理事のことば

国際交流と国際化社会

永山 治

 

 今年の一月に日本経済新聞の「交流抄」というコラムに「二番目の親父」という題で寄稿した拙文が掲載された。故渥美健夫氏や私の父の友人であり、私にとってはもう一人の父親的な人であった白州次郎氏の事を書かせて頂いた。今回のテーマである「国際交流」を考えると白州氏のことを思い出さざるを得ない。

 私の二回五年間の英国での生活で最も重点を置いたのが個人としての英国人との交流であったが、これは白州氏から受けた影響によるものであった。「外国に住む以上、その国を理解する努力を怠ってはいけない。理解するためには、その国の人々と個人として交流する事が大切であり、自分が所属する組織や企業を看板にしての付き合いだけではいけない。」といった事を、白州氏は何度も忠告してくれた。

 現在、日本人が海外に旅行したり、居住したりする機会が非常に増えている。私が現在勤めている会社もその例に漏れず、海外の現地法人に出向している人数や留学している研究者の数も増えてきている。私は時々彼等に、私自身が白洲氏から受けた忠告をそのまま伝える様にしてきた。せいぜい数年間の駐在期間なのだから、出来るだけ旅をし、見聞を広め、現地の人々と接するよう奨励している。日本人同士でコミュニティーのみに留まり、現地の人々と親交が出来ないことによって失うものもまた多い。

 初めて海外に駐在し、限られた期間の中でその国の人と交流するという事は、それ程簡単な事でもないと思う。言葉の壁の厚さは言うまでもなく、限られた時間の中でその国の歴史に触れ、地元の人が関心を持っている事柄をマスメディアや本などから学び、定期的に交流の場(自宅でのパーティー等)を提供したり、招かれたり、あるいはスポーツ、観劇などを共にしようと思えば相当な覚悟が要ることも事実だ。自分の国の事については容赦なく聞かれるので油断もならない。しかしこうした事も始めてしまえば実りも多く、あまり抵抗もなく広げていけるものだ。個人レベルでの国際交流の結果得られるもので最も貴重なのは、異なる文化、伝統、思考体系、感情から出て来る異なった見方に常にアクセス出来るという事ではないかと思う。ついつい偏りがちな物の見方や考え方が生まれ易い国際間の問題も、個人的な交流をベースにした意見交換が行なわれれば、修正されることも多いのではないだろうか。また、仕事上だけの付き合いでは、帰国後は互いの距離は段々遠のき、引退でもすればその関係は風化してしまうだろう。

 日本は島国という事もあり、同質性や完成度の高い独自の文化や伝統を有し、その国民も優れた民族としての評価も高いし、他の国に与える影響も大きくなっている。今後、国際化が進む中で、自らを海外の人に伝え、相手を知り、相互の深い理解を得て、初めて国際社会の一員として外国との良好な関係を確立する事が出来よう。最近日本と海外諸国が経済面を中心に急接近する中で、理解不足の裏返しでナショナリズムが必要以上に協調されているケースも散見される。充分な交流を進めたいものだ。

 渥美国際交流奨学財団の活動は、同種の財団の中でも極めて活発であり、優れたものと敬意をもって認識させて頂いているが、特に留学生と財団関係者の交流に力を入れたり、社会見学の機会を提供している点は、誠に素晴らしいと思い、今後の益々の発展を強く祈っております。

                                                                                                                 (中外製薬社長)