物作りの国・人情のある国への憧れ

よう ぶんしょう
  文昌
出身国:台湾
在籍大学:東京工業大学大学院理工学研究科
博士論文テーマ:準単結晶シリコン薄膜太陽電池の基礎研究

 

  私が日本への留学を決意した時、それは高3のころのことでした。それまでの体験から、日本は物作りの国と人情のある国と言う認識を持つようになり、それが次第に憧れへとなって、私に日本への留学を決意させました。

  私は小学校の頃、日本に3年間滞在した経験があります。印象深かったことは乗り物から日常品まで、物の多さでなく品質でも台湾を圧倒していました。台湾に戻った後でも、ラジカセ、ビデオ等殆どの工業製品で"Made in Japan" は欧米を凌ぐ上級品の代名詞でした。電気屋が好きでよく見に行きましたが、日本製品は奇麗、多機能でコンパクトだけではなく、新しい機器がでるとなると、これはどういうものかを探る過程で随分と好奇心を満たしてくれて、その都度感服させられました。その影響か、日本は世界のなかですばらしい物を作る国であることを心に深く刻み込まれ、留学するなら日本でこういう技術について学びたいと思うようになりました。また、日本への印象は物作りばかりではありません。日本統治時代を経験した、親父の世代の方からはよく、日本は戸締まりをする必要はないし人情がある国だと聞かされます。「男はつらいよ」が好きな伯母がいて、一緒に観たことがありますが、この時初めて、親父の描く日本社会の良さを垣間見たような気がしました。人情の漂う日本社会にインパクトを受け、日本に対する憧れは益々強まっていき、日本の技術の他にも、文化、人の考え方をもっと理解したいと思うようになりました。

  私は日本の文化、日本人の考え方を完全に理解するには、語学を上達させた上で、日本人の中で数年溶け込むことが重要であると考えています。日本で専門技術を学ぶことを目指す私にとって、台湾の大学を出た後に大学院を日本で勉強する手段もありますが、大学院では日本語の習得と専門分野の研鑚だけで精一杯で、日本の社会・文化と日本人を理解するのにどれくらい余裕が残されているかを疑問に思いました。大学では勉学以外に日本についてもっと知りたい、日本人の一生付き合える親友を持ちたい、そして大学院では世界最先端技術について専門分野で思いきり習得・創造したい、という一心でたどり着いた結果が、大学からの日本留学でした。

  しかし大学留学に際して解決すべき問題が幾つかあります。その最たる問題が金銭面です。日本の物価の高いことは周知の事です。母にも相談を持ちだしましたが、仕送りは無理とのことでした。今思うとやや無謀のように思えますが、勉強を頑張って奨学金をとろう、駄目だったらバイトで生活を繋げていこうという意気込みで、僕はこの問題を解決したつもりでした。(結果的には、大学の4年間、正に思っていた通りに事が運び、バイトはたくさんする必要がありましたが、幸いにも奨学金を毎年頂くことができました。)そして、頭の中でいくつか問題点も解決のめどがたち、高卒後は2年間の義務兵役に入って、早速日本へ行こうという決意をするに至りました。

  それからは日本語、数学、英語等と、勉強を始めました。義務兵役中でも、自由時間は非常に限られているものの時間を見つけては、語学の勉強に励みました。そして除隊後1ケ月足らずで、観光ビザで来日したのが1月5日の事でした。日本人学生の私大出願日がその頃だったので、技術が強いと漠然と思っていた武蔵工業大学に急遽出願しました。日本の数学レベルは高いと知られているので、試験までの1ケ月間一生懸命、数学を勉強しました。その結果、高得点で電気電子工学科への合格が決まったのですが、電報が届いて、高校以来の夢であった日本留学の入口に踏み込めた時の感動は今も忘れません。