquitoフェルディナンド・マキト

テンプル大学ジャパン講師

フィリピン大学機械工学部卒。マニラ市Center for Research & Communication(現アジア太平洋大学)経済学修士。東京大学大学院経済学研究科博士。博士論文「An Institutional Analysis of the Relationship Between Recipient and Donor Countries」1996年より現職。1999年より上智大学非常勤講師。渥美財団1995年度奨学生。

 

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