夢を追って

リ   ガンゼ
李 鋼哲

出身国:中国在籍大学:立教大学大学院経済学研究科
博士論文テーマ:移行経済の特質と北東アジアの地域開発戦略 〜市場経済化の進展と政府の役割〜

 

 日本には「井の中の蛙大海を知らず」という諺があります。私は大学時代から日本への留学を目指していましたが、それはこの人生を「井の中の蛙」として過ごしたくなかったからです。当時(80年代前半)の中国では、「社会主義は資本主義に対して絶対に優れた制度である」と教育していましたが、一体それが正しいのかどうかは自分の目で見て判断した方がいいと思っていました。

 私はある程度日本語を話せましたので、同じ大学に留学している日本人留学生たちと仲良くなり、幅広いコミュニケーションを行うことができました。その中で、私はよその世界を知るためにはやはり留学しなければならないと深く感じました。

 大学の近くに北京図書館があり、中には「日本文献閲覧室」があったので、いつもそこで静かに日本の哲学、政治、経済などに関する本を読むのを楽しんでいました。私が余りにも日本についての勉強に熱心だし、また日本の友人との付き合いも多かったので、周りから「日本通」とも言われるほどでした。卒業後は大学で教鞭をとることになりましたが、日本についての研究と日本の友人との交流は断つことがありませんでした。

 19912月、夢だと思っていた私の日本留学のチャンスがやっと訪れてきました。「入学通知書」と「在留資格認定書」を受け取った私は、興奮とともに感慨無量になり、今まで自分が歩んできた平坦ではない道を振り返ってみました。

 田舎で高校を卒業した私は、身体障害を持ちながらも過重な農業労働に従事せざるを得なかったのです。「文化大革命」の当時には別の選択肢がなく、それが私の運命であると単純に考えていました。その後まもなくして「文革」で廃止されていた大学受験制度が回復されるようになり、私にも少し希望の光が見えてきました。私は毎日仕事の疲れに耐えているなかでも、日本語の勉強を始めることを決意したのです。幸いに兄が吉林大学日本語科に入学していたので、日本語テキストを一冊送ってもらいました。しかし、その年代にはカセットテープ・レコーダーも普及されておらず外国語を独学するのには無理がありました。困っていたところに、同じ村に住んでいる日本人のおばあさん(後でその方が日本人残留孤児であったことがわかりました)のことを思い出し、勇気を出してお願いしました。そのおばあさんが私の最初の日本語の先生でした。努力に努力を重ね、失敗を繰り返しているなか、私は4年目の大学受験に合格しました。そして、私を育てた田舎と両親のもとを離れ、首都北京で新しい奮闘を始めることになりました。田舎を離れるときの周りの人たちと仲間たちの羨ましげな眼は今でも忘れられません。地元では大した「出世」と考えられていたのです。

 ところで、今度は日本へ留学し、さらに学問を探究する道を選んだのです。これは私の人生にとってはもう一つの転換点でした。私は大学の専任講師という職さえも辞め、留学の夢を追って日本に渡航しました。私は新しくゼロからスタートするという「苦労」を覚悟しなければなりませんでした。でも夢と真理を追究するためには「苦労」という代価も支払わなればならないと思っています。

 この数年間、私は如何にして自分の能力を生かして、人々のために役立つ人間になるかを常に考えてきました。幸い私は朝鮮語、中国語、日本語を使いこなせるし、さらに英語とロシア語も勉強してきました。正に国際的な人間になったようですが、この能力をさらに磨き上げ、北東アジア地域の経済協力と交流、平和と安定のために、ささやかではあれ力を尽くしていくことが私の念願であり、また新しい夢でもあります。夢は人間向上のためのエンジンなのです。