留学の夢

   ティ   ミン   チィ
Vu Thi Minh Chi
出身国:ベトナム
在籍大学:一橋大学大学院社会学研究科
博士論文テーマ:
近代ベトナムにおける社会変動と教育の形成過程  〜日本との比較の視座〜

 

 私はベトナムの国立教育研究所(文部省の所轄)につとめているが、1990年に留学を目的に日本に派遣された。この研究所の主な任務はベトナムにおける教育改革や教育政策の作成に必要な研究を行うことにある。研究所には、外国の教育経験を参考にするという目的で研究する「比較教育学研究所」があり、私はこの研究室に勤め、日本の教育の研究を担当することになった。自分の任務を果たす研究能力を高めるために、日本の教育の理論及び実態を日本で勉強したり研修したりするのは私の夢だった。しかし、この夢を実現するのは決して容易なことではない。当時のベトナムでは私費留学は認められなかったし、認められても経済的には留学の余裕はないので、留学には自分の意志で決める私費留学はなかった。唯一の道は、選抜試験に派遣され合格した者の国費留学だけで、その人数は1990年以前は毎年2人ぐらいで競争率はきわめてきびしかった。さらに、私には小さな子供がいるから家族と何年も離れ留学することは考えてもみないことであった。しかし、研究所で日本の教育を研究するといっても、日本についての資料はまったくなかったし、日本の研究者との交流の機会もなかった。日本の教育について、一般的に日本の成功を支えた重要な要因の一つであるという認識以外に、具体的には何も知らなかった。このように、研究は本格的には進まず、研究者として非常につらかったのである。

  一方、ベトナムでは1970年代半ばまで教育は量的に順調に拡大されていて、独立確保という社会変動に大きな役割を果たしたと評価された。だが、1980年代に入って国が統一され本格的に近代化の段階を迎えた時、教育は低迷する兆候を示しはじめた。そして、近代化のために教育に力が入れられ教育改革も行われたが、結果的には思い通りにならず、逆に1980年代半ば頃には教育改革が失敗し、教育は荒廃に陥っていた。つまり、ベトナムは発展途上国に共通な問題にぶつかるようになったといえる。それは、近代化のために教育の発展に力が注がれたが、結局、近代化も教育も思いどおりの成果をあげられなかったということである。この失敗の原因はどこにあるのか。教育投資はどのように行えば近代化や社会変化に貢献できるのか。なぜ日本は近代化に教育の役割をうまくいかすことができたのか。この問いはいつまでも私の頭に残っていた。そして、その謎を解明しようとする欲求は、とうとう留学の決意になってしまったのである。私は、国費留学の選抜試験に合格するためにいろいろ取り組んでみた。そして。大変な努力をした結果、1990年のベトナムから日本への国費留学生の6人の1人となって、留学の夢を実現することにした。当時、私を迎えてくださった指導教官は「あなたはベトナムの人口の6分の1の代表です」という冗談をよくおっしゃった。

  留学を決意してからあっという間にもう8年が過ぎた。今、当時の自分を振り返ってみると、かなり成長したと思っている。日本のすばらしい教育経験を勉強しただけではなく、研究の視野や枠組みも広められたため、国内では見られないベトナムの教育問題や課題をはっきりと認識できた。このような知識を日本で積み重ねるためにはさまざまな困難を乗り越え、家庭をもった女性としての小さくない犠牲も払わなければならなかったのである。にもかかわらず、留学の決意を後悔したことは一度もない。留学の結果をドクタ−学位論文に実らせ、帰国後に、日本留学によっておさめた成果を、ベトナムの教育研究所でベトナム教育の発展に活かしたいという事が、私の新しい夢である。