日本留学――人との出会い

マイリーサ
邁麗莎

一橋大学大学院社会学研究科

 

 留学の人生を振り返って見ると、わたしにとって最もよい思い出、そして最も大きい収穫はなんといっても人との出会いでした。日本留学中、わたしは一留学生として、母親として、また、地域の一員として様々な人と出会い、様々な場所で交流をしてきました。そしてそれを通して様々なことを肌で感じ、そこから学んできました。これはわたしの研究の過程においても同じでした。考えてみれば、私の研究の起点であった「自然と共存する地域の発展」という課題自体も人々との出会いの中から生まれ、人々の出会いの中で膨らみ、人々の協力関係の中で研究が進展してきました。

 日本の過疎の農山村を舞台に行われてきた「村おこし」に見られる人々の創意は、わたしに大きな啓示と励みを与えてくれました。そこで覚えた触覚が、わたしに故郷の悲願を蘇らせ、故郷の活性化を果たす自信をもたせてくれたように思われます。それ以来、わたしは一貫して、「足で論文を書く」という姿勢をもって現地調査を重ねてきました。一般的に、日本国内で行われる現地調査は、地域行政レベルのデータを収集すること、あるいは、当該地域の代表者らにインタビューする程度が精一杯で、地域の普通の人々に対して意識調査を行なうことができないのが現状です。それは調査対象にされることをみんな好まないからです。しかしなぜか、現地の方々は私のインタビューをいつも快く受け入れてくださいました。それはたぶん私が遠い外国からやってきた人だったからでしょう。もちろん、このことは同じゼミの日本人からは羨ましがられます。

 当初、日本社会の常識をよく知らなかった私は、インタビューで聞くには失礼に当たるかもしれないようなことを思わずいろいろ質問してしまいました。時にはそれを聞いた日本人の同僚が当惑したりすることもありましたが、わたしの率直な質問が相手から素直な答えを引き出す度に、同僚の当惑が感激に変わった、そんな調査の日々を思い出すといつも嬉しい気持ちでいっぱいになります。わたしの研究で使われた貴重なデータのどれもがこのような人との出会いによる素直な気持ちのやりとりの結晶です。これがわたしの修士論文――「戦後における青年期教育と農民の主体形成」に反映され、おかげで、指導教官に「日本の研究者が解明できなかったことを明らかにした」とまで評価されました。しかし、修士課程時代のわたしは考えが浅く、明るい事例と成功面にばかりを注目し、問題の深さと研究の悩みをほとんど知らなかったです。「自然と共存する発展」という課題は将来性のある研究だと評価されつつありますが、研究が進めば進むほどその道のりが長いように感じられます。

 博士課程に進学し、現地調査を重ねるにつれて、研究の厳しさと日本人と付き合うことの難しさや楽しさも実感できるようになりました。現地調査が最初のように順調でない時もあったからです。例えば、出迎えがない時は一人で道路をぶらぶら歩かなければなりませんが、日本の農村ではほとんど車で移動するので、通行人からは不審な目で見られることもあります。辿り着いた農家の人々から冷たい扱いをされたこともよくありましたが、こちらの積極的な態度により、相手は次第に親切になり、宿泊の世話までして下さいます。そして、調査から帰宅した時には新鮮な野菜が宅急便で届けられていることに驚いたりすることもありました。そういう時は初対面の冷たさにあきらめなくてよかったと思います。その収穫はなんといってもみなさんと本音を語り合うことによって得る一次資料です。その積み重ねがわたしの博士学位論文の完成につながり、資料をまとめ、最後の締めくくりの段階まで辿り着かせたのです。

 わたしの日本での留学生活はこのような方々の精神的支えとわたしの研究の意義を認めて下さった諸奨学財団の経済的支えによって本日まで続けられてきました。長い留学生活の研究成果をまとめようとしていた決定的な時期に、わたしは渥美国際交流奨学財団の奨学生として、同財団の方々及び奨学生の皆さんに心暖かく支えられてきました。この素晴らしい出会いと一年間にわたる皆さんとの「顔が見える国際交流」がわたしにとっては新しい出会いであったと同時に、新たな出会いへの始まりでもあります。